将棋世界2001年5月号、河口俊彦七段(当時)の「〔B級1組順位戦最終局〕自分自身との戦い」より。
最終戦のとき、昇級は郷田、三浦、藤井の争い。降級は小林がすでに決定し、残り一人は、福崎、森雞、神谷のなかから、という形勢。昇降級とも少数激戦だ。
朝、ちょっとしたことがあった。
この日はB級1組順位戦五局の他に、王座戦その他の棋戦も行われていた。そこで事務局は考え、王座戦二局を特別対局室で行い、順位戦五局を大広間にまとめた。大広間に王座戦を入れると、早く終わるので、感想戦その他で、順位戦の対局者に迷惑がかかる、と考えたのである。
ところが藤井は、自分は特別対局室で指したい、と言った。情勢はご存知の通りで、藤井は郷田、三浦に負けてもらわなければ昇れない。大広間のいちばん奥で、その二人を見ながら指すのは嫌だ、というわけ。気持ちはわかるが、事務局も困っただろう。対局前に盤の移動は大変だから。
しかし、結局藤井の言い分が通った。うがった言い方になるが、ここで藤井の昇級は決まったのである。藤井は気をよくしたし、郷田、三浦は、藤井の断固たる態度に気圧されるものがあったに違いない。
対局前の駆け引きは、木村・升田から、最近の加藤に至るまで、それこそ枚挙にいとまがないほどである。言い分も人さまざまで個性があらわれて興味深く、いっぺん特集をやってみたいくらいだ。ただはっきりしているのは、言いたいことを、はっきり言った者が勝ち、変に我慢した方が負けるのである。
ここで話は深夜の場面に大きく飛ぶ。
藤井は勝てれば昇れるのを確信を持って指し進めれば、南はなんとなく指し手に元気がなかった。押されっぱなしの形で、夜戦に入ったころは不利がはっきりした。三浦もまた萎縮しきっていてやや不利。そもそも「相穴熊」なんて三浦らしくない。そういえば、この日の順位戦は全部穴熊だった。
午後10時すぎ、藤井対南戦が大勢決した。
(中略)
△6八金以下はわかりやすい寄せで、藤井は難なく勝った。
控え室は、10秒将棋で遊んでいる棋士がいたりして大混雑。息苦しいので老人席に行くと、そこには見知らぬ先客がいた。そこで反対の端に座って一息入れた。ここにいると何とはなしに疎外感を味わえる。
(中略)
降級争いはA級順位戦と同じようなことになっている。つまり加藤の立場が福崎で、勝てば助かる。その場合は、島対先崎戦と同じく、森対神谷戦の負けた方が落ちる。だから問題は福崎の動向で、大阪から棋譜を送ってもらい、みんなおもしろそうに眺めている。
途中、みんなをアッと言わせた手が出た。4図で福崎は△8四飛と出たのである。
(中略)
善悪はわからぬが、△8四飛が勝着というべきだろう。この後、以外にあっさりと福崎が勝った。
こうして、森対神谷戦は負けられぬことになった。2、30年前の関西本部だったら、こういうとき、一杯引っかけた大先輩が、森と神谷が戦っている盤側に行き「福崎君は強い将棋や、見事に勝ちおった」などと言っただろう。こういった類の嫌がらせがしばしばあった。そんな目にあって若手棋士は鍛えられたのである。
時代がかわり、この日などは、大阪の結果を知らせぬよう、全員が気を遣っていた。いつもなら、控え室に来て大阪の結果を気にする森が、そんなそぶりを見せなかった。他力頼みはなし、と覚悟していたのだろう。将棋は序盤から、すこしずつ森が苦しげだった。その状態をここまでずっと保ちつづけている。
大広間の奥では王座戦二局の感想戦が賑やかだ。負けた石田九段が盛んにボヤき、私を見て「河口さん生きてますか」と声をかけたりする。こちらもマイペースなのである。
午前0時近くに三浦が敗れた。3図で慌てたものの、高橋はその後をうまく収拾し、最後は完勝だった。
(中略)
こうして大広間に二局だけ残った。森と神谷だけでなく、郷田も他力で助かる目があった。藤井が負ければそれで決定だったが、その望みはなくなった。三浦の勝ち負けは、郷田に関係はない。
(中略)
▲6二歩成で森の負けが決まった。それでも森は考える。私はそっと席を外した。
(中略)
終わっても、取材の記者以外誰も対局室に行こうとしない。落ちた人を見るのは辛いのだ。
さて、郷田対中村戦である。形勢は終始郷田がほんのわずかだがリードしつづけていたようである。それが煮詰まって8図。次の一手を考えているとき、背後で森が投げた。
郷田はあぐらになったり、正座になったり。身をよじった次は頭をかかえ込む。こんなによれた姿ははじめて見た。だいたいが谷川のように冷静をよそおうタイプなのである。中村はそれをじっと見ていた。
郷田残り時間は、このとき10分。
8図以下の指し手
▲6九金△8九桂成▲同玉△7七桂▲8八玉△6九桂成▲8三金△同金▲6一銀△8九金▲7七玉△6五桂▲6七玉△6六金(9図)
まで、中村八段の勝ち。郷田勝勢といっても、あやがいろいろあって難しい。▲6三銀と攻めて勝てれば問題ないが、△9三香▲同歩成△5五飛となったその次、先手玉が一手すきになっているかどうか。一手すきでなければ▲8三と、で勝ちだが、そのとき先手玉の詰むや詰まざるや、がわからない。
それなら、先手玉を絶対に詰まない形にする手はないか。考えはそこにたどりつく。そうして郷田がすがったのは▲6九金という筋だった。
この▲6九金は上級者向けの手筋。△同金と取らせれば、先手玉は駒を何枚渡しても詰まないから、好きなように攻めてわかりやすい勝ちだ。
ただ、このとき▲6九金の他に▲6八金も見えていた。△同成桂と遠ざけるのは▲6九金と同じ意味で、これも先手勝ちだ。どちらでもよい、と読んで、△6九金を選んだところに、郷田の指運のなさがあった。
△8九成桂といきなり来られた。これを見たときの郷田の驚きはどんなものか。たいていの棋士は、頭の血が逆流する。
一手遅らせようとしたのが、一手早めてしまった。△7七桂と王手がかかっては、おしまいである。もし▲6八金なら、この△7七桂はなかった。
最後、9図のときはあってもなくてもいいような、5一の角、7三桂などが働きだした。9図で▲6六同玉なら、△8四角といったように。これを「勝ち将棋鬼のごとし」と言う。
午前0時12分、郷田は投げた。
「ああひどい」と頭をかかえ込んだ。「▲6八金なら勝ちだったでしょう」。
中村はなにか呟く。声が細くて遠くからは聞き取れない。投了図と同じ盤面のまま駒を動かさずに、会話での感想戦が始まった。感想を言うというより、郷田の嘆きであった。
控え室に戻るとごったがえしていた。藤井と三浦がインタビューを受けているらしい。
老人席にずっといた人は、上毛新聞の記者で、群馬出身が二人昇級するかもしれないと、取材に来ていたのだそうだ。タバコを随分すったけど、粘った甲斐がありましたね。
藤井と三浦が4階に戻ってきた。それぞれ2、3人ずつ気の合った者同士で帰って行く。三浦は「酒を飲みましょう」とか言って興奮している。そう言ったって仲間はもういない。編集部のN君が兄貴分ぶって「よし行きましょう」。二人共人生の初級者だがなあ。手合いが合って楽しいのだろう。
残ったのは、毎日の山村、中砂両記者。ためしに「二人に大阪の結果と藤井の結果を伝えた?」と聞くと「とんでもありません」と手を振った。
対局者では、森と神谷、郷田と中村がまだ残っていた。本当は、他の結果次第で、嬉しくなる目もあったのだが、森も郷田も、結果を聞かずとも、空気でいかんと知っていた。
1時半ごろ、郷田が帰った。残った中村に一局のポイントをたしかめると「▲6三銀なら負けです。こっちは気楽に指してたけど、相手は大変ですからね。最後はなにか様子がおかしかったですよ」。
敗因は郷田の内面にあり、口には出さねどそう言っていた。
郷田のここ一番での弱さはどうしたことか。終局前後の姿など、全盛期の升田に似てきた。
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この期のB級1組順位戦、最終局が始まる前の段階で、
三浦弘行七段(13位)9勝2敗
郷田真隆八段(1位)8勝3敗
藤井猛竜王(12位)8勝3敗
- 三浦七段(当時)は、自分が敗れて郷田八段・藤井竜王とも勝った場合以外は昇級
- 郷田八段(当時)は、自分が勝つか、敗れたとしても藤井竜王が敗れれば昇級
- 藤井竜王(当時)は、自分が勝ち、郷田八段または三浦七段が敗れた場合のみ昇級
という状況。
藤井竜王のみが他力だったが、三浦七段、郷田九段とも敗れて、藤井竜王と三浦七段がA級へ昇級することとなった。
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これからの順位戦、このような息の詰まりそうになるドラマがいくつも生まれる。