「どってことないですよ。私は三回落ちたけど、また上がって降級回数の記録を作ろうかな」

昨日のA級順位戦最終局では、羽生善治二冠が郷田真隆九段に勝ち、A級順位戦全勝を成し遂げた。

記録によると、1971年度の中原誠十段(当時)、2003年度の森内俊之竜王(当時)以来の快挙ということになる。

A級順位戦で全勝することは、二百三高地攻防戦初期において無傷でロシア軍のトーチカ(鉄筋コンクリート製の防御陣地)まで攻め入る程の困難さかもしれない。

—–

中原誠十段が史上初のA級順位戦での全勝をした時は、全勝そのものよりも、”中原誠”が大山康晴名人に挑戦する、ということのほうが大きなニュースだった。

—–

羽生善治二冠が初めて名人戦で挑戦者になったのは1994年のことだった。

この時(羽生二冠にとってのA級1年目)のA級順位戦では7勝2敗。(7戦目で田中寅彦八段に、最終戦で谷川浩司王将に敗れている)

同じ7勝2敗の谷川浩司王将とのプレーオフの末、挑戦権を獲得した。

—–

一方、昨日のA級順位戦最終局で降級が決まったのが、丸山忠久九段と久保利明棋王。

A級とB級1組の間はどんどんシームレス化している傾向があるので、A級には何度も戻ることができると思う。

—–

話は戻って、羽生善治二冠が初めて名人戦で挑戦者になった1994年3月のA級順位戦最終局の模様。

将棋マガジン1994年5月号、河口俊彦七段の「将棋連盟の一番長い日」より。

(降級は田中寅彦八段と小林健二八段)

将棋マガジン同じ号より、撮影は弦巻勝さん。

 盤側に人がすくなく、私達二、三人しかいない。雰囲気で、小林は落ちたと知っただろう。しかし、そっと「南君は?」と訊いた。南が負けていれば小林が助かるのだ。

「ひどい逆転だった」私が言うと小林はちょっと笑った。

 そうしていると田中が入って来た。お色直しして、黒いジャンバーに黒いパンツ。黒一色とはわるい冗談じゃないの?

 加藤の席に坐り、「私の将棋を見て下さいよ」と駒を動かし始めた。

 小林も私も、うなずいたが、どちらも虚ろな気持ちだった。

(中略)

 今度は職員が来た。打ち上げの席に出て下さい、と言う。田中が「うん」と言って小林に「今日は思い切り飲んで食べましょうよ」とうながす。

「有吉先生も南君もいるんでしょ」まだぐずぐずしている。

「どってことないですよ。私は三回落ちたけど、また上がって降級回数の記録を作ろうかな」 

 また職員が来て誘うと、小林はようやく重い腰を上げた。こういったところが小林らしい。辛くとも自分を殺すのである。落ちたあと、人前に出たくないに決まっている。加藤は打ち上げには絶対付き合わないだろうし、もし、有吉や南が早く負けていたら、二人共部屋に引きこもったままだったろう。

 競り合った五人を比べると、小林と田中は、ちょっと人がよい(わるい意味ではない)。その分、勝負弱いとも言えるのである。他の人についても、そういう場面を数かぎりなく見て来たが、その度に辛い思いをする。

—–

「どってことないですよ。私は三回落ちたけど、また上がって降級回数の記録を作ろうかな」

田中寅彦九段らしい言葉だ。

事実、田中寅彦九段は数年後にA級に復帰している。