真部一男八段(当時)「恐るべき19歳だ」

将棋世界2001年11月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。

 9月12日、午前未明。大阪

 関西将棋会館で順位戦を戦い終わって宿泊所のホテルに戻り、いつもの習慣でテレビをつけた。するとそこにはパニック映画のクライマックスシーンのような映像が流れていた。

 対局後間もなくのことでもあり、頭の中はまだ現実世界に戻り切っていないから、何の場面か想像もつかずチャンネルを切り換えるが、どこに回しても同じである。テロップを見て事態が少し呑み込めた。どうやらテロ行為だとのこと。

 それにしてもテロリスト達はとんでもないことを思いつき実行したものだ。

 CIA、NSA、FBI等々情報活動に300億ドルを注ぎ込んでいる強大な国家アメリカも、まさか乗客を巻き込んだ民間機による特攻作戦は思いもよらなかった。なぜこんな目もあてられないような惨事が起きてしまったか。

 もちろんキリスト教対イスラム教の積年の遺恨が大もとにあるには違いないにしても、アメリカが圧倒的武力と経済力を背景に相手を退っ引きならなくさせてしまったとも云えなくない。

 戦略の天才諸葛孔明は確か城攻めの際、必ず敵の逃げ道を一箇所残しておいたという。完全に包囲してしまうと逃げ場を失った相手は命がけで刃向かうから、自軍も思わぬダメージを受けてしまうことをよく知っていたのである。

 その時は全滅させることができなくとも、逃げ延びた烏合の兵を後から叩く方がはるかにたやすいということだ。

 アメリカは勝ちを急いでいるのではないだろうか。

 将棋でも、中盤から終盤にかけて自己の完全なる読み筋に信を置き、目一杯突っ込んだ指し方をすると勝ち振りは鮮やかだが、格下の者または形勢不利な側は自らの選択の余地がなく、逃げ道がないのだからもう後は捨て身で戦うよりなくなっている。この捨て身(勝敗の呪縛から離れる)というのが恐ろしく、時として優者が劣者に敗れるという番狂わせを生むことになる。

 大山康晴は相手に多くの選択肢を与え、その結果、相手は自らミスを犯し自滅するように仕向けた。

 羽生善治は以前、タイトル戦に臨む際「難しい場面での手の渡し方が勝負となるでしょう」と語ったことがある。

 恐るべき19歳であった。

 升田幸三は逆に選択肢を狭めていく棋質であり、爽快ではあったが取りこぼしも多かった。

 格下の側から見れば、手が広がっていく戦型を避け、一直線の斬り合いを目指す方が勝つチャンスもあるということだ。そういえば木村義徳九段も『弱いのが強いのに勝つ法』というユニークな著作の中で、強者に対するには急戦策がよろしいと述べていた。

(以下略)

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「城攻めの際に必ず敵の逃げ道を一箇所残しておく」戦術は、後に黒田官兵衛の毛利城攻めでも採用されている。

孫子の兵法にも「敵を包囲するときは、三面だけを包囲し逃げ道を残しておく(三面包囲)」という教えがあるが、これは野戦についてのもので、城攻めは「防御に徹する守備側を攻略することは容易ではなく、城攻めは下策で最も避けるべき」と否定的立場をとっている。

豊臣秀吉や黒田官兵衛には兵糧攻めや水攻めなどの策があり、孫子の兵法に100%縛られるのではなく、孫子の兵法の良い所取りをしたことが成功に結びついたと言えるだろう。

「城攻めの際に必ず敵の逃げ道を一箇所残しておく」の逆のこと、つまり「城攻めの際に味方の逃げ道を一箇所も残さない」戦術で成功したのが、漢の名将・韓信の「背水の陣」。

韓信の漢軍3万に対し、籠城する趙軍は20万。

韓信の作戦および戦いの流れは次のようなものだった。

  1. 古来より不吉な陣形とされている背水の陣(大河を背にした逃げ道のない陣形)をとる韓信軍。
  2. 背水の陣を見た趙の将軍・陳余は「韓信は兵法の初歩も知らない」と笑い、兵力差をもって一気に攻め滅ぼそうとほぼ全軍を率いて出撃、韓信軍に攻めかかった。
  3. 兵力では圧倒的に劣勢な韓信の漢軍だったが、後に逃げ道のない漢の兵士たちは必死で戦ったので、趙軍は攻めあぐねる。
  4. その間に漢軍の別働隊2000人が、ほとんど人のいなくなった趙軍の城を占拠する。
  5. 趙軍の城に想像を超えるほど大量の漢の旗を立てる漢軍。
  6. 漢の大軍に城が落とされたと勘違いし動揺した趙軍は総崩れになる。

韓信は、孫子の兵法の「兵士たちをどこにも行き場のない窮地に置けば、おのずと専諸や曹劌のように勇戦力闘する」を忠実に実行したと後日述べている。

城を守る側も攻める側も、「逃げ場がない状態だと命がけで戦ってくる」ということには変わりがなく、韓信は敵を攻撃するために自軍をこのような環境にし、黒田官兵衛は自軍の被害を最小限にとどめるために、敵がこのような状況にならないようにした。

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敵に選択肢を多く与える(韓信の場合は、兵力差をもって一気に攻め滅ぼそうと思わせる選択肢を与えたこと、黒田官兵衛の場合は、城から逃げる選択肢を与えたこと)が勝利の可能性を高める。

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大山康晴十五世名人の、相手に多くの選択肢を与え、その結果、相手は自らミスを犯し自滅するように仕向ける勝負術も凄いが、羽生善治六段(当時)が「難しい場面での手の渡し方が勝負となるでしょう」を19歳にして洞察しているのも本当に凄いことだ。

 

 

 

 

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