「藤井聡太四段 炎の七番勝負」と「羽生善治四段 タイトルホルダーに挑戦・五番勝負」

昨年10月に史上最年少となる14歳2カ月でプロ入りを果たした藤井聡太四段が7人の棋士と対決するAbemaTV将棋チャンネル特別対局企画「藤井聡太四段 炎の七番勝負~New Generation Story~」が今日の19時(19:00 〜 21:50)からスタートする。

AbemaTV将棋チャンネル

放送日程と対戦相手は次の通り。

第1戦(3月12日):対 増田康宏四段
第2戦(3月19日):対 永瀬拓矢六段
第3戦(3月26日):対 斎藤慎太郎七段
第4戦(4月2日):対 中村太地六段
第5戦(4月9日):対 深浦康市九段
第6戦(4月16日):対 佐藤康光九段
第7戦(4月23日):対 羽生善治三冠

よくぞこのような絶妙な組み合わせにしてくれたものだと唸りたくなるような素晴らしい編成。

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戦後では、1946年に新大阪新聞(毎日新聞系)の企画で「木村・升田五番勝負」、1948年に朝日新聞の企画で「塚田・升田五番勝負」が行われており、外部の企業が企画した公式戦以外の人間同士の対局としてはそれ以来のものとなるのだと思う。

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羽生善治三冠が四段になった時も、将棋世界誌上で特別企画の対局が組まれた。

それが将棋世界1986年3月号から始まった「天才少年激突三番勝負」で、1985年6月に17歳で四段となった阿部隆四段と1985年12月に15歳で四段になった羽生善治四段の三番勝負。

この時は羽生四段が2連勝している。

羽生善治四段(当時)四段昇段後の初めての対局

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そしてこのほぼ1年後、将棋大賞新人賞を受賞した羽生四段の「新人賞・羽生、タイトルホルダーに挑戦」が将棋世界1987年6月号から始まる。

羽生四段が時のタイトルホルダー全員と対局するというもので、

第1局 対 中村修王将・・・羽生四段の勝ち
第2局 対 桐山清澄棋聖・・・羽生四段の勝ち
第3局 対 高橋道雄王位・棋王・・・高橋二冠の勝ち
第4局 対 福崎文吾十段・・・羽生四段の勝ち
第5局 対 中原誠名人・・・羽生四段の勝ち

と、羽生四段が4勝1敗という見事な戦績を残している。

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ところで、「新人賞・羽生、タイトルホルダーに挑戦」と同時期に将棋世界誌上で行われていたのが、「A級棋士VS新鋭四段角落ち戦」。

新鋭四段が角落ちでA級棋士と戦う企画で、行われた対局は次の通り。(将棋世界1987年1月号~1987年11月号)

加藤一二三九段-日浦市郎四段
森雞二九段-安西勝一四段
小林健二八段-中田功四段
谷川浩司棋王-村山聖四段
桐山清澄棋聖-長沼洋
大山康晴十五世名人-小林宏四段
青野照市八段-中田宏樹四段
南芳一八段-達正光四段
有吉道夫九段-神崎健二四段
内藤國雄九段-佐藤康光四段
中原誠名人-櫛田陽一四段

戦績は新鋭四段陣の10勝1敗(A級棋士では大山十五世名人のみが勝った)。

なかなか斬新な企画だが、羽生四段が猛烈な勢いで勝ち進んでいたとはいえ、羽生四段が平手戦、かたや自分たちは角落ち下手ということで、「A級棋士VS新鋭四段角落ち戦」出場の四段の棋士は微妙な気持ちだったかもしれない。なおかつ駒落ち下手であるためプレッシャーは非常に大きい。

「A級棋士VS新鋭四段角落ち戦」は「新人賞・羽生、タイトルホルダーに挑戦」の半年前から始まった企画。途中から手合いを変更するというわけにもいかなかったのだろう。

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「藤井聡太四段 炎の七番勝負」という文字を初めて見た時に思い浮かべたのは、「ジャンボ鶴田試練の十番勝負」。

これは、当時の全日本プロレスの次期エースとして成長著しかったジャンボ鶴田をさらに大きく育てるために組まれた十番勝負。(1976年~1979年に行われた)

対戦レスラーは、

  1. バーン・ガニア
  2. ラッシャー木村
  3. テリー・ファンク(NWA世界王座戦)
  4. ビル・ロビンソン
  5. ボボ・ブラジル
  6. アブドーラ・ザ・ブッチャー
  7. クリス・テイラー
  8. ハーリー・レイス(NWA世界王座戦)
  9. 大木金太郎
  10. フリッツ・フォン・エリック

戦績はジャンボ鶴田の4勝2敗4引き分け。

当時、このうちの何回かはテレビで見ており戦いに熱中したものだ。

「試練の十番勝負」のネーミングが素晴らしく、今回の藤井聡太四段の「炎の七番勝負」もそれに通じるものがある。

何十年に一度あるかどうかの特別企画「藤井聡太四段 炎の七番勝負~New Generation Story~」を楽しみにしたい。