将棋世界1982年3月号、能智映さんの「棋士の楽しみ」より。
将棋界には亥年会というのがある。故・土井市太郎名誉名人以下、故・大野源一九段、大山名人、原田泰夫九段、加藤博二八段、廣津久雄八段、続いて有吉道夫九段、中原、桐山清澄八段と亥年生まれは続く。「八段以上でないと入会できない」という規定があり、数年前まではみんなそろって旅をしていた。
このイノシシに対し、寅年も怒った。金易二郎名誉九段が存命のころだ。「近代将棋」の永井英明社長と私が話し合い、「こちらも一度会を開こうではないか?」ということになった。亡くなった塚田(正夫名誉十段)も寅だ。こちらは記者仲間が多い。神戸新聞の中平記者、共同通信の中野記者、近代将棋の森編集長や田辺一郎五段は私と同じ、下には将棋マガジンの高林君、そして最後に谷川浩司七段がいる。だが、ズボラな私らの計画、金先生、塚田先生が相次いで亡くなったので、これはポシャった。
これとは別、丸田祐三九段が”羊会”を作ろうといい出した。二上、米長がそうだときいた。だが、廣津が「あの人ら、ツエをついて旅をするのかな?」とからかったとかで、それも消えた。―「ハイジ」で見た。アルプスの羊飼いはツエをついているのだ。
(以下略)
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このような流れの中、「亥年会」なきあとの将棋界で頭角を現してきたのが、亥年の一つ前の干支の「戌年の会」だった。1990年代の話だ。
「戌年の会」のメンバーは、加藤治郎名誉九段、剱持松二九段、勝浦修九段、森雞二九段、蛸島彰子女流五段、山下カズ子女流五段、羽生善治三冠、森内俊之九段、先崎学九段、丸山忠久九段、藤井猛九段、など。
年に1回、NHKの近所のうなぎ屋「うな将」に集まり会は開かれていた。
1994年には、なんと京王プラザホテルで「戌年の棋士を祝うファンの集い」が催されている。
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今年の2月に放送されたNHK杯戦準々決勝、千田翔太六段-佐藤康光九段戦(解説:森内俊之九段)の観戦記を書かせていただいたが、この時の対局前の控え室での話題が「戌年の会」のことだった。
この観戦記のはじめの部分がNHKテキストビューに掲載されている。
→佐藤康光九段、3度目の優勝に虎視眈々(NHKテキストビュー)
「以前、干支別の棋士の人数を調べたことがあったのですが、戌年は多くも少なくもなく、むしろ酉年が一番か二番に多かったと思います」と私が話すと、酉年生まれの佐藤康光九段はみるみる嬉しそうな表情になった。
森内俊之九段は、「えっ、そんなことを調べたことがあるんですか」と呆れながら笑ってくれた。
私の記憶にあったのは、ブログで書いたこの記事。→棋士と干支を分析する
そして、佐藤康光九段は、酉年生まれの棋士は誰だったろうと思い出しながら名前を挙げはじめたが、2~3人で止まってしまった。なかなか出てこないものだ。
そうこうしているうちにスタジオへ移動する時間となった。
観戦記の最後は、
ところで、干支別の棋士の人数を調べ直してみたところ、酉年が引退棋士、女流棋士も含め34人で1位、戌年が26人で5位。
後日の電話取材の際に、佐藤にこのことを伝えた。
「そうなんですね。酉年の会も面白そうだなあ。あ、でもやろうとは今のところ考えていませんからね」と佐藤。
五分五分と見た。
と結んでいる。
実際の私の総合的な感触としては52対48(やる対やらない)だったのだが、私の希望的な観測も入っているし誤差でもあるので、五分五分とした。
ちなみに、酉年生まれの棋士は次の通り。
(1933年生まれ)
吉田利勝七段
長谷部久雄九段
関屋喜代作八段
(1945年生まれ)
野本虎次八段
(1957年生まれ)
小林健二九段
植山悦行七段
田中寅彦九段
大島映二七段
加瀬純一七段
依田有司七段
神田真由美女流二段
(1969年生まれ)
勝又清和六段
飯塚祐紀七段
畠山成幸七段
畠山鎮七段
佐藤康光九段
清水市代女流六段
植村真理女流三段
中井広恵女流六段
(1981年生まれ)
山崎隆之八段
村中秀史六段
村田智弘六段
宮田敦史六段
片上大輔六段
岩根忍女流三段
(1993年生まれ)
斎藤慎太郎六段
高見泰地五段
三枚堂達也四段
髙野智史四段
室谷由紀女流二段
香川愛生女流三段
渡部愛女流初段
伊藤沙恵女流二段
堀彩乃女流2級
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