何気ない一日の、対局終了後の深夜

将棋世界1995年1月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 11時をすぎると、つぎつぎに勝負がついて行く。森けい二九段は富岡七段に粘り勝ちして順位戦初白星。前途がいっぺんに明るくなったはずだ。控え室に寄り、麻雀のメンバーを集めると「ツモは大事にしないとね」と判ったような判らぬようなことを言って出て行った。

 最後に終わったのは、青野九段対小林八段戦で、師匠ゆずりの粘りを見せたものの、小林八段が敗れた。この一局は、青野九段が四間飛車破りの新手を指したので、小林君が「スーパー四間飛車」で解説してくれるだろう。これは名講座で、私もそれを読んで四間飛車を指さなくなった。

 青野対小林戦の感想戦を終えた頃は、あらかた帰ってしまっていた。小林は明日も対局があるとかで部屋に帰り、田中、青野、私の三人が残った。

 すし屋にでも寄ろうと出たが、すし屋は閉まっており、それではと、青野君の案内で、さらに外苑通りに向かって歩き、地下のスナックバーに入った。腰を下ろして向こうの隅を見ると、若い男が抱きあっていた。どうして私は変な所ばかりに眼が向くのだろう。

(以下略)

—–

時は平成だが、昭和の古き良き時代の典型的な千駄ヶ谷の夜の風景といった雰囲気で、とても懐かしい感じがする。

—–

たとえば、あるパーティーが中締めとなって、これから二次会へ行こうとなった時に、「◯◯さんをツモっていこう」と言った場合が、「あそこに一人ポツンと立っている◯◯さんも二次会へ連れていこう」という意味合いになる。

控え室で麻雀の相手を見つけた(ツモった)森けい二九段の、「ツモは大事にしないとね」は、「麻雀に一緒に行ってくれる人は大事にしないとね」というようなニュアンスを含んでいるのかもしれないし、そうでないのかもしれない。

—–

外苑西通りの近くの地下のスナックバー、河口俊彦六段(当時)ならずとも、100人中ほとんどの人がそっちを見てしまって目が点になると思う。