藤井猛九段「5割勝つのが目標なら戦法はなんでもいいんです。でも、7割勝とうと思ったら普通に指していてはできない」

将棋世界2003年2月号、「棋士たちの真情 大いなる戦法、大きなる研究 ―藤井猛九段」より。記は鈴木宏彦さん。

「沼田には奨励会の初段、高校卒業までいました。将棋を覚えたのも沼田です。小学校4年のとき、雨の日に友達の家に行ったらいきなり将棋盤を出してきた。ルールはほとんど知らなかったけど、その日のうちに20番くらい指しました。そのあと学校の友だちともやってみたけど、初手に角が横に動いたら、相手してもらえなくなった(笑)。ちゃんとルールを覚えたのは小学校6年のとき。本を買ってきて、すぐに夢中になった。近所に将棋好きのおじさんがいたんですよ」

(中略)

「中学では忙しくなって、将棋はたまに本を読むくらいしかできなくなった。勉強は嫌いでした。小学校の成績は話にならない。中学に入ったら、試験の結果が貼り出される。あまりにも順位が低いのが悔しくて、順位を上げるためだけに勉強しました。230番が最高で6番まで行った。でも、6番を取ったことに満足したので、その後は徐々に落ちて行きました(笑)。中学2年のとき家庭訪問に来た担任の先生に、「趣味は将棋」と言ったら、当時市内で将棋の普及活動をしていた堀さんという方を紹介してくれたんです」

(中略)

「当時から指していたのは振り飛車ばかり。最初に本で三間飛車と居飛車の戦型を見て、舟囲いはかっこ悪いのに、振り飛車の美濃囲いはかっこいいと思った。それ以来ずっと振り飛車党です」

(中略)

「四段になって、すぐに四間飛車を始めました。プロになると持ち時間が長くなって対局数も増える。1年を通して戦うには、何か柱になる戦法が必要だと思ったからです。いつまでも穴熊では苦しい。そこで目をつけたのが小林流(健二九段)のスーパー四間飛車。ここで初めて四間飛車の定跡を勉強した。恥ずかしい話だけど、定跡書を買って一から調べ直したんです。大山先生(康晴十五世名人)の将棋を並べ始めたのも四段になってから。大山将棋は玄人受けするタイプだと思っていたので、奨励会時代はあまり並べなかったけど、四間飛車に取り組んでみて、初めてその面白さが分かった。大山将棋は細かい部分で斬新なアイデアが多い。当時の棋力では善悪は判断できなかったけど、アイデアとしてはそれまで知らなかった手をずいぶん知ることができた。強くなってくると、筋や形にとらわれずフォームを崩しながら指すのは難しいんです。大山先生はいつもそこで勝負しているのがすごいと思った」

(中略)

 羽生と藤井の対決は日本中のファンを沸かした。2年目に敗れたとはいえ、それは藤井システム自体の敗北を意味するものではない。藤井システムの今後を、藤井自身はどう見ているのだろう。

「最初はすぐに行き詰まると思って始めた戦法。竜王になってみんなに研究されたらもっと厳しくなると思っていたのに、いまだに生き残っているということは、それなりの戦法なのかもしれません。5割勝つのが目標なら戦法はなんでもいいんです。でも、7割勝とうと思ったら普通に指していてはできない。それには新しいことをやるしかない。藤井システムは自分の中ではずっと成長してきています。その反面、一つの戦法に慣れてしまうと、それに頼ってつい研究をなまけてしまうところもある。中飛車や三間飛車で第3の藤井システムを開発したらどうかという人もいますが、それは難しい。今の藤井システムを作るまでには、四間飛車の定跡を一から勉強して10年かかっているのだから。去年はタイトルを取られたこともそうだけど、将棋の内容が悪かったのがつらかった。内容がいいと頑張る気になるから、今は将棋の内容を高めるのが一番の目標です。勝率が上がれば、またタイトルに挑むチャンスも出てくると思っています」

(以下略)

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藤井猛少年の中学生時代、勉強をしたからといっても、試験成績が230番から6番に上がるのは並大抵のことではない。奇跡に近い。

『230番から6番になれる、最強の勉強法』という体験記の本を出したら相当に売れるのではないか。

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とはいえ、藤井猛少年の驚異的な集中力が6番に上がる最大の原動力だったとも考えられ、そのような本が出たとしても、全く参考にならない可能性がある。

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藤井猛九段の中学時代の担任の先生は、2000年1月に行われた藤井猛竜王就位式で祝辞を述べている。

「あの藤井君がこんなに立派になるなんて・・・」

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「5割勝つのが目標なら戦法はなんでもいいんです。でも、7割勝とうと思ったら普通に指していてはできない。それには新しいことをやるしかない」

この言葉は名言だと思う。

藤井猛九段の主力戦法の歴史は次の通り。

片ツノ銀中飛車→振り飛車穴熊(ここまでが研修会・奨励会時代)→四間飛車→藤井システム→藤井流早囲い矢倉→角交換振り飛車

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昨日の王位戦七番勝負第5局で、菅井竜也王位が誕生した。

今回の王位戦で見せた菅井王位の工夫をこらした三間飛車も、全く新しい戦法だ。

菅井王位にしかできない指し回しと言えるだろうが、本当に見事なものだった。

羽生善治二冠は、竜王戦で藤井猛竜王(当時)に2年連続で挑戦し、2年目に竜王位を奪還しているが、この時も藤井システムの対策には苦労している。

今回の王位戦は、藤井システムと真っ向から対峙して敗れた、この竜王戦の1年目と同じような状況と考えられる。

羽生二冠が、今後、菅井流三間飛車にどのような対策を編み出していくのかも含めて、来期王位戦七番勝負での再びの激突を楽しみにしたい。

 

 

禁断の煩悩(対局篇)

将棋世界2003年5月号、高橋呉郎さんの「棋士たちの真情 闘志いまだ健在ー田中寅彦九段」より。

 そういえば、こんなことがあった。平成元年の初春、田中は棋聖の座にあり、絶好調だった。中原誠王座(当時)の挑戦を受けた第53期棋聖戦五番勝負は、2勝1敗とリードしていた。棋王戦は挑戦者決定戦に駒を進め、順位戦も二度目のA級復帰を目前にしていた。

 田中はバラ色の青写真を描いた。棋聖位を防衛し、棋王戦は挑戦者になって、谷川浩司棋王(当時)からタイトルを奪う。順位戦も昇級する。こうなれば、将棋大賞をもらえるかもしれない―思ったことを、腹におさめておけない質だから、つい口に出してしまう。終わってみれば、A級復帰を果たしただけだったが、この敗軍の将は陽気に兵を語った。

「棋聖戦の第4局がケチのつきはじめでした。途中で勝てると思ったのがよくなかった。翌日は島(朗八段)君の竜王の就位式だったんです。私は兄弟子ですから、タイトル戦を防衛して駆けつけたら、スピーチを頼まれるんじゃないか。島君はお洒落で有名だけれど、注文をつけてやろうかとか、そんなことを、ちらっと考えたりしたんです。そしたら、いつのまにか将棋がおかしくなっていました」

 お分かりのように、楽天家であるばかりか、サービス精神の持ち主である。時に応じて、三枚目にもなれる。

(以下略)

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ギリシア神話のオルフェウスとエウリュディケの物語。

毒蛇に噛まれ亡くなった最愛の妻・エウリュディケを冥府から取り戻すべく、オルフェウスは冥界の王とその妃に懇願する。

「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」という条件で妻を連れ戻すことを許されたオルフェウスは、目の前に光が見え、冥界からあと少しで抜け出すというところで、後ろを歩く無言の女性が本当にエウリュディケなのかどうか不安になり、後ろを振り向いてしまう。

後ろにいたのは確かにエウリュディケであったが、一瞬のうちにエウリュディケは冥府に連れ戻され、オルフェウスは悲嘆に暮れることとなる。

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オルフェウスの気持ちはとてもよくわかる。

このような状況で、後ろが気にならない人はいないと思う。

しかし、それが良くなかった。

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私が高校入試で試験問題を解いている最中、(2週間後、この県立高校に合格発表を見に来て、合格ならばその足で中学へ行って先生に合格の報告をするのが定跡となっている。その時に、親しかった2年生の女子生徒の何人かが手紙や贈り物をくれるかもしれない)と一瞬考えたりしていた。

そのような光景は1年前に見ていたので、我が身にも、と思ったわけだ。

しかし、合格発表の日、私の受験番号は合格者に含まれてなく、目の前が真っ暗になる。その日はとぼとぼと家に帰った。

翌日、公立高校を落ちた生徒が中学へ行って担任の先生と話をする日。祝日(春分の日)なので、ほとんど校内には人がいない。

第二志望の私立高校の受験はこれから。

後輩の女子生徒が祝ってくれるどころか、その真逆の寂しい校内。

入試の最中に合格後の姿を妄想してはいけないと、強く思った日だった。

もっとも、合格していたとしても、私に手紙やプレゼントを手渡してくれる女子生徒が皆無で、それはそれでショックを受けていたかもしれないが。

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タイトル戦、この1勝で防衛(または奪取)という局面で、防衛後(または奪取後)のことを考えると、あまり良くない結果が待っていると言われている。

この記事での田中寅彦棋聖(当時)のエピソードもその典型例。

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あと1勝で王位を獲得できる菅井竜也七段。若い世代なので煩悩が頭の中をよぎることはあまりないと思われるが、煩悩とは関係なく、あと1勝が大変であることは古来より伝えられていること。

今日の午後、菅井七段にとっての1回目の正念場を迎える。

 

 

福崎文吾七段(当時)と百貨店

将棋世界1985年1月号、神吉宏充四段(当時)の「関西若手はどないじゃい 福崎文吾七段の巻」より。

「5、6、7、8、早く指さなー10やでー」奨励会員がパシリと指す。その手がすこぶるいい手で、「ああー!まったや、まったやあ!」「だめですよ、福崎先生」。「もうーしゃあないなー5、6、7」。

 関西将棋会館の道場に行くと、たまに福崎七段(これからは文吾ちゃんと呼ぼう)が、奨励会員を相手に10秒将棋を指している所を見かける。「やったあー、これで5番勝ちね」とかいいながら、ズンチャカズンチャカ音頭を取り、さわいでいる。

 それを見ていた道場のアルバイトの学生は、福崎七段とはつゆ知らずに、「お客さん、もうちょっと静かに将棋を指してください」と注意した。すると文吾ちゃん、「うわあーごめんなさい」とそこはあやまり、アルバイトの学生が、向こうに行くとまた10秒将棋を始めるのであった。


 福崎文吾七段。25歳、血液型O型。とにかく、明るくて楽しくて優しい。何か吉野家の牛丼のキャッチフレーズみたいになってしまったが、本当に彼はいい男だ。

 また、彼を紹介するには、よき伴侶、睦美さんの事なくしては語れない。そこで福崎夫妻のエピソードを探してみた。


 福崎夫妻はいつも仲がいい。文吾ちゃんの無邪気な遊び心を睦美さんが理解している。例えば、こういう事があった。それは夏の暑い日の出来事であった。家には扇風機しか無かったので睦美さん、文吾ちゃんに「あなた、こう蒸し暑いと耐えられないわ。ねえ、デパートでクーラー買って来て下さいよ」とクーラー代を渡した。お金をもらった文吾ちゃん、「うん、そうだね睦美、よく冷えるやつを買って来るよ」と元気よく飛び出していった。が、この時一緒に行っていればと後で悔やむ睦美さんであった……。


 さて、デパートへ行った文吾ちゃんはどうなったか。クーラー売り場へ行きかけると何やらにぎやかなコーナーがあった。”何か楽しい事をやってる”そう思った彼は、クーラーを買いに行ったのを忘れて、その売場に寄ってしまった。


その売場とは、最近流行のパソコンコーナー。もともとゲーム大好き青年の彼は、ついついそのパソコンゲームに夢中になり、係の人の「今ならお買い得ですよ」の声に文吾ちゃん、「いえ、今日はお金を持ってないから」といいかけてサイフを見ると何故かお金がある。「あっ!お金があるから買うぅー」。

 後で睦美さんとケンカになったのはいうまでもない……。


 二人が初めて会ったのは、テレビ対局の時。文吾ちゃんが対局で、睦美さんは記録係だった。二人きりになったのは、北海道の百貨店の将棋まつりで。この時の二人のデート場所が凄い。「睦美さーん、ここへ入ろうよー」で入った場所が百貨店の恐竜展の会場。「うわー恐竜だ、ステゴザウルスだー」と一通り見て帰りに、「睦美さん、恐竜大図鑑買おうかー」。


 二人は外へ出る時も必ず手をつないで行く。また、遠くへ買い物に行く時は、先日買った一台の自転車(モナリザ号と命名)を二人で相乗りする。全く仲睦まじい夫婦だ。ただ、買い物が多いと文吾ちゃんは荷物のかわりに置いていかれるとか……。

(中略)

 彼は奨励会員達のよき兄貴役で、みんなと一緒によく遊ぶ。トランプ、パソコン、シミュレーションゲームと何でも来いだ。例えばシミュレーションゲームをやっている時など「睦美さんは上杉謙信ね、南君は徳川家康ね、僕は織田信長だ!」等と役割を決め一晩中遊ぶ。そして食事は睦美さんの手料理である。スープが出て来て文吾ちゃんは言った。「皆、早よ飲まんと熱いで」……ん?


 ほんとに陽気な人だ。先日も谷川研究会(略して谷研)に来て、将棋は指さずに、彼の愛唱歌”宇宙戦艦ヤマト”を1時間ほど歌いつづけてさっぱりして帰って行った。まあ、こういう風に普段は童心で明るい彼も、一旦、対局となると凄い勝負師になるのだ。


 とにかく、神秘的としか形容しにくい対局態度である。

 ”お願いします”対局が始まって福崎七段の手番、しかし彼は初手から一向に指す気配がない。そう、彼は必ず最初黙祷を数分間するのである。その意味は不明。とにかく”福崎神秘流”は最初から神秘なのである。先日のNHKの対局でも見られた方は多いと思うが。


 福崎将棋の特徴は何といっても穴熊と終盤の切れ味である。

 谷川名人が彼に3勝7敗と大幅に負け越し、”彼と将棋を指すと感覚を破壊される”と嘆き、その終盤感覚に脱帽した。

 今期の十段リーグでも大活躍、米長三冠王に頭ハネをくらったが、その実力から見て来期は優勝候補にあげられよう。

 また昇降級リーグ戦も好調で、こちらも昇段候補であり、彼はここ数年のうちに必ずタイトル戦に登場するだろう。

(中略)


 文吾ちゃんは将棋に対してはすごく真面目で、彼が奨励会時代、四段になるまではと座布団を敷かなかったことは有名。しかし、一旦将棋を離れると童心に帰り、楽しいジョークのわかる好青年になる。

 睦美さんとの二人三脚も息がピッタリ、羨ましい限りだ。

 ファンの皆さん、筆者は声を大にしていいたい。彼こそ本当に愛すべき人物だと。

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福崎文吾九段が、非常に面白くてユニークなキャラクターであることが一般的に知られるようになる、はるか昔の時代の話。

一朝一夕で福崎九段が意表を突くような面白いことを話すようになったわけではないことが、これでよく分かる。

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福崎九段が結婚したのは1983年。奥様の睦美さんは女流初段で、1988年に引退、退会をしている。

「棋士と結婚したのではなく、好きな人がたまたま棋士だったのです」

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「信長の野望」が発売されたのが1983年。クーラーを買わなければならなくなったのが同じ年であったことが、このような展開に結びついたようだ。

ファミコンが大ブレイクするのは1985年頃から。

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恐竜の時代は1.5~2億年続いたと言われている。

人類は誕生してから、人類の最初をアウストラロピテクスとすると300万~400万年。現代人と同じグループとされるクロマニヨン人を最初とすると20万年。

神が天地創造をしたとすると、神の姿は人間に似たものではなかったのではないか、と思えてしまうほどの恐竜の先輩感だ。

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谷川浩司名人(当時)が「感覚を破壊された」という題名で書いた、対福崎七段戦の自戦記 →谷川浩司名人(当時)「感覚を破壊された」

 

 

第58期王位戦第5局対局場「渭水苑」

羽生善治王位に菅井竜也七段が挑戦する王位戦、第5局は徳島市のの「渭水苑」で行われる。→中継

渭水苑」は結婚式場のある料亭で、当初は1977年に16億円の費用で建てられた邸宅だった。


前夜祭および大盤解説会が行われる渭水苑・祥雲閣のCM。

[渭水苑のランチメニュー]

渭水苑の料理は本格懐石料理。

例えば、徳島の食材だけを使った「徳島づくし」
5,400円 (サービス料別)は以下のような献立となっている。

菜の花辛子和え
伊谷蕎麦米汁
鳴門鯛薄造り
阿波尾鶏のスープ仕立て鍋
足赤海老の源平焼き
山菜天婦羅
ぼうぜの酢締め
菜飯
五種盛り合わせ
赤出汁
鳴門金時を使ったデザート など

[渭水苑の昼食実績]

渭水苑での昼食実績は次の通り。(将棋棋士の食事とおやつによる)

2016年王位戦

羽生善治王位 ●
一日目 阿波尾鶏の親子丼
二日目 松花堂弁当

木村一基八段 ○
一日目 鉄火丼
二日目 阿波尾鶏の親子丼

2015年王位戦

羽生善治王位 ◯
一日目 阿波尾鶏の親子丼
二日目 松花堂弁当

広瀬章人八段 ●
一日目 阿波尾鶏の親子丼
二日目 ざるうどん

2014年王位戦

羽生善治王位 ◯
一日目 冷やしうどん
二日目 松花堂弁当

木村一基八段 ●
一日目 親子丼
二日目 松花堂弁当

2013年王位戦

羽生善治王位 ◯
一日目 松花堂弁当
二日目 親子丼

行方尚史八段 ●
一日目 親子丼
二日目 親子丼

2012年王位戦

羽生善治王位 ◯
一日目 冷やしうどん
二日目 松花堂弁当

藤井猛九段 ●
一日目 冷やしうどん大盛り
二日目 冷やしうどん・鯛めし

2011年王位戦

広瀬章人王位 ◯
一日目 親子丼
二日目 刺身御膳

羽生善治二冠 ●
一日目 親子丼
二日目 松花堂弁当

2010年王位戦

深浦康市王位 ●
一日目 松花堂弁当
二日目 冷やしうどん、おにぎり(梅)

広瀬章人六段 ◯
一日目 天ぷらうどん、おにぎり3個
二日目 親子丼

 [昼食予想]

羽生善治王位は、2015年までは親子丼と冷やしうどんを交互に頼んでいたが、昨年は親子丼。今年は冷やしうどんに戻るか親子丼のままか、目が離せない。

菅井竜也七段は、理屈抜きで鉄火丼に行きそうな感じがしてならない。

予想は次の通り。

羽生善治王位
一日目 阿波尾鶏の親子丼
二日目 松花堂弁当

菅井竜也七段
一日目 阿波尾鶏の親子丼
二日目 鉄火丼

 

 

 

行方尚史六段(当時)「あんまりひどいので、もっとひどくなれ、とやった」

将棋世界2003年12月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。

 今期の新人王戦決勝は、行方六段と田村五段の対戦となった。

「とうが立った新人ですがね」と行方六段はテレていたが、言われてみれば四段になってから十年たった。

 デビューするや、いきなり竜王戦で連戦連勝。決勝三番勝負まで勝ち上がった。あのときの驚きは、今の渡辺五段が勝っている有様と同じだった。それほどの早熟の天才が、その後いま一つパッとしない。クラスは上がり、毎年勝ち越しているけれど、そんな程度の成績で満足する才能でない。今回の決勝戦を上昇のきっかけにしてもらいたい。まごまごしていると、渡辺世代に抜かれてしまう。

 田村五段もまた特異な存在だ。その早指しには独特の迫力がある。あるときは対戦した羽生竜王名人が「ノータイムで負かされそうで、怖くなりました」と言ったくらいだ。才能があるのは間違いないが、それが開花しないでいる。

 というわけで、大きな一番でどちらが才能を見せてくれるかが興味深い。

 午後3時ごろだったか、控え室のモニターテレビを見ると、田村五段が▲3五歩と銀頭に歩を打ち、△同銀と取ったところだった。それが10図で、手がありそうだな、などと考えていると、田村五段が入って来て、櫛田君と雑談をはじめた。そしてテレビ画面に眼を遣り、自分の手番と知ると、対局室へ戻って行った。余裕たっぷりなのも道理で、このとき必勝の手順を組み立ててあったのである。

10図以下の指し手
▲2二歩△同金▲1七角△3四歩▲3六歩△1五歩▲3五歩△1六歩▲2六角(11図)

 7分の考慮は田村五段にしてが考えた方だ。▲2二歩から▲1七角が必殺の手順。見たところ銀が助からない。とりあえず△3四歩だが、▲3六歩で状況は変わらない。

 行方六段は銀損の代償を△1五歩に求めたが、この程度では勘定にならない。どこかでやり損なっていたのである。

11図以下の指し手
△1七銀▲同桂△同歩成▲同香△同香成▲同角△2五香▲2六歩△1六歩▲1八飛△1七歩成▲同飛△1四歩▲7五銀△8五馬▲3四歩△2六香(12図)

 局後、行方六段は「あんまりひどいので、もっとひどくなれ、とやった。でも△1七銀なんてやってはいけませんね」と自嘲したが、花村九段みたいだ。悪くなったらさらに悪い手を指して、相手を迷わせるのが花村流だ。理屈というか気持ちはわかっても、誰も実行できない。

 ただ、はちゃめちゃ流は、すぐ効果があらわれた。田村五段が、▲1七同香と手拍子で取ってしまったからだ。香交換から△2五香と打たれ、さらに△1六歩となって角が死んだ。だいぶもつれ、12図の△2六香で、△6三馬と馬を使えば結構いい勝負になっていたのではないか。

 戻って▲1七同香では▲2九飛と逃げ、△1八と▲2七飛なら問題はなかった。田村君が局後頭をかかえた場面である。自らの軽薄を戒めたわけ。

12図以下の指し手
▲1四飛△1三金▲1五飛△2五桂▲2二歩△2七香成▲6八玉△1四歩▲1六飛△3七桂成▲2一歩成△2五角▲4五桂(13図)

 ▲2二歩は田村好みの指し方。味のよい手で誰でもこう指したくなる。

 この後、▲6八玉と早逃げして万全を期し、以下の▲2一歩成から▲4五桂で決めた。7五の銀も働きそうで申し分ない寄せ形だ。

13図以下の指し手
△1六角▲6四銀△3四角▲5三銀成△3二玉▲2二銀
まで、田村五段の勝ち

 くわしい変化は省いたが、行方六段が粘る気なら、手がないわけではなかった。

 しかし天才肌の行方君は、出来の悪い将棋なので、粘っても無駄、とあきらめていた気配もあった。新人王が決まるのならともかく、まだ第1局である。勝負はこれから、の思いもあっただろう。感想戦を終えて控え室に顔を出したときもさばさばしたものだった。

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田村康介五段(当時)が応手を誤ったとはいえ、11図から先手の角を殺してしまう手順が非常に見事に思える。

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この期の新人王戦は、田村五段が2勝1敗で優勝する。

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「悪くなったらさらに悪い手を指して、相手を迷わせる」という花村元司九段の花村流極意。

「不利な時には戦線を拡大せよ」の格言とともに、現実の世界では参考にしてはならないけれども、一局の将棋の中では有効な戦術だ。

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不利な時に戦線を拡大すると、日本陸軍のインパール作戦を筆頭に、非常に良くない状況となる。

悪くなってさらに悪いことをしたら、もっと酷い目にあう。

現実の世界では、誤った判断によって被るリスクは青天井だが、一局の将棋の中での最大のリスクは負けること。

ボロボロに負けても、僅差で負けても、その一局に負けることで済む。

もちろん、タイトル戦のカド番、昇降級がかかった一戦など、敗局による損失が大きい場合もあるが、こと一局の将棋での中では、大差をつけられて負けたとしても、ペナルティが加算されるわけではない。

そういった意味で、「悪くなったらさらに悪い手を指して、相手を迷わせる」や「不利な時には戦線を拡大せよ」は、リスクが青天井ではない一局の将棋の中では、大いにとり得る手段であるということが分かる。