将棋世界2001年12月号、増田裕司四段(当時)の第32回新人王戦準決勝〔対久保利明七段〕自戦記「14年の月日」より。
久保「もう苦しいです。食べられません」
増田「ギョーザ1人前しか食べてないやん」
当時小学6年生で、5歳年下の久保さんと食事に行った時は、小柄でかわいい少年だった。
あれから14年が経ち、盤の前には名人経験者をなで斬りにして王座挑戦を決めた久保七段が座っている。どこまで自分の力が通用するのか?不安もあったが対局できる楽しみの方が強かった。
(中略)
久保さんとは、研修会からずっと一緒に修行をしてきた。研修会は私が一期生で、久保さんは少し遅れて入会してきた。奨励会入会は、私が昭和60年6月で、久保さんは昭和61年10月入会。三段の昇段の一番は久保二段(当時)が相手で、その将棋に勝って三段になった。しかし、三段リーグで途中参加できなかったので半年近く待っている間に、久保さんも三段になって結局、三段リーグは同時スタートとなる。
(中略)
初参加の三段リーグは32名の中から2名が四段になれるリーグ戦。ちなみに私が三段になった日に、東京でも行方尚史さんと松本佳介さんが三段になったので、3人とも同じ順位だった(大きなお世話だと思うが3人とも負け越した)。
その中で、久保三段がなんと初参加で、あと1勝すれば四段という所まで行った。
(中略)
久保三段は昇段の一番を負けたが、次の三段リーグでは見事四段に昇段。私はこの後、9期(4年半)三段リーグを戦うことになる。
(中略)
私が三段リーグを9期戦っている間に久保さんは、順位戦昇級、勝率第一位賞と勝ちまくり、東京に移籍する等、遠い存在になってしまった。
△6五同飛には意表を突かれた。私は、△6五同銀を予想していた。△6五同飛の狙いは▲6六歩なら手順に△6一飛と引いての一手得である。本当に軽快な将棋だと思った。弱気に▲6六歩も考えたが、大阪に帰ってから畠山鎮六段に「そんな手は将棋の手じゃない!!」と言われそうなので、怖いが踏み込んでいった。
(中略)
棋士という職業のいい点は、サラリーマンと違って上司とかの人間関係等、全く関係なく、すべて自分の力だけで出世が決まる所だと思う。悪い面は、成績が公表されるので負けが多くなった時は、ごまかしがきかない所で、人間全体が劣っているかのように思われることも多い。
いいか悪いかは微妙だが、60歳になっても18歳の新四段と同じ土俵で戦わなくてはならない時もある。普通の会社では、社長と新入社員が対等で戦うとか、社長が新米に頭を下げることはまずない。
(中略)
本局の数日後、クーラーを入れっぱなしで寝てしまったために、熱を出して4、5日間寝込んでしまった。完治するのに2週間かかった。自己管理も実力のうちだと思う。最近は週に一局のペースで対局がある。次の対局が気になって、心から休める日は1日もない。対局が終わって寝るまでの間だけは解放される気分だ。
三段リーグを戦っている時は、例会の2週間前に友人と遊んでいても将棋が気になって、先に抜け出して帰ったりもした。2週間後の例会では負け…。
(中略)
7図以下の指し手
▲6四香△6三香▲同香成△同銀▲6五香△7二銀▲5五角△5四金▲4六角△6五金▲同歩△4三香▲1三角成△4七香成▲6四歩△1七竜▲3一馬△4一歩(8図)正月に師匠(森六段)の家で新年会があり、弟子一人一人が今年の目標を言っていくのが恒例になっている。私の目標は、同じ門下で3人目の新人王(棋界初)を目指しますと言った。師匠と弟弟子の山崎君が新人王になったので冗談半分に言ったのだが…。
▲6四香に△4一香とすると、手筋の▲5二歩がある。▲5五角のところで▲6三銀と指そうとした瞬間、△同銀▲同香成△6七銀の筋が見えた。誰かがテレパシーを送ってくれたように…。そういえば8月8日は兄弟子の村山九段の命日だった。
▲5五角は次に▲6二銀△同歩▲7一竜の筋を狙っている。
(中略)
8図以下の指し手
▲8八銀打△1四歩▲4二馬△同歩▲3三角成△3七竜▲6三金△4六角▲7二金△同金▲6三銀△7一金▲7二金△9五歩▲7一金△同銀▲6一竜△9六香▲7一竜△9八香成▲同玉△6四角▲8二銀(投了図)
まで、127手で増田の勝ち▲8八銀打として勝利を確信した。この手で▲3三角成も、△1一竜なら▲同馬でうまそうな手に見える。しかし▲3三角成には△同金とされ、▲1七竜に△4四角が王手竜取りになる。▲8八銀打は王手竜取りを消した手だ。
以後は、両者ほとんどノータイムで終局となった。
(中略)
本局は運良く勝ったが、本当に勝ったとは思っていない。久保七段は5図から2手後の▲5二竜を軽視していたようで、その後は力を出せる局面がなかった気がする。次に対戦した時に勝てれば、本当の勝利だと思っている。
久保七段はB級1組で、棋王戦、王座戦と挑戦者になり、猛スピードで走り続けている。彼の後ろ姿が見えない。
自分なりに走り続けて、いろんな景色を見てみたい。棋士になったのだから…。
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村山聖九段は、19年前の今日、亡くなっている。
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悪手は指した瞬間に気がつく場合が多いので、指そうとした瞬間に気がついたということは、たしかに、非常に珍しいケースと思われる。
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「対局が終わって寝るまでの間だけは解放される気分だ」。
多くの棋士がこのように感じているのかもしれない。
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解放感は、味わおうと思ってもなかなか味わえるものではない。
曜日で言うと、土日休みの場合であれば、一番解放感があるのが金曜日の夜。
遠足の前夜が一番楽しい理論。
土曜日は、やや解放感が減少し、日曜日は午後になると一気に解放感がなくなる。
多くの方がそうかもしれないが、『笑点』のテーマ曲を聞くと、かなり憂鬱な気分になってしまう。
個人的には午後6時を過ぎると諦めがつくのか、『サザエさん』のテーマ曲はあまり気にならない。
月曜日にどのような楽しいことが待っていても、日曜日に解放感がない、というのが私の日曜日だ。
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増田裕司六段と村山聖九段→増田裕司四段(当時)「この日は師匠から、村山さんが心配なので終わるまで待機している様に言われていた」