羽生善治竜王(当時)「今でも苦しい局面に立った時に思い出す、忘れられぬ一手だ」

将棋世界2003年6月号、アサヒスーパードライ広告「勝利への躍動 羽生善治竜王<奨励会篇>」より。

「負けたくない一手」

 今でも指した当時の感触を覚えている一手がある。

 奨励会に入会して2年目のころ、私の勉強といえば詰将棋を解くことと自分の指した将棋を振り返るくらいで、序盤の研究はほとんどやっていなかった。そのため奨励会時代はいつも作戦負けばかりしていた。

 今でも印象深く覚えている将棋は米谷和典さんとの一局である。米谷さんは昭和56年入会。私が入会する1年前で、奨励会時代によく対戦した先輩だ。

 図の局面は持久戦風に見えるが出だしは私が急戦を仕掛けてそれを米谷さんにうまく受け止められてしまったもの。

 後手からはいつでも△3六歩と決戦する権利があるのに対し、私の方からは何も手出しができない。やはりいつも通り私の作戦負けになってしまった局面である。

 ここで私は5九に歩を打った。飛車交換に備えた底歩だが、この手は厳密に言えば悪手。今なら指せない手なのだが、▲5九歩には「負けたくない」という気持ちがにじみ出ていた。この気持ちが相手に通じたのか、その後私は徐々に挽回し、ついに逆転勝利に結びつけた。

 今でも苦しい局面に立った時に思い出す、忘れられぬ一手だ。

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昭和60年1月10日、羽生善治二段-米谷和典二段戦と注釈がついている。

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居飛車側からの急戦を受け止めて1図の石田流の形を築く米谷二段の腕力が凄い。

1図から△5二銀~△6三銀と組み替えれば振り飛車側はほぼ理想形。

△3六歩からいつでも飛車交換が可能。

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▲5九歩は、根性300%の一手。

「この手は厳密に言えば悪手」と書かれているが、後手から見ると、飛車交換後の楽しみが心理的にかなり減ってしまう。嫌な一手だ。

このような局面から終盤の腕力で勝ってしまうのが、奨励会時代の羽生善治三冠。

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米谷和典さんは大友昇九段門下で、郷田真隆九段の兄弟子にあたり、大崎善生さんの『将棋の子』にも登場する。

米谷さんは奨励会退会後、職業を転々とするが、不動産会社の営業で実力を発揮し、その後、司法書士試験に合格する。

現在は東京・西新宿に司法書士事務所を構え、指導棋士五段。

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それぞれの棋士がそれぞれの「苦しい局面に立った時に思い出す、忘れられぬ一手」があると思う。

そのような特集があれば興味深い。