「名人に負けるなんて弱い奴だな」

将棋世界2003年5月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。

 やがて大阪の途中経過が送られてくると、アレッ?という一局があった。

 それは注目の一局の一つの森雞二九段対小林健二九段戦で、早くも大勢が決している。小林九段に見損じが出たのである。

 1図は定跡のような局面で、さばきを求めて3三の銀が△4四銀と出たところ。

 気になるのは、▲1五歩と攻められる筋だが、△同歩▲同香△5七角成▲同金△1五香の二枚替えでよし、と読んでいる。

 ところが―。

1図以下の指し手
▲1五歩△同歩▲4八銀(2図)

 この日の継ぎ盤の主は、先崎八段と日浦七段。私から見れば豪華な顔合わせである。いい話をたくさん聞ける。

 その二人が手早く盤上の駒を動かし、▲4八銀の所になると、「こりゃ一杯食わされたね」と言った。

 ▲4八銀と目標の銀をかわしたのがうまく、2図は次の▲1五香が受からない。この実戦例もあるらしいが、私も知らなかった。

 実戦は2図以下、△4六歩▲1五香△2二角▲2四歩と進み、たちまち先手有利となった。そして、夕食休み後の今も小林九段が粘っているが、形勢はいかんともし難くなっていた。

 1図の△4四銀は、昼休みの直後に指された。そんな早い時刻に不利となっては、小林九段も辛かったろう。うつむき苦考をつづける小林九段と、笑いをかみ殺している森九段の姿が目に浮かぶようである。

 20日ほど前、小林九段と故山口瞳宅へうかがった。昔、板谷進九段が山口さんに駒を贈ったが、それを夫人が返して下さった。そのお礼をしたいと小林九段が言うので案内したのだが、その帰路の雑談で小林九段は、「去年の暮から、対局のとき和服を着ることにしたのです。そしたら勝てるようになりましてね(たしか7勝3敗とか聞いた)ところが、順位戦だけ負けてるんです」と苦笑した。和服を着るのは、ある種の決意の表明だ。

 そういえば、と連想がつながり、これも昔の話(昭和53年)になるが、森九段が名人戦に登場したときの第1局で、頭をツルツルに剃ってあらわれ、一同を仰天させたことがあった。これなんかも決意の表明の典型的な例で、相手の中原名人は、薄気味悪いものを感じたか、第1局はいい所なく敗れた。

 この一局の観戦記を書いたのが山口瞳さんで、森語録を書いている。その一部を引用すると、

「その一。真部一男新六段が中原に負けた。森がそれを聞いて、名人に負けるなんて弱い奴だなと言った。真部は中原によく、負けても4勝3敗になっていた。森はそれを思い出して『ああそうか、名人戦なら名人になっていたのか』」

 今でいえば、中原が羽生で、真部は堀口一史座といったところか。この他森は言いたい放題。まったくこの頃はみんな活力にあふれていた。

 8時すぎ、報告が入って、森勝ちがわかった。

(中略)

 森対小林戦を並べていた子供の声が背後から聞こえた。「森先生にしてはすっきりした将棋だな」

 こういうとき、時代が変わった(いつも言っている)と思うのである。

(以下略)

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2図の▲4八銀。

まさに「梯子をはずす」という言葉がピッタリの一手。

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「名人に負けるなんて弱い奴だな」は、気合い200%。

「中原名人に負けるなんて弱い奴だな」と読み換えたほうが正しいだろう。

その後の「ああそうか、名人戦なら名人になっていたのか」は、うって変わって冷静な言葉。

『冷静と情熱のあいだ』という辻仁成さんと江國香織さんの小説・映画があったが、内容は全く違うが、そのタイトルが思い浮かんでくる。

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河口俊彦七段(当時)は、この時の「新・対局日誌」の後半で、

 奨励会員達に将棋の基礎体力が不足しているのは、たしかなような気がする。

 B級2組の欄で言ったが、今の森九段の将棋を、何の感動もなく見ているのでは情けない。竜王はともかく、せめてB級には昇りたい、と思ったら、剃髪した頃の森将棋を並べることだ。

と書いている。

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森雞二八段(当時)の名人戦での剃髪。

森八段は第1局の前の晩に髪を切って、その後はそのままだったのでスポーツ刈りのような髪型になっていた。

それが、七番勝負での森八段の敗因だったようだ。

中原誠十六世名人は「もし剃髪をずっと続けられたら正直いって自信はなかった」と2009年に書いている。

仮面の男