将棋世界1983年2月号、読売新聞の山田史生さんの「第21期十段戦七番勝負終わる 中原、ついに無冠返上”永世十段”を獲得」より。
先の名人戦七番勝負は千日手、持将棋は別にすると全部先手番勝ちだった。ところがこの十段戦ではこれまで全部後手番勝ちとなっている。もちろん単なる偶然であろうが、こう片寄ると何か参考にしたい気持ちもしてくる。
なおもう一つ別のジンクスがある。56年度のタイトル戦は全部保持者が防衛した。即ち、名人戦中原-桐山は中原、十段戦加藤-米長は加藤、棋聖戦二上-中原、二上-加藤はいずれも二上、王位戦中原-大山は中原、王将戦大山-中原は大山。棋王戦米長-森安は米長、ついでに王座戦、大山-勝浦は大山。
ところが57年度は今のところ全部挑戦者の勝ち。即ち、名人戦中原-加藤は加藤、棋聖戦二上-森は森、王位戦中原-内藤は内藤、王座戦大山-内藤は内藤。
この色分けでいくと十段戦は中原勝ちというケが出るのだが、先手後手でいくと第6局は加藤が勝つ順番になる―。
こんな思惑を胸に秘め、第6局は12月20、21日、東京・千駄ヶ谷の将棋会館にて。
(以下略)
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昭和57年度(1982年度)、名人戦も十段戦も中原誠十六世名人-加藤一二三九段戦だった。
名人戦が全部先手番勝ち(加藤一二三名人誕生)、十段戦が第5局まで全部後手番の勝ち。
同じ対局者の組み合わせでこのような流れになるのだから、不思議といえば不思議だ。
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昭和56年度のタイトル戦は全部保持者が防衛した。
昭和57年度のタイトル戦は十段戦より前は全部挑戦者の勝ち。
十段戦第6局は加藤一二三名人(当時)が勝ち、第7局、振り駒で中原誠前名人(当時)が後手番になって中原前名人が十段位を奪還すれば、両方のジンクスを満たし続けたわけだが、なかなかそうはなるものではなく、(十段戦後手番勝ち)のジンクスが(昭和57年度挑戦者勝ち)のジンクスに敗れた格好だ。
昭和57年度は、この後、
棋聖戦、森-中原は中原勝ち
王将戦 大山-米長は米長勝ち
と挑戦者勝ちが続いたが、棋王戦、米長-大山が米長勝ちとなり、昭和57年度全タイトル戦挑戦者勝ちとはならなかった。
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戦後、全タイトル戦挑戦者勝ちだったのは1952年だけ。この時のタイトル戦は名人戦、王将戦、九段戦の3つだった。
全タイトル戦保持者勝ちは、大山康晴十五世名人全盛期を除いて、1970年度以降では、1971年度、1975年度、1981年度のみ。