将棋世界2003年8月号、アサヒスーパードライ広告「勝利への躍動 羽生善治竜王名人<タイトル戦篇>」より。
第43期王位戦七番勝負で私は窮地に追い込まれていた。10連覇の懸かった防衛戦であったが初戦から3連敗し、4戦目には早くもカド番となってしまったのである。この追い込まれた状況で自分は一体どんな将棋が指せるのか。私はこの苦境に立ちながらも、不思議と客観的に自分自身を観察していた。第4局は先手の谷川浩司九段が得意とする角換わりに誘導。一撃必殺の激しい戦型でタイトルを取りにこられた。
図は角換わり腰掛け銀先後同型の仕掛けから、先手が▲4五桂と金取りに跳ねてきた局面。
図から最も自然な一手は△3二金と引く手であり、私自身も図の局面の先手を持って△3二金▲4一角△7四角▲2八飛△4二飛▲1一銀と進んだ前例がある。
ここで私が指した手は△2四金。歩越し金の悪形で常識的には考えにくい手だ。こう指されたら先手を持ってどう決めるのか分からないと思っていたのだが、実際カド番に追い込まれた一局で指すには勇気が必要だった。結果的にこの将棋に勝つことができ、△2四金は「好手」と認められた。土壇場に追い込まれた状況で勇気を持って踏み込んで勝利につながった、印象に残る一手である。
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1図からの△2四金は、心理的にも感覚的にも指しにくい手。
この後、▲5三桂成△同金▲7一角△5二飛▲6一銀△5一飛▲6二角成△4二銀と、後手の辛抱が続く。
本当に勇気がなければ踏み込めない勝負手だ。
羽生善治三冠の好きな言葉に「運命は勇者に微笑む」があるが、まさに△2四金がそのような典型的な一手となるのだろう。
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この時(2002年)の王位戦七番勝負で羽生善治竜王(当時)は1勝4敗で敗れている。
広告に載せる題材で、勝局とはいえ失冠したタイトル戦での一局を選ぶところも、一局一局を大事にする羽生三冠らしいところ。