将棋世界2003年6月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。
板谷君がA級に昇った年だから、昭和48年だっただろう。彼が「日将ブックス」の一冊を依頼されたので、手伝ってくれ、と言ってきた。B級1組順位戦の12局の自戦記をまとめる本で、そんなのお安い御用と引き受けた。
すると板谷君は、いい温泉があるから、そこに罐詰になって一気に仕上げよう、と言って名古屋へ呼び出した。
ここからが大変で、連れて行かれたのは「濁河温泉」。下呂と高山の中間に、「飛騨小坂」という駅があり、そこからバスで5、6時間も山道を登った。着いた所は海抜2,600何メートルかの高所で、木曽御嶽山の頂上直下だった。
温泉宿は一軒あるだけで、他に客もいない。いい温泉にゆっくりつかって、仕事は翌日から、と思っていたが、板谷君はそんな甘くない。夕食もそこそこに、すぐ仕事しよう、と言う。
コタツに布製の盤をひろげ、板谷君が解説しながら図面を作り、私が文を書くのである。第一日は夜2時ごろまでで終わり、第二日はまた朝からこもりっきりである。板谷君が仕事熱心とは聞いていたが、これほどとは思わなかった。疲れてちょっと横になろうとすると、「起きろ」と怒声が飛ぶ。せっかくいい所へ来たのだから、散歩しようよ、と言ったって、てんで問題にしない。
そんなわけで、三日目の夕方には、あらかた本は出来上がった。正味二日で一冊の本が完成したわけだ。
そこへ大阪から、陣中見舞いだ、と言って伊達さんが来た。着くなり「えらい所やなあ」と言って引っくり返った。その夜は小宴会のつもりが、「そんな気力はあらへん」とか伊達さんは言って休んだ。
四日目、山を降りるときは、刑務所から出たような気分だった。そして、これで帰るんじゃあんまりだ、ということになり、下呂温泉に寄って芸者を上げての大騒ぎ。結局、一冊の本の印税をそっくり使ってしまった。
昔の棋士は、そんなことばかりやっていたのである。ちなみに書名は「熱血順位戦」で、なかなかの好著だったと思う。
帰って芹沢にこの話をしたら「楽なことやりやがって」と口をゆがめた。彼は常々、自戦記を書くほど楽な商売はない。それをやるのは堕落だ、と言っていた。
(以下略)
—————-
藤井聡太四段の大師匠(師匠の師匠)にあたる故・板谷進九段。
—————-
一人で書くなら山ごもりをする必要はないと思うが、解説役と執筆役の共同作業なので、山奥にカンヅメになるのはかなり有効な方法だ。
—————-
「そこへ大阪から、陣中見舞いだ、と言って伊達さんが来た」の伊達さんは、伊達康夫六段(当時)のこと。
—————-
多くの作家が執筆のためにカンヅメになったのが東京・駿河台の山の上ホテル。
出版社の多い神保町に近いということもあるが、御茶ノ水や神保町近辺とは思えないほどの静かな環境、客室数も少なく落ち着いており、ホテル側の面倒見も良いという、作家にとっては理想的な条件が揃っているようだ。
—————-
山の上ホテルについては、常盤新平さんが『山の上ホテル物語』を書いている。これは小説ではなくノンフィクション。とても面白い本だった。
まだ読んでいないが面白そうなのが、柚木麻子さんの『私にふさわしいホテル』。
元アイドルと新人賞同時受賞という最悪のデビューを飾った新人女性作家が主人公。執筆依頼はないのに自腹で山の上ホテルにカンヅメになる。
—————-
作家である主人公(ジャック・ニコルソン)が、雪深く冬期には閉鎖されるホテルの管理人として家族(妻、長男)と一緒にホテルへやって来るところから始まるのが映画『シャイニング』。
家族3人だけで5ヵ月間暮らし、小説の執筆に専念しようという計画だったが、主人公はホテルの悪霊に取り憑かれ、様々な恐ろしいことが巻き起こる。
カンヅメの失敗例だが、この映画は、とにかく二人の少女の幽霊が怖い。