藤井猛九段「全然いいと思っていたんだけどな」、三浦弘行八段(当時)「エッ?どこでですか」

将棋世界2003年12月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。

 大広間では藤井九段対三浦八段戦(A級順位戦)と、各社棋戦が数局。鈴木八段対櫛田六段戦が終わり、鈴木勝ち。しばらく感想戦をやってから、田村六段と両対局者三人が、楽しげに夜の街へ出て行った。以前なら毎日見られたこうした場面も、最近は珍しくなった。

 さて、藤井対三浦戦は早くも戦いに入っていて、控え室の評判は、藤井優勢。もっとも夜戦に入る前の検討は、直感で言っているから十分な根拠はない。

 3図は▲4五歩の仕掛けから三浦八段が動いた場面。藤井九段はこれを待っていただろう。

3図以下の指し手
△4七歩▲同飛△7七角成▲同桂△1四角▲3六歩△2四飛▲5五角(4図)

 △4七歩はカウンターパンチ。対して三浦八段は恐れず▲同飛と取る。

 しかし、角交換から△1四角と打たれ、これで大丈夫なのかと思う。なにしろ先手陣の金銀は全部離れ駒だから。

 ▲3六歩突きの受けはこの一手。ついで△2四飛▲5五角も、こう指すだろうと言われていた。

 そうして4図。誰だって後手が指せる、と思うだろう。藤井九段も自信を持っていた。△3六歩という味のよい攻めが残っている。

4図以下の指し手
△3二銀▲1一角成△3三桂▲5六銀△3六歩▲7八金△4六歩▲同飛△2七飛成▲3四歩(5図)

 勝又五段が△3二銀を見て「なるほど、アイデアだな」と感心した。普通に△4二銀は、▲1一角成△3三桂の後、▲4三歩の叩きが残る。

 やがて△3六歩と取り込む手順になった。次に△3七歩成▲同飛△6九角成があるから▲7八金はやむをえない。すると△4六歩の叩きから△2七飛成が実現した。もう藤井優勢は誰の目にも明らか、と思われたとき、三浦八段は静かに▲3四歩と打った。

 その瞬間、藤井九段はニヤリとした。たしかに笑ったかどうかはともかく、私にはそう見えた。実際藤井九段は「こんな手が間に合うはずがない、と思った」と言っている。

5図以下の指し手
△4五歩▲4八飛△2九竜▲3三歩成△3七歩成▲4五飛(6図)

 ともあれ△4五歩と打ち、△2九竜と桂を取る。次に△3七歩成があって、調子のよいことこの上ない。

 三浦はなすがまま、といった感じで、▲4五飛まで進める。

 そうして6図。問題はこの局面である。

 控え室には森内九段、深浦朝日選手権者、石川六段の他に数人の棋士がいてにぎやかだが、はばをきかせているのは、村山四段、戸辺三段などの十代の若者だ。継ぎ盤の前に陣取り、堂々と意見を言い、駒をピシリピシリと動かす。先輩の顔色をうかがうといった様子がない。

 私が「渡辺君は勝つかね」と聞いたら「勝ちますよ」。ためらいなく答えた。

「第4局は現地へ行くの?」

「ええ、渡辺君を胴上げしようかな。みんな腕力がないから、鍛えておかなきゃ」。本気になってベンチプレスを上げるそぶりまでした。

 羽生の強さを骨身にしみて知っている森内九段、深浦七段は言葉がない。

 肝心なところで話がそれてしまった。

 6図は、繰り返すがどう見ても後手が優勢。控え室の全員がそう判断した。ところが、どうやって勝つか、の具体的な手順が見つからない。先手陣は▲3九歩があって意外に固く、攻めは、▲3二とや▲4二とがうるさい。

 いろいろやっているうちに、「後手優勢とは言えないんじゃないか」みんな怪訝な顔で見方が変わっていった。藤井九段も、異変に気づいたか動かなくなった。

 丸山対青野戦のその後はどうなったか。

(中略)

 うめくように青野九段が言って、感想戦を終わった。作戦通り事が運んでいたのに、の無念さがあらわれていた。

 ほとんど同じころ、藤井対三浦戦が終わり、三浦八段が勝った。

 終わるとすぐ「全然いいと思っていたんだけどな」と藤井九段がボヤくと「エッ?どこでですか」と三浦八段が反論するように言った。

 私は、そうだったのか、とこのとき分かった。あの6図の局面で三浦八段は、自分が優勢、と見きわめていたのだ。ということは、仕掛けたときから、6図とそれ以後を見通していたわけだ。直感でダメと捨ててしまいそうな手順と形の内面に、意外なアヤを感じ取った感覚が素晴らしい。その感覚があるから、手順を読み究められるのである。

 念のため、6図以下簡単にふれると、△4七と、のような平凡では負けと読んだ藤井九段は、△3八と、と意表に出たが、▲3二と△4九竜▲同飛△同と▲6五桂△4八飛▲7五香(9図)でやはり後手いけない。最後の▲7五香も見かけない筋だが、この形では急所を突いた。

 本局は、三浦八段の最高傑作であろう。

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5図、6図とも、振り飛車側がかなり有利に見えるのだが、実は居飛車側有利とは、本当に奥が深い。

三浦弘行八段(当時)の大局観と踏み込んだ読みが素晴らしい。

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藤井猛九段の「全然いいと思っていたんだけどな」と、三浦弘行八段の「エッ?どこでですか」が、兄弟子と弟弟子の真面目なやりとりなのに、妙にこの二人らしくて可笑しい。

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2014年の電王戦タッグマッチで藤井猛九段と三浦弘行九段がニコ生で一緒に解説をしているが、その時の会話が絶妙で、場内は大爆笑だった。

藤井「右四間といえば三浦君のイメージがちょっとあるんだけど、三浦君がね右四間をやるのは僕に対してだけなんですね」

山口恵梨子女流「へええー」

藤井「私の四間飛車をまともに受けるのが嫌で、プロ間では少数派の、私とやるときだけいっつも右四間やってくる。普通はこういうのは変化球だから、まあ、たまにやるのが普通なんですけど、私がA級にいた時は毎年これやってくるんです」

山口「なぜですか?先生」

三浦「いや……兄弟子の研究を恐れて右四間で戦おうと、そういうことなんです」

藤井「毎年で俺も飽きてきたよ、あんまり同じことやらないでよ」

三浦 (苦笑)

山口「勝敗のほうはどうなんでしょうか」

藤井「勝ったり負けたり。でもね、こっちとしては毎年同じで成長ないねという感じでやってるんだけどね。その点についてはどうなの?少しは自分の成長をアピールする指し方しないの?」

三浦「兄弟子と解説すると決まった時からイヤな予感がしていたんですが」

藤井「こういう時でしか話せないことを、案外、棋士同士ってこういう話しないんですよ。せっかく聞いてくれている人も多いんだから、ためになるじゃない。どういう気持でやってくるの?」

三浦「私も右四間の本を出しているだけに、好きというのもあったんですけど、本出してますから」

藤井「好きなのに俺にしかやらないから、なんかね。あっ、久保さんにも少しやってたか」

三浦「ということで、許してくださいよ」

(以下略)

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しかし、調べてみると、ここ20年の藤井-三浦戦で三浦九段が右四間にしたのは、2003年のこの時のA級順位戦と1999年のB級2組順位戦(三浦六段の勝ち)の2局だけ。

藤井九段の振り飛車に三浦九段が袖飛車にしている対局も複数局あり、そのことが藤井九段の中では右四間のイメージに繋がっているのかもしれない。

あるいは、ファンを楽しませるために、藤井九段が話を盛っている可能性もある。

どちらにしても、「全然いいと思っていたんだけどな」と「エッ?どこでですか」のやりとりが、藤井九段の心に刻まれ、大盤解説の時のボヤキの伏線になっているようにも思える。

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今日の14:00から叡王戦予選で藤井猛九段-三浦弘行九段戦が行われる。→中継

本戦トーナメント進出をかけた一戦。

両者は3年9ヵ月ぶりの戦いになる。

 

 

名人と聖人報道

将棋ジャーナル1984年1月号、横田稔さんのアマプロ名人記念対局〔菱田正泰アマ名人-谷川浩司名人 角落ち〕観戦記「下手完勝」より。

 名人位を奪って以来、谷川さんは黒星続きのようだ。昨年の加藤一二三新名人のときもそうだったが、空前の取材攻勢がひとつの誘因ではあるのだろう。ただ昨年と少し違うのは、加藤名人がその人柄の欠点(といえるべきものかどうか)が興味本位に書かれたのに対し、谷川名人については、ちょっと過剰なくらいその人柄の好さが強調される報道が多いことである。

 もちろん浩司名人のふるまいの自然さや礼儀正しさに嘘はない。しかし、それはそれとして21歳の青年にとって将棋界の第一人者である「名人らしいふるまい」という要求とこの谷川「聖人報道」がときに不自由に感じることはないのだろうか。自分の作ったイメージに自分が振り回される苛立たしさ。

 こんなことをふと考えたのは、先日、たまたまNHKの少年向き番組に出ていた谷川名人が、インタビュアーが同年代の明るい女性であったせいか、いかにも21歳の若者らしい、はしゃいだしゃべり方をしていたのを見たせいである。もちろんこれは私の勝手な憶測であって当人には何の関係もないことかもしれないが、そのVTRには、どこからみても、どこにでもいる将棋が好きな普通の若者がいた。名人であることを忘れたような谷川さんの姿を初めて見たような気がしたからである。

(以下略)

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物事、適度なら良いが、過剰になると歪みが起きてくることが多い。

過剰なくらい人柄の好さが強調される聖人報道が、有名税あるいは名人税とでも言うべき仕方がないことなのかもしれないが、なかなか難しい問題だ。

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加藤一二三名人誕生時に書かれた興味本位な記事とは、対局時の奇行(頻繁な空咳、ひふみんアイ、中腰になるなど)について。

それが時代の変化とともに、加藤一二三九段の面白い個性としてポジティブに捉えられるようになってきたわけで、昭和に比べてギスギスした感情が蔓延している現代においては快挙と言えるだろう。

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1983年から1984年頃というと、私は、週刊新潮と週刊文春を毎週買い、サンケイ新聞をとっていた時代。

中学を卒業すると同時にそれまで熱心にやっていた将棋からは離れていた私だが、将棋に関する記事が出れば読むこともあった。

その記憶で言えば、加藤一二三名人の奇行の記事を週刊文春で読んだような感じがするが、谷川浩司名人の記事は覚えていない。

将棋には日本人平均よりも詳しい私でさえそうだったのだから、世の中全般もはもっとそうだったかもしれない。

人をほめる記事はなかなか読んでもらえず、記事の対象となっている人にとってネガティブなことが書かれている記事の方が皆の記憶に残る。

私が読者として自戒するところだ。

 

 

伝説の月刊誌『将棋ジャーナル』に載った、今では考えられないような座談会

10月25日の記事、米長邦雄八段(当時)「血液型を調べてもらったら、なんとAB型といわれた。昨日までB型だった」の中で、米長邦雄永世棋聖が将棋世界1983年11月号で、

将棋J誌11月号に棋士の血液型の話が載っていた。なかなかおもしろいエピソードも語られていたが、私の血液型に関しては間違っている。

と書いていることを紹介した。

今日は、この将棋J誌11月号の棋士の血液型の話。

将棋ジャーナル1983年11月号、B型偏見座談会「血液型を知らないと、損をする!」より。

B型偏見座談会
伊藤果五段
木屋太二(観戦記者)
増井美代子(日暮里将棋センター席主)

―プロでB型の人は、大山、中原、二上、米長(ABという噂もある)大内、広津、灘、亡くなった塚田、金先生……ざっと調べただけですが、ずいぶん多いですね。

木屋 10年位前、僕が将棋世界編集部にいた時ね、プロ棋士の血液型の記事が載ったでしょ。権威の能見正比古先生の。あの原稿は僕がもらいに行ったんだけど、玄関でね、先生が「私はBですがあなたは?」と聞く。ボクもBですと答えたら、あ、それじゃあ将棋棋士に向いているからきっと強くなりますよって……。

増井 ところがどっこい、全然当たらなかった(笑い)。

伊藤 B型将棋は、ひとことで言うと美学だね。

木屋 ウン、A型は加藤ピンさんや内藤、升田、みんな、真面目に求道精神にみちあふれている。O型は名人谷川、圧力の勝負。そこへいくとBはまさに美学って感じ。

伊藤 最長手数の美学、かな。代表は淡路、森安。長いほうが強いんですよ、Bは。穴熊もやる中原、米長ドロ沼流(笑い)。『風車』なんて、Bじゃなきゃできない。

木屋 それと、軽さってこともあるね。加藤ピンさんの棋風は重厚だってよく言われる。でも大山、中原はあれだけネチネチ強いのに誰も重厚だなんて評さないでしょ。どこか軽さが感じられるよ。

伊藤 とにかく指してさえいればそれで満足の境地が感じられるね。A型内藤の、詰むものは詰まさなアカンみたいなシンドイところがBは全然ない。

増井 それとさあ、定跡無視。他人の真似ごとは絶対イヤだってとこなあい?

木屋 あるある。ボクなんかジョーシキとジョーセキがダメな男で。

増井 定跡なんか全然知らないけど、知ってても意地でも他の手を指してみたくなる。

木屋 田中寅ちゃんがね、彼もBなんだけど、普通の手が見えないって言うの。普通に歩を突くとか当然歩得する一手とかっていう、A型の人なら当たり前の常識の一手が全然わかんないって。で、奇抜な手ばっかり見えちゃうんだな。

伊藤 B型は終盤が強いですよ。

増井 言える言える。そこんところをいっぱいしゃべろうよ。

伊藤 大局観は強くない、全体は読めないの。

増井 アイデアは抜群なのよね。

―伊藤さんは詰将棋作家でもありますが。終盤が強いということと詰棋とは関係ありますか。

伊藤 それは関係ないですね。解く専門と作る専門気質とは別ですからね。

木屋 北原善治さんは詰棋の神様みたいに思われている人でしょう。僕は何度か指したことあるけど、実際指してみるとその終盤は……大局観の将棋だね。だから。あの人はO型だ。ジャーナル誌で詰棋のページをやってる桔梗君もOだ。

伊藤 詰棋作家はOが多い。ほとんどOじゃないかな。例の900何手なんて大長編を作った山本昭一さんもO。僕がBだって言ったらビックリされたぐらい、B型作家は珍しいらしいね。

木屋 時に長編となると、力だから、O型向きなんだ。

伊藤 詰棋は将棋の弱い人でも作れる。そもそも詰棋の有名な専門家ってのは全部指し将棋のアマだしね。

増井 若島正さんは、作る方も解く方も有名でしょ、あの人。

木屋 ウーン、あの人は……ABみたいだけど、Oかな?

伊藤 Aでもないね、ハッキリ。一人離れてサメて生きてる。でも、意外とOじゃないかなあ。

木屋 僕が詰将棋を解く時は、たとえば、まあ桂馬をひとつ打ってみるかと……それが正解ってことがほとんどだね。始めっから他の手は全く浮かんでこないんだ。

増井 そ、直感力なのよ、Bは。将棋も直感で指すのね。その場の対応力がすぐれてるから。

増井 ねえ、せっかく集まったんだから、B型の行動力でもって何かおもしろいこと計画しない?

伊藤 それで思い出した。こないだ連盟地下の食堂で、たまたま田中寅ちゃん、大島君、ボク、島君の4人でメシ食った時ね、キャンピングカーを買おうって話をしたわけ。僕のアイディアなんだけどね、金を出し合って買ってさ、盤駒積み込んで全国を廻って、その土地の駅前かどっかで将棋の無料指導をやるわけよ、普及のために。食うことはまあまあ土地の人にごちそうになったりしてね。駐車場料金は高くて大変だから、これはB型理事の中原さんに頼んで出してもらってと。とにかく連盟がちっともアイディアないみたいだからボクらで動いて少し世のためになる良いことをしてやろうと。次々にアイディアがふくらんでいったわけ。実はその時メシ食う直前まで、そんなことは夢にも思ってなかったんだけど(笑い)

増井 いかにもB型、なのよねえ。

伊藤 ところが、皆でワイワイ相談がまとまりそうになったのに、一人だけ、おかしな奴がいてね。大島君なんだけど。「伊藤さん、もし雨が降った場合は外で指せないでしょ」とか、「日程を組むのが大変じゃなかろうか」とか、言い出した。こいつ、イヤなこと言う奴だなあと思った。あとでわかったんだけど、彼だけO型だった(笑い)他の3人はBなんだ。

増井 そ、ホントBの中にOが一人入ると話が元にもどっちゃうのよね。(と、増井さんは司会役のY記者をニラム。記者はO型)

―ええっと、ゴホン(せき払い)谷川新名人もO型で、それから名人のお兄さんの俊昭さんが読売日本一をとりまして、彼もOですね。

伊藤 最近流行ってきちゃったんだよな、Oが。(笑い)

木屋 Oは現実性がすぐれていて、将棋は戦いの精神で指してるね。谷川名人は、ゴーイン圧力のかたまりだ。直接的な手が多いでしょ、でっかい手ばかり。マジンガーZでがっちりつかまえようって感じの棋風だから、いやだよな。谷川名人の棋譜を並べたけど、なんかBとは違うって感じ。

(中略)

木屋 Oはたとえば5七銀左みたいに、圧力で行くタイプだ。大島四段も自分で言ってたね。一人将棋をやると、敵玉が8二あたりにいると7四歩、7五銀の形に、自然になっちゃうんだって。

増井 疲れるなあ。だいたいOは集中力がすごいじゃない。

木屋 ノックアウトパンチが強い。

伊藤 ボクシングのチャンピオンで一番多いのがOでね。ゴルフ界もOだな。個人プレーでテクニックのあまりいらないストレートなやつはO型タイプだ。サッカー、バレーボールなんかはAが多いの。

―相手の血液型を知ってると便利だってことはありますか。

伊藤 それは、あんまりとらわれないほうがいいですけど、ある程度はありますよ。

木屋 僕なんか、敵の血液型を知ってたら、まずそれを考えますね。Oはだいたい駒取り主義にくるなとか、Aならほぼ棋理にのっとった真面目な手を指してくるはずだから、とか。

増井 Bは駒を大事にしないね。だいたい、何も大事にしないね、Bは。私なんか、えらくカッコいい手見つけてサ、見てよホラ、スッゴクかっこいいでしょうって、自分でホレボレしながら指してる。

木屋 Bは人と違った自分のスタイルを指したいって欲求が強いんじゃない。大山名人の焦土戦術もそうでしょ、そっちで駒を取られてもこっちで位を取れればいいっていう……。割と実戦的ないい手を見つけるんだよ、Bは。だけどAの人なんか、Bの指した手に肝をつぶしちゃって、読めないで困るんじゃないかな。感覚的だし。

増井 あまのじゃくだから、Bは。

伊藤 僕なんか、指してる最中はまさにB型美学だね。たとえば、この飛車何回動くかな、あ、きょうは10回で死んだゾ、とか(笑い)そんな不必要なこと考えてるわけ。A型の人は、笑うよね。

―人間関係では、血液型がずいぶん重要だと言われてますが。

増井 まったく、そうなのよ。特に男女関係となると、もう。(中略)BはOに対して従順なのね。ABが一番しっくり合うみたいに優しくなれる。ハッキリ言って、Aは一番苦手。ウチの道場へ来る人で、何か、感じの違う人は、必ずAだわね。ガンコで悲観的。

(中略)

増井 ウチは明治大学将棋部の男の子に順ぐり手合係のバイトしてもらってるけどね、アタシ年中オコルでしょう。そうすると彼等は仲間同士で、増井さんは今は怒ってるけどあしたは忘れちゃうんだから、気にするなよ、気にするなよって……。特にA型の学生にはそう言って慰め合ってるみたい。Aは、泣くからねえ、とにかく。ちょっと怒るとすぐ泣く。

(中略)

伊藤 体型と血液型の関係もあるね。体型って、主に顔だけど。Oは丸っぽいでしょ。女流の神田真由美ちゃん、アマの南君……パンダタイプはたいがいOだ。で、アゴの感じが残ってるのは、僕なんかは典型だけど、こういうのはBですよ。

増井 ちょっと待ってよ、顔の形と血液型なんて、私初耳よ、だって中原さんなんかどうなるの、あんなにまん丸じゃないのよォ。

伊藤 いや、意外と、近くで横から見ると、骨っぽく張ったアゴですよ。中原さんも。Aはね、スラッと面長、ウリザネ顔っていうか。

増井 ええっ、ウッソー、蛸島さんまん丸よォ。

伊藤 横から見るんだよ、鼻とかキュッとした感じでしょ。林葉直子ちゃん、中瀬ナッちゃん、みんなAね、そしてABは全くハチャメチャな造作で規律なし、か。逆にすごくいい顔か、極端。

増井 AB?加部康晴、小池重明、美馬和夫、内田昭吉、金子タカシ

木屋 ヤッパリ……ネ(笑い)

増井 かっわいそう。主観の問題でしょ、それは。美馬君なんかさあ、とってもいい顔してんのよォ。

伊藤 だから美馬君はすごくいいほうの顔なのさ(笑い)

木屋 ABははげしい人が多いんだね。小池、内田さんみたいに家庭なんぞ全部放り出しちゃう、ほとんどビョーキ的。それから、大きいこと狙うんだよね、さっき出た名前の中で3人は読売日本一だぜ。

伊藤 プロはAB少ないなあ。芹沢さんはABだ。

増井 かわいいのよ、私、好きだなあ、一番気が合うみたい。

木屋 だけど裏切るとコワイよ。

伊藤 ウン、美馬君なんか裏切ったら後ろからナイフでグザッ、かな。

増井 ネクラなとこある。どうもABってのは本心がわからないしね。

伊藤 座談の名手、まとめ役……。

増井 そっ、日暮里研究会でまとめ役やってくれるのはABばっかりよ。

木屋 話は飛ぶけどさ、各将棋雑誌の編集部の血液型、調べたんだ。

伊藤 ウンそれ行こう。

木屋 『近代将棋』は森編集長がA、その下の中野さんAB、甲斐さんB。『将棋世界』は竹内編集長がB、鈴木君A、松下君O。『将棋マガジン』沼編集長がO、渡辺君O、女性の西村みどりさんB。『将棋(支部機関誌)』は小泉編集長がB、高峰君と萩山君がA。こうやって並べてみるとね、読者が雑誌を読む上で参考になると思うよ。僕自身は、Bが活躍してる所は最近おもしろくなってきたように感じるね。

伊藤 『将棋ジャーナル』は理想的なんじゃないの?

木屋 代表の関さんと湯川編集長がO、Oコンビ。その下にナントカナルの横田、放浪の下村、この二人がB、ネクラの中野君がABでしょ。これは組織として非常にうまくいってるはずですよ。本もおもしろいしね。

―ありがとうございます(笑い)ところで皆さんの血液型に凝りだしたキッカケは……。

増井 木屋太二はさあ、私の影響で始めたんでしょ?

木屋 キッカケはね。しかしその資質はあったのよ、そもそもB型は好きなんだなあ血液型が(笑い)

伊藤 僕は荒木一郎さんの影響。

木屋 そういえばあの人、何型?

伊藤 いや、まあ、ちょっとエピソードがあるんで、後でいいます。

増井 わかったっ、Aでしょっ!

伊藤 いや、まあ……。荒木さんはご存知のように芸能界の人で、今はプロデュースの仕事ですか、元歌手であり作詞もやるし何でもやる人なんです。でね、とにかくすっごくくわしいの、血液型に。もう、科学的、臨床的なくわしさ。

増井 アタシほどじゃないでしょう(笑)

伊藤 血液型の権威で能見さんともう一人、鈴木さんて人がいるでしょ。その鈴木さんの、師匠のほうの勉強をしたんだって。

増井 1925年に日本で初めて血液型をやったのは古畑っていう人だけど?

伊藤 その人とは違うと思う。

増井 鈴木さんて、面白くない。

伊藤 能見さんはBでしょ。というのは、僕ら彼の本を読んで、その内容からハッキリご本人はBだと確信できるわけ、ところが鈴木さんはね、その本の作り方、あの構成のしかた、文章とかで、まさにA型じゃないかと思うんだけど。

増井 賛成、絶対賛成、鈴木さんキライ、おもしろくない。

伊藤 鈴木さんは血液を科学にしたい人だが、能見さんは読み物に仕上げている。

木屋 ま、A型の読者なら鈴木さんのがいいって言うだろうけど。

増井 能見さん死んだの惜しい。

伊藤 いま息子がやってる。

木屋 息子はAだってね。

増井 そう。私ね、アボ(ABO)の会に入ろうと思って新聞送らせたけど、やめた。A型息子は、やっぱりつまんなかった。

伊藤 で、ね、話が大分それたけどォ……(笑い)

木屋 B型はすぐ話が飛ぶんだよ。

増井 で、何なの、何型なのよ、荒木さんは。

伊藤 実はB型なんですよ。ところがお母さんの荒木道子さんが、AB型と思い込んでいて、マスコミにもそう流れちゃってるんです。ABは芸能マネージャーに多いんでまわりの人が荒木さんは自分の血液型を嫌っていると錯覚していたんですョ、長い間。でも、彼も我々と同じB型仲間なんですヨ。

木屋 芸能界は、B型が向いているんじゃない?美人はA型に多いけど。

増井 でも司会やる人、歌う人、役者みんな違うのよ、知ってる?それぞれの適性。あたし調べた。

伊藤 自己顕示欲が強いのはOです。アイドル歌手はA。

伊藤 ジュリー(歌手 沢田研二)の、あの怪物、不滅ぶり、一見O型みたいに見えるでしょ。ところが、たまたま2日前に会って聞いたんだけど、Aです。

増井 真面目なんでしょう。

伊藤 そう、本人何も才能なし、アイディアなし、ただ周りのスタッフがすぐれていてね、それをA型ジュリーは何もかも従順にやっているだけ。Aは人形になれるからね。映画スターで言うと、高倉健、何だと思う?

木屋 Aでしょう。

増井 いや、Oって感じだけど。

伊藤 Bです。

木屋 えっ、本当かい?あの人寡黙でしょう。

伊藤 意外にいろんなことにチャレンジできる、自由な人です。それから西田敏行もB。

(中略)

増井 Aってのは、いつも縁の下の力持ちになっちゃう。

―そろそろ、将棋の話にもどりたいと思いますが……

増井 アハハ、現実的軌道修正のO型だ。

木屋 少し発展的なことを言うとね(笑い)これから将棋を強くなりたい人とか、奨励会に入ったりする人は、自分の血液型とその特性を、ちゃんと考えに入れたほうがいいと思う。それに応じた勉強の仕方がある。何となく大山が好きとか升田だとか、ムードで先輩たちの棋譜を並べてるだけじゃ、どこか合わなくなってくるはずだよ。Oの人は谷川名人、Bなら中原、大山、Aは加藤(一)、内藤さんの将棋を勉強する。それは一番スッキリ感動できて、肌に合うんじゃないかな。

―なるほど血液型もうまく利用すると思いがけない効果が得られるかもしれませんネェ。楽しいお話ありがとうございました。

(リライター 桂子)

O型司会者の感想

B型3人集まると、たしかに話が飛びます。実はこの原稿、テープのあっちこっちから共通項を拾い集めて、つくりあげたものです。テープを聞くと、3人同時にしゃべってたり、それをO型司会者がまとめようとして強引に戻したり、楽しくも騒がしい座談会でありました。

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将棋ジャーナル同じ号、木屋太二さんの「男の早指し」より。

 ジャーナルのB型将棋座談会。日暮里将棋センターの近くのちょっとした飲み屋で。詳細はそっちの記事をごらんいただくとして、内容は最初に考えていたものよりかなり外れてソートーにひどい結果となった。

 理由のひとつ。司会者Y氏がO型であったこと。さらに、B型3人集まればカシマシイで、自分の言いたいことばかりいっている。これじゃあまともなものが出来るわけがない。テープを起こした湯川恵子さん、苦労したでしょうね。同情します。

 後日、編集長に会った時、「もう一度やり直したい」といったら、「そんなヒマはありません」だって。O型は冷たいのだ!増井さんも泣いていましたぜ。言いたいことは何も言ってないって。こんなところにもB型の身勝手さがあらわれているのかな?

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この頃、第二次血液型ブームであったようだが、それにしても凄い。

血液型の話が好きな私が見ても、驚くような、というか何もここまで…というような座談会。

司会は、編集長の湯川博士さん(O型)。

当時の『将棋ジャーナル』のエネルギーが感じられる破天荒な座談会だ。

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今では伝説となっている『将棋ジャーナル』は、1977年から1993年まで刊行されていた月刊誌(当初は隔月刊)。

創刊から1989年までは日本アマチュア将棋連盟が、1989年以降は団鬼六さんが発行していた。

アマチュア棋戦やアマプロ戦がメインとなっており、多くのアマ強豪が執筆していた。

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日暮里将棋センターは、アマ強豪が多く通っていた道場。で、小池重明さんのホームグラウンドとなっていた。

中学生名人戦に出場するために上京していた村山聖少年が小池重明さんと指したもの、日暮里将棋センター。

増井美代子さんは女性アマ強豪で、日暮里将棋センターを閉めた後は、クラブを経営している。

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書き起こしが湯川恵子さん(A型)。

A型なので、座談会の最中は肩身が狭かったという。

座談会とはいっても、居酒屋での座談会。時系列的にはバラバラな発言を、それぞれテーマごとに集めてきて並べ替えたものであるということなので、ものすごい苦労があったことだろう。

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一時期、B型の棋士が減っていたが、中村太地王座、豊島将之八段、糸谷哲郎八段などの活躍により、B型棋士はかなり盛り返してきている。

B型ばかりの対局室

 

 

2017年10月将棋関連新刊書籍

2017年10月の将棋関連新刊書籍。

〔11月以降の新刊〕

 

 

「あら、それじゃうちの文吾さんの方が優しいわ」

将棋世界1986年10月号、西川慶二五段(当時)の「将棋相談室」より。

「西川先生、おむつを替えたりはするんですか」

 突然、某女流棋士に聞かれた。我が家には4ヵ月になる長男和宏は居り、彼女には1歳に満たない女の子がいる。

「あやしたりはするけど、その様な事は一切しません。西川家の男は代々そうなので」

「あら、それじゃうちの○○さんの方が優しいわ。おむつもお風呂も全部出来て、良くやってくれるの」

 私は、彼氏ならさもありなんと納得したのであった。彼女の○○さんは、関西在住の若手棋士である。

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西川和宏六段が生まれてから4ヵ月経ったころの話。

西川慶二七段は西川和宏六段のおむつを替えることを一度もしなかった可能性が高いということになる。

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○○さんが誰なのかは、正解を今日のタイトルに書いている。

「棋士と結婚したのではなく、好きな人がたまたま棋士だったのです」

福崎文吾七段(当時)と百貨店