竜王戦秘話

将棋世界2003年12月号、山田史生さんの「ベテラン記者が綴る 竜王戦秘話」より。

 今期竜王戦七番勝負の開幕にあたり「竜王戦秘話」を、とのことである。

 私は竜王戦創設(昭和62年11月に予選スタート、63年10月から七番勝負)に読売新聞社員としてかかわり、第9期までは直接の担当者であった。第10期以降も観戦記者として竜王戦は見続けている。ありがたいことに将棋界の最高棋戦としての注目度は高く、観戦記以外にも竜王戦のあれこれを書いたり話したりする機会は数多くあった。だから改めて秘話といっても、さほどのものはないので、ここでは思い出や苦労話を書くことでご容赦いただきたい。

 第1期は米長邦雄九段-島朗六段。その第1局は名古屋市の「ホテルナゴヤキャッスル」。二日目夕、対局室の窓から名古屋城が間近に見え、その城を中心に美しい虹がかかった。島はそれに気づき、あとで「きれいでしたね」と感想を述べたが、米長は「気づきませんでした」。

 第2局は宮城県の松島。ここでも二日目夕方、虹がかかった。この時はにわか雨もないのにどうして、と関係者は不思議がった。

 新設の棋戦を祝ってくれるかのように虹が連続して出、”虹の竜王戦”というキャッチフレーズも生まれたこともあって印象深く、その時の虹の色は今だにまぶたの内にある。

 そしてその虹をかけ上がったのは25歳の新スター島朗であった。

 第3局は宮崎市。終了の翌日、カヤ(榧)の産地で知られる綾町へ出かけた。取材で来ていた富岡六段(現八段)はカヤの七寸盤を数十万円で購入したが、島は盤には目もくれず、物産展でネクタイを物色していた。「盤は持っているの?」と聞くと、「いえ、立派な盤には関心ありません。研究には板盤で十分ですから」と答えた。新時代の棋士の登場を痛感させられた言葉として耳に残っている。

 第2期は年号が平成と変わった。19歳羽生善治のタイトル戦初登場とあいまって記念すべき年となった。

 島竜王-羽生六段戦で一番の思い出は第1局の公開対局である。今でこそ公開対局は珍しくなくなったが、タイトル戦の長時間公開は本局が初。これは島が竜王であったからできたことで、島でなければテレビの生中継も含めて、まだ5、6年は待たなければならなかっただろう。

 前年暮れ、島は「山田さん、竜王戦を公開でやりませんか」と言った。私はその言葉を対局中のごく一部、30分かせいぜい1時間ぐらいのつもりで受けとっていたが、島は「一番面白い所を見てもらわなければ意味がありません」と言う。タイトル保持者が公開を望むなら何の障害もあるはずはない。将棋連盟の協力も得て早速準備に入った。

 場所は川崎市民プラザ。都合のよいことに対局室用の茶室、公開用の舞台、さらにその裏には解説用のホールもあり、観客は対局を見たり、解説を聞くこともできたのである。

 ここに当時の写真がある。ちょっと雰囲気がおかしいことに気づかれたであろうか。

 観客のほとんど全員が上着にネクタイを着用していることである。これは当時の将棋連盟理事会より「最高の棋戦を長時間見せるからにはお客さんもそれなりのマナーで見てもらいたい。上着、ネクタイの着用をお願いしよう」と提案があったためである。それが事前にかなり周知され、観客400人がネクタイ姿で観戦したのであった。

 2日目午後3時から午後8時ごろまで、対局者が身をよじりあうほどの大熱戦の終盤と、羽生が投了した終局の瞬間、そして大盤の前での感想戦など5時間余にわたって公開。ネクタイのせいでもなかろうが、観客にはマナーよく、終始紳士的に観戦していただいた。

 この模様はNHKのBSテレビで生中継され、以後竜王戦七番勝負は全て中継されることになった。ちょうどそのころ、BS創世記でソフト(素材)不足の折りと合致したこともあるが、島-羽生戦の内容がよく、視聴者に好評だったことも大いにあずかっていたからと思う。

 第2期は持将棋があったため第8局までもつれこみ、結果弱冠19歳の羽生が初タイトルを獲得した。羽生の終局直後の言葉。「大変なことになってしまいました。(竜王の)責任の重さについてゆけるかどうか」。

 現在タイトル獲得数56を誇る羽生の、初タイトル時の言葉だけに、その初々しさと共に忘れられない。また敗れた島の七番勝負前の話。「まれに見る将棋界の逸材の羽生君と大舞台で戦えるということは棋士冥利につきます」。そして戦い終わったあと「負けたことは悔しいが全力をつくしたし、内容的には悔いはありません。羽生君の初舞台の相手として戦え光栄です」は、名談話として記憶に残る。

(中略)

 ふりかえれば国内の対局場も、いろいろな所へ出かけた。特別な場所として記憶に強く残っているのは第3期の第2局、日光東照宮と、第8期第3局の出雲大社であろうか。

 東照宮では要人接待のための特別室「朝陽閣」が対局室。いたる所に重要文化財や美術品がごろごろ。ふすまにも文化勲章クラスの画家の絵が描かれていて出入りにも神経を使った。NHKBSの中継スタッフの準備も大変で、照明器具、天井カメラの据え付けなどにさまざまな制約をうけて苦労したようだ。対局当日は白装束の巫女さんがお茶出ししてくれたり雰囲気は極めてよかったが、反面食事は少し離れたレストランへ出かけたり、宿舎も車での移動というわずらわしさがあった。

 出雲大社では天皇家のお使いをもてなす特別な建物「勅使館」が対局場。11月初旬で一日目は小春日和。何の問題もなかったが、二日目は寒風が吹き気温も急激に下がった。外は雪も舞いだした。建物は立派ながら暖房設備はなく小さな電気ストーブが置いてあるだけ。それでは広い部屋は暖まらず、羽生、佐藤の対局者は身震いするほどの寒さなので昼休みに大型の石油ストーブを2台入れた。寒さは何とかそれでしのげたが、今度は別の問題が生じた。古い木造なのであちこちに小さな虫が巣食っていたのだろう。部屋が暖められたため何匹もの虫がはい出してきたのである。観戦記担当だった武者野勝巳六段や読売の記者が急遽部屋の中で虫退治する騒ぎになった。

 日光も出雲も、行うこと自体が大きな話題で報道面ではありがたかった。一方運営する直接の担当者としては食事や宿舎への行き来の問題など普通の対局場に倍する神経を使わされた。

(以下略)

 細かいあれこれはあったものの、おおむねは安穏で恵まれた竜王戦だったとありがたく思っている。対局者にも困らされた覚えは一切ない。

(中略)

「指し直し」については持将棋が2回(第2期第2局、第4期第1局)、千日手が2回(第5期第2局、第15期第1局)あった。持将棋は十分戦いあったあとなので棋譜使用ができる。問題は千日手だが、これも二日目午後の千日手はその内容しだいで日を改めて指し直すことができるよう規約を定めてある。よくファンから「持将棋や千日手では困るでしょう」と聞かれるが、竜王戦の場合はあまり困らない。担当者としては一局延びることはむしろありがたい。第5局以降の対局場では七番勝負が早く終わらないよう願っている。地元でイベントを用意している場合も多い。それがストレートで終わってしまえば、多くの関係者ががっかりするのである。メインイベントが長びくことは歓迎というのが私たち担当者の基本姿勢で、千日手規約にも柔軟性をもたせているのはそのためである。

(以下略)

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巫女さんがお茶を出してくれるタイトル戦、将棋と神事は直接の関係はないが、今までにはないような非常に雰囲気のある光景だったのではないだろうか。

私は8年前に出席した結婚式で巫女の舞を見てからというもの、私の中での巫女の評価が非常に高くなっている。

3年前に見た流鏑馬で、巫女のような衣装を着た女性が矢を放つのを見て、平安時代にタイムスリップをしているような気持ちになったこともある。

私の前世は白拍子にばかり夢中になっていた平安時代の没落貴族だったのかもしれない。

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それはともかく、”虹の竜王戦”というキャッチフレーズ。

竜王戦の前身の十段戦は、在位通算10期で永世十段の称号となった(大山康晴十五世名人と中原誠十六世名人が永世十段)。

永世竜王の称号は在位連続5期か通算7期。

十段戦だから通算10期で、虹の竜王戦で虹は7色だから通算は7期になった、とも推測できるが、全く関係のない可能性もある。

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昨日の竜王戦挑戦者決定戦第3局で、羽生善治二冠が松尾歩八段を破り、挑戦権を獲得した。

今回の挑戦で羽生二冠が竜王位を獲得すれば、竜王通算7期で永世竜王の称号を得られることになるとともに、永世七冠の達成となる。

その時は、通算7期と永世七冠で、まさに「虹の竜王戦」。

今回の渡辺明竜王は、羽生善治六冠(当時)が七冠目を目指した1996年王将戦での谷川浩司王将(当時)のような、あるいはそれ以上の、多くの将棋ファンから悪役と見られてしまいがちな立場になるだろうが、これも竜王戦の歴史の中に綴られるドラマ。

今年は竜王戦七番勝負を熱く見つめたい。

 

 

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