将棋世界2004年6月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。
木村七段も残りは20分しかない。ハンカチを口にはさんで考えている。
それを見ていて、芹沢を思い出した。
20年くらい昔になるだろうか。芹沢が北村九段を誹謗中傷するような記事を書き、北村九段がこれに抗議して審問会が開かれることになった。棋士会でそんなことをやるのは前代未聞だが、記事の内容はよく憶えていない。何人かの棋士に聞いたが、みんな忘れている。たいしたことではなかったのだ。
その当日、芹沢は朝から将棋会館に来て、地下の食堂でウイスキーを呷っていた。白い着物に黒の羽織で、決意をもった出立ちである。
正午になって棋士会が始まった。会場は5階の小部屋だったような気がするが、この日は野次馬的棋士であふれた。
大山会長が開会を告げると、開口一番北村九段が「芹沢君は朝から飲みつづけている。大事な会議なのに不謹慎だ」となじった。
そのとき芹沢はいちばん下座にいたが、待っていた、とばかり片膝を乗り出し、半身になって言った。
「私はこのように白紙を口にはんでいる。これは正式な武士の作法であって、こうしていれば、酔っていても酔ったことにならない。北村君はそんなことも知らないのか」
大山会長が下を向いてクスリとしたような気がした。私もだが、みんなあっけにとられた。第一、茶道で使う懐紙みたいなものをくわえて、はむと言われたって、それが「食む」だとは咄嗟に思い付かない。そもそも、そんな作法なんて本当にあるのかいな。聞いたことないが、芹沢が言うのだから本当っぽい。そういう雰囲気を瞬時に作ってしまったのだ。
気転とはおもしろいもので、芹沢の一言で座がざわつき、北村九段も気勢をそがれた。
大山会長が穏やかな口調で「今後は言動に注意して下さい」とか言い、すぐ何事も起こらずに終わってしまった。
さて―。
木村七段は口のハンカチを手に持ちかえ、△9五角と打った。これが用意してあった手で、ここで勝ちが決まった。
(以下略)
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1984年前後、芹沢博文九段が北村昌男九段について書いた文章を探してみたが、少なくとも将棋世界では見つからなかった。
あるいは、書かれていたけれども見落としたのかもしれない。
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大山康晴会長(当時)の考える落とし所は、真面目に議論が行われていたとしても「今後は言動に注意して下さい」だったのだと思う。
大山会長と芹沢九段とは 折り合いが良くなかったし、芹沢九段は将棋連盟を批判するような記事も多く書いていた。
それでも、大山会長は「この機会に芹沢を懲らしめてやろう」などとは考えずに、フェアに裁定を下している。
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「私はこのように白紙を口にはんでいる。これは正式な武士の作法であって、こうしていれば、酔っていても酔ったことにならない」
ネットで調べてみてもこのような作法は見当たらないので、芹沢九段のオリジナルなのだろう。
仮に、そのような作法があったとしても、どのような状況下で使われるものなのかが想像がつかない。
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芹沢九段も、議論が長引く前提で、いろいろな言いたいことを用意してきていたはずだ。
その上での、白い着物に黒の羽織、午前中からの飲酒、懐紙の3点セット。
可能性は低いが、「これは酔っていても酔ったことにならない古来からの武士の作法です。この度は申し訳ありませんでした」とはじめにお詫びをして、持論を述べる戦術だったとも考えられる。
どちらにしても、北村八段(当時)の「芹沢君は朝から飲みつづけている。大事な会議なのに不謹慎だ」によって、局面は急展開。
ここまで芹沢九段がシナリオの一つに描いていたのかどうかはわからない。