将棋世界1986年11月号、浦野真彦四段(当時)の「詰将棋サロン解答」より。
毎月、編集部から送られてくるハガキが120枚前後。一通りザッと解いてみて、不完全と分かるのが半数程。さらに、一題一題時間をかけて調べてみると残るのは30題前後になります。
次に奨励会の村山三段に検討を頼むと、彼は、ニコニコしながら、5題程潰してくれます。この村山関所を越えた作品の中から8題選びます。
以上が選題までの過程ですが、詰将棋が趣味の私にとっては楽しい仕事です。
(以下略)
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120作→不完全作を除いて60作→時間をかけて調べて30作。
この30作の中から選題しても良さそうだが、ここで別の人の目によるチェックを入れるのが浦野真彦四段(当時)の仕事の丁寧なところ。
詰将棋を解くことが好きな村山聖三段(当時)にとっても、歓迎すべき流れだったろう。
最近ではあまり使われない言葉になったが、まさにWin-Winの関係。
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もちろん、師匠の森信雄七段の元でも村山聖九段は、師匠が作った「創作次の一手スーパートリック」などの関所になっていた。
森信雄七段は『終盤力がアップする詰めろ将棋273題』で次のように書いている。
創作次の一手スーパートリックの問題の検討は村山君に依頼していた。「また潰されましたね。」憎らしい表情で何度も潰されて「偉そうに言うなら作ってみろ」と大人げないことを言うと「僕は潰す人、森先生は作る人ですからね」こういう時間が好きだった。
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「詰将棋サロン」では村山聖三段が読者にとっての関所。
「創作次の一手スーパートリック」では若い頃の村山聖九段が森信雄七段にとっての関所になっていたということになる。
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関所というと思い出す別の話がある。
今年の5月29日に亡くなられた元・近代将棋編集長で将棋ペンクラブ幹事の中野隆義さんから、このブログのコメント欄に寄せられた数々の棋士のエピソードより。
「カンジンチョウッ。カンジンチョウッ」
三十年ほど前に、王座戦五番勝負の控え室にて、将棋連盟の大盤解説場からの指し手の問い合わせの電話に出た私めが、継ぎ盤の横に置いてある棋譜を手にとって応えようとしたときのことでした。
声の主は高柳流です。
「君も長いこと将棋の記者やってんだから、そんなもの見ないでも分かるだろう」と言うところを、勧進帳、勧進帳ですませる高柳流はイキだなあと思ったものでした。私めも、締め切りが迫ってこないとやる気が起こらない質でしたんで、歳ははなれていたもののこの方とは芹沢流の表現を借りれば交わってみたいと思っていました。
叶わぬ夢と思っていましたところ、幾度か渋谷の玉久で何度かお会いできたのは幸運でした。いつも見守り役の看護婦さんをお連れしていたのですが、そうとは思わせぬように、ああこの人は私の愛人です、なんておっしゃっていました。
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高柳敏夫名誉九段の「勧進帳」。
これは歌舞伎の演目から来ている。
兄・頼朝に追われた源義経は山伏の姿になって家来の家来武蔵坊弁慶らと逃避行を続ける。しかし、道中の北陸道に安宅の関があり、ここを切り抜けなければならない。
詳細なストーリーは省略するが、絶体絶命の場面を弁慶が機転を利かせて、たまたま持っていた巻物を勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げて危機を乗り越えたというのが話の中盤。
高柳名誉九段の言う勧進帳は、要は紙に頼らず頭の中にあることを言え、ということ。
たしかに、「カンジンチョウッ。カンジンチョウッ」は粋な言い方だ。