将棋マガジン1985年2月号、第11回名将戦決勝三番勝負〔加藤一二三王位-内藤國雄九段〕第2局観戦記「加藤、絶妙手で決戦へ」より。
将棋は、内藤にしては珍しい相矢倉。
端歩を突く突かないは天文学的に難しいといわれている。
最近は端歩を受けない傾向が強く、今でも必ずといっていい程受けるのは加藤ぐらいという。
実はこの将棋の観戦記は最初、神吉四段に依頼したと聞く。その時の神吉の返答が、関西人の情、内藤の人望の厚さをあらわしているようで傑作だ。神吉はこう答えたという。
「他なら、そりゃなんぼでも書きますけど、親分の負けた将棋だけは、よう書けません」
言う神吉も神吉なら、そう言わせる内藤も内藤である。
(以下略)
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このケースの場合、「よう書けません」という言葉から、気持ちがとても伝わってくる。
標準語で言えば、「書くわけにはいきません」「書きたくありません」「書けないです」などになるのだろうが、ややネガティブな感じがして、切ない心情までは伝わってこない。
このような部分が関西弁の優れたところなのだと思う。
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師匠を親分と呼ぶのも非常に新鮮な感じがする。
一般的にはあまりお勧めできないかもしれないが。