板谷進八段(当時)「ただ将棋が好きで、将棋に関わるすべてのことが好きで動いている」

将棋マガジン1985年10月号、米長邦雄十段(当時)の「本音を言っちゃうぞ! 最終回 熱血漢 板谷進八段」より。

米長 板谷君は俺と同期生でね。四段は俺より半年早かったんだ。当時は予備クラスといって、前期に板谷君が抜けて後期、俺が抜けて、敗者復活で大内君(延介九段)が抜けて、この3人が同じ年に四段に昇ったんだな。それで翌年は彼氏と大内君が二人で五段に昇ってね、なかなか迫力のある熱血漢、重戦車というかな、将棋も人間も体つきも、よく似ているね。

(中略)

 彼氏はAクラスに10年近くいたんだけれども、このことは彼氏の才能をみるにだね、本人の精進、努力ということだけでなくて、やはり親父さんの力というのが大きい、と俺は見とるんだな。

 将棋の世界というのは個人技で、家柄だとかそういうものが一切通用しない世界なわけだ。伝統がどうとか格式がどうとか。歌舞伎の世界とか、お茶やお華の世界とは違うんだから。とにかく本人が強ければ報われる、弱ければダメ、ということになっていて、だから将棋の強い棋士の子供がそのまま二代続いてまたトッププロになる、そして、そのまた子供が専門家になる、というようなことはなかなか難しいんだな。家元制度、世襲制度でない限り難しい。しかし、それじゃあまるっきり関係がないかというと、実はそうではないんだね。やはり血筋というものがある。それを示してくれたのが板谷進。もう一人、木村義徳氏。

(中略)

 木村義雄といったら、これはもうただ単なる名人ということではないんだな。それまで低かった将棋の社会的評価を一人でぐーんと引き上げた男なんだ。だから、これまで偉い人はもちろんたくさんいたけれども、ここ100年くらいの中で誰が一番偉かったかといったら、それはやはり木村義雄なんだね。

 その親の七光りではないけれども、木村義徳さんにはそういうものがでていると俺は思っておる。血筋だね。

 だから、実力以上の成績を残すことができたんだ(笑)。

 いつか木村義徳さんと話をしたときに、あんたがここまでこれたのは親父さんの力である、と言ったら、義徳さんは「いや、やっぱり俺の力だ」と怒っていたけれどもね(笑)

(中略)

 で、板谷君の親父さんの板谷四郎先生なんだけれども、非常に真面目でね、嘘をついたり人を騙したりということは絶対にできない人。冗談もほとんど言わない。まあ、酒は好きでね、酒というと熱燗に湯豆腐、おしたし、とこういった感じでキャバレーに行くとか、カラオケで歌を唄うとか、そういったことはしないんだな。しかし、いうならば野武士の風格があってね、骨太の大先輩である。まず奨励会時代に奥さんがいて、すでに子供もおったんだな。今じゃそんなのはいないんだろう?まあ、どこかの彼女に子供ができちゃった、というケースはあるかもしれないけど(笑)、そういうことでもない限り、今はもうそんなことはあり得ないんだな。しかし、それは当然ながら無理なんだよな。

 無理というのはね、結婚して子供がいるんだからまあ、中年だわな。子供の頃から将棋ばかり一所懸命に勉強して伸びようというのが普通なわけだから、中年から一人前の棋士になろうというのはなかなかたいへんだったと思う。その努力、信念というのはなみなみならぬものがあったんだろう。

 それは非常に真面目で熱血漢でないとそういうことは長続きはしないものなんだね。で、大先生はそれをやり遂げて、しかも八段の高位に昇られたわけだ。今は九段になられておるけれども、当時は八段が最上段だったわけだから。

 大先生は今、おいくつになられたのかな、71か2か?今でも銀波荘でタイトル戦があると、よく立会人でおいでになられるようだね。

 あるとき、棋聖戦だったか、先生が60歳くらいだったと思うけれども前夜祭でセックスの話になってな、居合わせたのはサンケイ新聞の杉山部長、それから福本担当、永松大阪担当、副立会の先生は誰だったか……、あと芹沢はくぶんというメンバーでね、その席で大先生が非常に真面目な顔をされて「最近、どうも体が弱くなっちゃってね、週のうちに3回くらいになっちゃった」と、こう言われたんだな。60過ぎにしてこの精力!(笑)。そこだけは二代続いた。芹沢はくぶんは「あれっ?そういえば俺、2年ないなあ」と言っておったけれどもね(笑)。

 親子二代にわたっての棋士だけれども、性格がまるっきり違うんだ。ここがおもしろいところでね、木村義徳さんの場合も板谷君の場合も、それぞれに親父さんとはまったく違う性格で、まったく違うもののみかたなんだよ。しかし、あっちの強さだけは似ておる(笑)。

 まあ、そういうふうな男だと、いろいろなことをしたくなるんだけれどもね、彼氏はお金もある程度あるし、それだけの時間もある。とてももてるとは思えないけれども(笑)。しかし、もてる要素はある。ところがそれを奥さん以外には一切向けない。彼氏はまれにみる愛妻家でね、愛妻家!彼氏は浮気をしたことが一度もないんだろう。これは奥さんはとても幸せだと思うね。その点は俺に非常に似ておる(笑)。

(中略)

 板谷君は結婚するときになかなか難航したんだよな、確か。奥さんの家の前に一晩中立っていたという話を聞いたことがある。だいたい我々の世界というのは結婚するといっても、むこうがこっちを知らないんだな。将棋指しというのは何者なんだろう、と。先月号の芹沢はくぶんだって結婚するにあたってはだね「結婚してくれないのなら僕はブラジルへ行きます」と言って、泣いて頼んだんだ、奥さんに。当時、ブラジルに渡るというのが流行っていてね、船で。昭和30年頃の話だけれども、「結婚してくれなかったら船に乗ってブラジルへ行っちゃうぞ、将棋指しをやめちゃうぞ」と言って泣いて頼んで、それじゃあしょうがないというので結婚できたんだ。ならばもっと奥さんを大切にしそうなものなんだけれどもね(笑)。

 板谷君の場合も相手が将棋指しというのがよく分からない。今はそうでもなくなったけれども、当時はよく分からなかったわけだね。だから、将棋指しが結婚してもらうには(笑)、本人の熱意しかない。まあ、男と女の結びつきはいつでもそうなんだろうけれどもね。彼氏は持ち前の熱意でもって、とうとう奥さんを口説き落としたんだな。

(中略)

 板谷君はお父さんと違う性格でね、違う方面でも才能を発揮しておる。彼氏は人との付き合いを非常に大切にしてね、商人になっても相当に成功したろうと思う。そういう点は大山康晴さんによく似ておる。そういえば体つきも似ているね、頭の格好はともかくとして(笑)。

 彼氏は中京にデンと居座って、そこを中心に北陸、あるいは南紀の方面といろいろな地方の普及につとめている。

 将棋大会を開き、将棋まつりなどの催しを開いて人を呼んで将棋をみせたり、将棋を指してもらったり、そういうふうないろいろの企画をたてて将棋が盛んになるように、実際に体を動かして努力している。そういう男だから、彼氏のまわりにはいい後援者が多いんだな。彼氏が何かやるということになると、そういう人達が手弁当で一所懸命やってくれて盛りたててくれるんだね。

 おそらく棋士の中では一、二を争うくらいに後援者に恵まれておるのではなかろうか。

(中略)

 彼氏の偉いところの一つは、内弟子をとるということ。将棋界に入れば誰でも師匠がいるわけだから弟子はいっぱいいるんだけれども、内弟子というのは少ないんだね。また弟子を多くとっても、名前だけの師弟関係であれば、これは別に偉いことでも何でもない。しかし、内弟子をとる、というのはたいへんなことなんだ。飲み食いはみんな面倒をみなくちゃならないから金銭的にもそうだし、奥さんだって料理を一人前、余計につくらなくちゃならないんだしな。

 それが卵焼き一つにしろ味噌汁一杯にしろね、手間がかかるんだ。

 それから、弟子というのはわずらわしいんだよ。

 どうしてかというとね、それは師匠と同程度ではないからわずらわしいんですよ。同程度でないというのは、その弟子が師匠と同じだけの器であって、将来は師匠と同じところまでいくというのはわずらわしくないんだよ、これは。ところが、こいつ、もうやめさせた方がいいかな、というのがいるわけだね、同程度でないのが。どうしてこういうことをやっているのか。こうやれば四段になれるのに、こうすれば八段になれるのに、というところが分かるから歯がゆくなるわけだ。イライラする。そういう男は普段の生活もなまぬるいわけだね、生き方が。

 男同士だから、あんまりああしろこうしろとはガミガミ言わないしね。だから、そういう弟子がそばにいると、師匠が足を引っ張られるということがあるんだよ。板谷君もおそらくそういうことがきっとあったんだろうけどね。

(中略)

 で、何故、内弟子というものをとるのかというと、自分が師匠のところでもってお世話になっちゃったからなんだな。将棋の世界というのは相撲の世界とは違って、弟子を育てたからといってお金が入るわけじゃあないしね。対局料が入ったから師匠に一割差し上げますとか(笑)、そういうことはないんだな。だからなにをどう恩返しするかというと内弟子をとる、ってことになるわけなんだ。内弟子をとって何年間か苦労する。その弟子が一人前になる。師匠から受けた恩を自分の弟子に返して、それで一応、差し引きゼロにしてもらいたい、と、こういうことなんだね。俺も佐瀬先生に丸抱えでもってお世話になった。だから内弟子をとったんだな。

 しかし、板谷君の場合は親子だからねえ、本当の親子だから、普通の内弟子とはまたちょっと違うんだろう。

 彼氏はね、自分の家に何人か若いものをおいてね、あるいは自分の家の近くのアパートに住まわせて飯を食べさせる、部屋代をだしてやる、と、そういうことをずーっとやってきたんだな。それで、弟子が一人前になったからといって別にどうということもない。要するに身銭を切ってそういうことをしてきたわけだ。その第一号がコバケン(小林健二七段)でね、コバケンは今でも実の子供のように可愛がられておるのだろう。だから彼氏はどんなに偉くなっても、板谷進先生だけには頭が上がらんのだね。ただし、コバケンは板谷君よりは上に行くから、その点では確かに弟子に恵まれた、ということは言えるわな(笑)。あそこはまだ弟子がいるんだろ。まあ、だいたい師匠より才能のある弟子ばっかりで、また、才能がなければ弟子にはとらないしね、彼氏より才能のない奨励会員というのは珍しい存在なんだろう(笑)。

 まあ、冗談はともかくとして、金銭的、精神的な損得勘定を度外視し、弟子の育成につとめる。

 こういうところは仲間の中でも、特別に偉いところだね。

(中略)

 人と比較してはおかしいのだけれども、兄弟弟子の石田君(和雄八段)も非常に優秀な男でね、ほとんど同じように昇段していったんだな。で、板谷君の方が先に八段になった。まあ、どっちが先に八段になってもおかしくはない、と思っていたけれども、俺は石田君の方が先じゃないかな、と思っていたんだ、本当は。しかし、板谷君の方が先になった。そして、ずーっとAクラスを保っておった。それは、身銭を切って数多くの弟子をとってつくすということ。アマチュアの人と接して普及、発展につとめるということ。それから、稀にみる愛妻家。熱血漢。そして親父さんの陰徳、血の力だね。そういうものが全部加味されて、統合されて八段になり、A級を保てたのではないかと俺は思うんだ。だから、あの顔でここまでこれたのであろう(笑)。

(中略)

 長くやるつもりであったこの連載も、今月の熱血漢でちょっとお休みさせていただくことになった。

 ご登場願った先生方には失礼のお詫びとお礼を申し添えておきたい。

(以下略)

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小林健二七段に聞く

 僕は奨励会に入るとすぐ、東京の連盟の塾生になったんです。そして、関西へ移籍したときに名古屋の先生の家の近くの部屋を借りていただいて、そこで将棋の勉強をするようになったんです。中田さん(章道五段)とかいろいろな人達がいて、たいへん勉強になりましたね。

 朝は8時に先生の家へ行って朝食をごちそうになるんです。それから昼までは部屋に戻って勉強。昼から午後の9時くらいまで板谷道場の手伝いをしたりするのが日課でした。

 ウチの先生はやさしいんですよ。厳しいところもありますけどね。一度、何かのときにものすごく怒られて、真っ青になったことがありましたけど(笑)。

 奨励会へ通うときの新幹線の切符代も出していただいていました。だから、対局はどうしても負けられない、という気持ちが強かったですね。何度か、負けたときには大阪から新幹線の中で立って帰ってきたこともありました(笑)。

 僕が王位戦で挑戦者になれず、記録係をやったことがあるんですけど、その挑戦者決定戦のとき昼食を先生と一緒にしたんです。そのときに「もし負けたら記録係だぞ」って先生に言われましてね、僕は冗談半分かと思っていたんですけど本当になっちゃった(笑)。

 とにかく、板谷先生は人間味にあふれる、素晴らしい師匠です。これだけ弟子を思ってくれている師匠は他にいないんじゃないですか。(談)

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板谷進八段のコメント

 ”熱血漢”などといってくれる人もあるようだが、自分ではそのようなことは一切思ったことはない。

 真面目とか不真面目、正義感といったようなものからではなく、ただ将棋が好きで、将棋に関わるすべてのことが好きで動いている。

 一日、24時間、365日、将棋に明け暮れ、将棋の中にいて、いつも将棋のお風呂につかっているような感じだ。

 将棋の場では、プロもアマもなく、大勢の仲間といきあい、日々、新しいことを知ることもできる。

 それほど威張れるようなことをしたわけでもなく、今日も将棋の中にどっぷりとつかっておれることは非常に嬉しいことである。

 将棋界は今、これからの発展に向けて誠に重大な時期にさしかかっていると思う。

 幸いにも病癒えた大山康晴先生もお元気になられ、この会長を先頭に中原名人、米長二冠王、谷川九段と傑出した棋士を擁し、また、内藤九段、芹沢九段のように幅広く将棋界の普及に大きく寄与している棋士もいる。

 そういう人達の後ろにおって、ほんの少しでも明日の将棋界に尽くすことができればよい、と思っている。

 毎日、将棋の神様に感謝しているつもりで動いている。

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藤井聡太七段の師匠の杉本昌隆七段の師匠、板谷進九段(1940年-1988年)の話。

いかに中京地区の将棋普及に邁進し、皆から愛され、弟子を愛していたかがわかる。

板谷四郎九段の弟子の石田和雄九段も、現在では多くの弟子を育てている。

板谷四郎九段-板谷進九段の思いを継いだ杉本昌隆七段が、NHK将棋講座2017年12月号の「~師匠から弟子へ~ 一筋な気持ちで前に」で次のように書いている。

 なぜ私が藤井四段の活躍をそんなに嬉しいのか。ここまで読んでいただいた方にはお分かりかもしれない。それは藤井の存在が、私が板谷進にできた最大の恩返しでもあるからだ。

 とはいえ、これは藤井四段の棋士人生の序章にすぎない。彼は板谷一門の誇りだが、それを重荷にさせてはいけない。私の夢、板谷進の夢はあるが、藤井四段の夢はそれと違ってもいい。自分が強くなることを第一に考えて、一筋な気持ちで前に進んでほしい。

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この杉本昌隆七段の「~師匠から弟子へ~ 一筋な気持ちで前に」は非常に感動的な心を打つ文章。

引用したのは最後の箇所であるが、「ここまで読んでいただいた方にはお分かりかもしれない」の”ここまで”も、ぜひ読んでいただきたいところ。