第76期名人戦第3局対局場「法相宗大本山 興福寺」

佐藤天彦名人に羽生善治竜王が挑戦する名人戦、第3局は奈良市の「法相宗大本山 興福寺」で行われる。

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〔興福寺の起源〕

法相宗大本山 興福寺」は、藤原氏の祖・藤原鎌足とその子の藤原不比等ゆかりの寺院で、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。

興福寺の起源は天智天皇の時代の山階寺で、669年に藤原鎌足が重い病にかかった際に、夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王などの仏を安置するために造営したものと伝えられている。

その後、平城遷都(710年)の際に藤原不比等によって現在の場所に移されるとともに興福寺と名付けられ、奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられるようになり、摂関家・藤原北家との関係が深かったために手厚く保護された。

〔興福寺の隆盛〕

平安時代には春日社(藤原氏の氏神を祀るために768年に創設された奈良市にある神社)の実権を手中におさめ、大和国を領するようになり、鎌倉・室町時代になっても興福寺は僧兵等を擁し強大な力を持っていたため、幕府は守護を置くことができなかったほど。

しかし、さすがの興福寺も織田信長には屈することになるが、春日社興福寺合体の知行として2万1千余石と定められ、徳川政権下においてもその面目は保たれたという。

〔興福寺の没落〕

興福寺にとっての災難は1868年の神仏分離令から始まった。

それまで興福寺は春日社と一体の信仰という形態だったが、神仏分離により長年にわたる神仏混淆の信仰形態を否定され、興福寺の多くの建造物は春日社へ移管された。更には1870年の太政官布告によって興福寺は所領を失い、最終的には堂塔の敷地のみが残されるという惨状となり、廃寺同様の様相を呈した。

この時に手放すことになった大乗院の跡地に、今回前夜祭が行われる奈良ホテルが建っている。

〔興福寺の復興〕

その後、興福寺の再興が嘆願され、紆余曲折を経ながらも興福寺再興に向って動き出し、1882年に管理権が興福寺に返還される。1897年には国宝指定となり、1900年から建造物や仏像などの修理が行われた。

幸いにも、由緒ある建造物や仏像彫刻をはじめとする多数の文化財は散在することなく興福寺に伝存されている。

〔現時点で日本最古の駒〕

1992年の奈良県文化会館(興福寺の旧境内)改築工事の際に、国内最古とされる平安時代の将棋の駒15点(玉将3、金将4、銀将1、桂馬1、歩兵5、不明1)が出土している。また、同時に見つかった習書木簡には「酔像」の文字もある。天喜6年(1058年)7月26日の銘がある木簡も同じ土層から出土しており、出土駒としては現在最古のものであるとされている。

〔昼食予想〕

興福寺には食事施設がないので、前夜祭が行われる奈良ホテルから食事が持ち込まれる可能性が高い。奈良ホテルは興福寺の旧境内であるので距離も近い。

奈良ホテルのタイトル戦昼食向きメニューは次の通り。

○メインダイニングルーム「三笠」
・魚フライ 4,158円
・ビーフシチュー奈良ホテル風 4,752円
・和牛フィレステーキ 12,474円~
・ビーフカレー 2,613円
・ビーフサンドウィッチ 2,613円

○日本料理「花菊」
・天婦羅定食 3,801円
・うなぎ御膳 3,900円

これらのことを踏まえ、両対局者の昼食予想は次の通り。

佐藤天彦名人
一日目 うなぎ御膳
二日目 ビーフカレー

羽生善治竜王
一日目 天婦羅定食
二日目 ビーフカレー

 

 

筆が滑ってしまう揮毫

将棋マガジン1987年11月号、コラム「棋士達の話」より。

  • 将棋界のタイトル戦で対局者は和服着用が多いが、それらの逸話もある。大内九段は昭和50年の名人戦で一局ごとに和服を代えた。ところが予想もできず全9局になったので何着かは新しく作った。なんでも挑戦料より余計にかかったという。

  • 若手達も先輩に習うが、中にはその時が初めての経験で着付けに苦労する者もいる。中村王将は仲間に、初めてにしてはいい、とほめられたが、答えは”立っていただけ”よく分からないので対局場の仲居さんに全部やってもらったのである。

  • 塚田泰明七段が四段に昇段した時故・塚田正夫名誉十段夫人より、塚田という棋士が出たのはうれしい、と和服一式を贈られた。大舞台に出た時使わせていただきます、と答えたそうだが、今度の王座戦で、その和服が見られるかもしれない。

  • 棋士が色紙に書く肩書きも変化のあった時はなじめず間違うこともある。中原名人も名人獲得直後に「新名人」と書いた話は何となく微笑ましい。丸田九段は九段昇段後しばらくは「丸田丸段」と筆がすべってしまうことが続いたという。

  • 記録係は奨励会員がやるが、人によっていろいろな話がある。升田九段も低段時代に経験があるそうだが、対局者の方が弱いので見ていられない。そこで消費時間を多くつけ、早く終わるようにしたという。分かる気もするが、ほめられませんね。

  • 大山-中原の王位戦で谷川少年が記録係をつとめたことがある。中原名人が担当の能智記者に「能智さん、この子は将来必ず名人になりますから今のうちに色紙をもらっておいた方がいいですよ」といった。名人の眼力、怖るべきである。

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「塚田」という名字は、「名字由来net」によると推定人数では366位。

もっと上位に来そうなイメージがあるが、意外と少ない。

1位は佐藤、100位が杉本、200位が南、300位が村松で350位が宮城、365位が荻野、367位が奥野、378位が谷川。

「谷川」と近い順位と考えると、「塚田」という名字はたしかに少ないということが実感できる。

塚田正夫名誉十段夫人の「塚田という棋士が出たのはうれしい」という気持ちも強く理解できる。

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「九段 丸田祐三」と書きたいところを「丸段 丸田祐三」と筆が滑ってしまうということ。

当然、丸山忠久九段も同じような悩みがあった時期があったはずだと思う。

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ちなみに「丸山」は78位、「丸田」は996位。

丸で始まる名字で1,000位以内は丸山と丸田だけ。