藤井猛竜王(当時)「あの頃は将棋しかなかった。負けることは自分の存在価値を否定されることに等しかった。魂の傷は癒えることがなかった」

将棋世界2000年5月号、藤井猛竜王(当時)の昇級者喜びの声(B級2組→B級1組)「魂の傷」より。

 雑然と過ぎていく日常の中で、私はどれだけあの時の気持ちを持ち続けていられるだろうか。

 プロになって初めての順位戦、C級2組一年目の成績は6勝4敗。今思うと実力通りの結果に過ぎないのだが、当時は4敗もしてしまった自分が情けなくみじめで仕方なかった。同じく順位戦初参加の他の同期はみんなそれ以上の成績を挙げていた。自分に腹が立って死にたい気分だった。

 順位戦で一敗する度に感じるヒリヒリした傷の痛み。いや、そんなもんじゃない。魂をエグられる痛み。その痛みを感じなくなったわけじゃない。でも年月がその痛みを慣れさせていく。慢性化させていく。癒やされてはいけない痛みが癒やされていく日常。その日常に埋もれていく自分。それではいけない。

 前期の順位戦。出だし6連勝。初めてのタイトルを手にし、今年こそ自分が上がれると信じ込んでいた。7戦目に負けたが、まだ自力昇級の権利があった。負けを負けと感じず、危機感を持つどころか余裕さえ感じていた。忘れてはいけない痛みを忘れている自分。ツケはすぐにやって来た。9戦目の敗北。痛みは倍以上になって返って来た。魂がちぎられるような痛み。あの頃の痛みがよみがえって来るのを感じた。

 あの頃は将棋しかなかった。負けることは自分の存在価値を否定されることに等しかった。魂の傷は癒えることがなかった。

 過ぎていく年月の中で薄れていく傷の痛み。そのことに気付かないフリをしている自分。5勝5敗だった年も仕方ないと納得している自分。自分への怒りは、いつの間にか甘えにすり替わっていた。

 そんな自分に気付かされた敗北だった。

 結局、敗戦の傷は勝つことでしか癒せない。

 最終戦、自分が勝てば昇級の可能性はまだ少しあるが、そんなことは期待せず、目の前の対局に全身全霊を傾けた。昇級するかしないかは関係ない。勝つか負けるかただそれだけだ。今この勝負に魂をかけて戦う。

 昇級することは出来なかったが、この最終戦に勝ったことで、来期へつながる確かな手応えを感じた。

 そして今、B級2組5年間の傷が癒やされた。私はあの時の気持ちを忘れずにまた新たな戦いのスタートに立つ。

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藤井猛竜王(当時)の思いが十二分にこもった文章。

読んでいて、本当に痛みが伝わってくる。

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藤井猛竜王がB級1組昇級を決める前の年度、出だし6連勝後の7戦目の対戦相手は先崎学六段(当時)、9戦目の対戦相手は中川大輔六段(当時)、最終戦の対戦相手は富岡英作七段(当時)だった。

昇級は内藤國雄九段と先崎学六段。

藤井竜王がB級1組昇級を決めた1999年度順位戦B級2組、もう一人の昇級者は三浦弘行六段(当時)だった。ともに9勝1敗。

藤井竜王の1敗は三浦六段に喫したものだった。