タイトル戦挑戦と失恋

将棋世界2005年7月号、高橋呉郎さんの「感想戦後の感想 森下卓九段」より。

 名人戦がはじまると、かならず思い出す場面がある。まずは図の局面をご覧ください。

 10年前の第53期、森下卓八段(当時)が時の羽生善治名人に挑戦した七番勝負第1局の最終盤―森下の手番で、ほどなく森下快勝の一局になるはずだった。

 △9五金と打たれたら、羽生は投了するつもりだった、と本誌の自戦記に書いている。控え室の検討陣は、△6七飛成▲8六玉△8三桂の投了図を想定していた。

(中略)

 ところが、森下は△8三桂と打った。羽生が▲7五歩と突いて、勝負は終わった。故・加古明光氏の観戦記によれば、立会人の有吉道夫九段は「こんな逆転は昭和26年の木村-升田戦以来だ」と興奮していたという。

(中略)

 森下も△9五金は読んでいたが、それは▲3五金と取られてダメと思った。▲3五金には△8八飛成の一手詰があるのを見落としていたという。ポカでトン死をくう将棋は、ままあっても、攻める側が一手詰を見落とすのは、めずらしいのではないか。ポカに理屈は通用しないとは承知しているけれど、機会があったら、いったい、なにを考えていたのか、森下に訊いてみたいと思った。また、名人戦の初舞台で、こんな負け方をしたら、ショックが後を引かないものかどうかも、興味をそそられた。

(中略)

 森下登場の名人戦を前にして、私見によれば、羽生は調子を落としていた。七冠のかかった王将戦では、谷川浩司王将(当時)に屈した。森下が挑戦した棋王戦は、スコアこそ3-0だったが、逆のスコアでもおかしくないほど、内容は森下が押していた。

 初戦の逆転勝ちは、だから、見た目以上に大きかったのではないか。森下のポカが、よろけた羽生を助け起こしたように、私には思えた。そんな愚見を述べたら、森下はいとも明快にいった。

「あの一局に勝ったとしても、結局、負けていましたね。将棋に身が入っていなかった。全神経を集中できなかったんです」

 その原因を、こちらが問うまでもなく、「失恋中だったんです」と笑顔で明かした。思い当たるふしがないでもない。いつごろだったか、森下が失恋して、真っ昼間から冷や酒を飲んでいる、という噂を聞いた。そのときは、ほう、なかなかやるじゃないか、と微笑ましい気分になった。

 名人戦のころ、羽生は婚約を視界に入れた恋愛中だった。「将棋はゲームであり、人生とは関係ない」を持論にする羽生だが、案外、勝手が違うと思っていたかもしれない。森下は「あちらは上昇志向なのに、こちらは下降志向ですから」と注釈をつけた。

 几帳面な森下らしく「おかしくなったのは、平成5年の8月からです」とはっきり時期もおぼえている。当時、26歳。将棋は若手精鋭の旗頭と目されていた。米長邦雄永世棋聖は森下に「最強」のブランドを呈した。森下自身も、こういっている。

「おこがましいようですが、あのころは、だれが相手でも負ける気がしませんでした。うっかり負けはしましたけれど、順当負けはなかったですね」

 根掘り葉掘り取材したわけではないけれど、失恋には、かなりの長手数をしいられた。すぱっと割り切れないものが残った。まだ指し切っていない、という読みが尾を引いた―。

 まさしく視野狭窄だが、これは森下にかぎったことではない。もともと男と女の関係は、視野狭窄で成り立っているようなものだから。

 察するに、森下青年は純情すぎた。あるいは、まじめすぎたといってもいい。きっかけさえつかめば、交際が復活し、誠意は通じると思いつづけた。こうなると、もう将棋どころではなかった。

「25,6歳のころは、だれにも負けないくらい努力しました。そのあとは遺産で食っていたようなものです。気持ちが離れていますから、負けても悔しくないんです。順位戦の秒読みの最中に、相手の顔が浮かんでくるんですから、ひどいもんです。それでも、なんとなく勝ってはいたんですねえ」

 A級に昇級して、1年目で名人戦の挑戦者になった。棋王戦でも挑戦権を獲得した。端からみれば、絶好調棋士だったが、ご当人は上の空だった。

「あの状態で、A級に上がれたのも、挑戦者になれたのも、奇蹟というしかないですね。名人戦にしても、自分は着流しで、羽生さんは鎧甲に身を固めている。裸剣法では勝てっこないですよ。それ以前に、勝つことへの執念がちがいすぎました」

 とはいえ、第1局の勝利目前の大ポカは、やはりこたえたのではないか―。

「打ち上げのときまでは、なんで、あの将棋を勝てないんだ、とムシャクシャしてたんですが、部屋に帰って、恥ずかしながら相手に電話をかけているんです。なんか話題を見つけて、電話したいわけです。負けたことより、そっちのほうが気になっていた」

 名人戦は1勝4敗で敗退した。その悔しさをバネに将棋に専心する意欲は湧いてこなかった。やがて、さすがに未練は断ち切ったが、心棒のないような日々を送った。

 平成9年8月、現夫人と出会って、世界が変わった。まことに単純なようで、男と女の出会いなんて、だいたい、こんなもんでしょうね。

 しかし、3年8ヵ月に及ぶ空白は小さくなかった。おまけに、結婚して、子どもが生まれれば、独身時代のように好き勝手もできない。子どもが大きくなって、2年ほど前から、ようやく将棋に身がはいった。

 その証拠にといっては短絡にすぎるけれど、今春、森下はA級復帰をはたした。

(以下略)

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単なる片思いならこのように尾を引かないだろうが、ある期間うまくいっていて、その後、うまくいかなくなってしまった場合にはこのようなことも起きうる。

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一般論だが、男性は別れた女性のことをいつまでも思い続けるが、女性は別れた男性のことは綺麗さっぱり忘れてしまう。

男性の恋愛はファイルに名前をつけて保存であるのに対し、女性の恋愛はファイルの上書き保存と言われるほどだ。

このギャップがどうしても出てしまうのがこの世の中。

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仕事も将棋も勉強も、恋愛がうまく後押しする場合もあるし、逆の場合もある。

ケースバイケースの難しい世界だ。

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森下卓八段(当時)痛恨の△8三桂 =第53期名人戦=