「塚田君、怖いんですよ。小さいころの話をすると……」

近代将棋1983年2月号、金井厚さんの第6回若獅子戦1回戦〔武市三郎四段-塚田泰明四段〕観戦記「武市がいたんじゃ俺は名人になれない」より。

 3階の事務室は閑散としていた。時刻は12時40分。ちょうどお昼どきである。手合課の小倉主任だけがひとり机に向かっていた。そこへ眼鏡をかけた一人の青年が近づいて来て言った。

「12月7日から14日まで対局つけないでください。期末試験なんです」

 青年の名は塚田泰明。青山学院高等部の2年生。学生でありながら棋士。四段。どちらも本業である。将棋のほうの成績は抜群で、本局の前まで21勝7敗。ことしになって長いこと勝率トップを続けていた。

「日曜日はいいだろ」

「いえ、勉強がありますから」

「一つぐらい不戦敗にしてくれよ」

 小倉主任はわざと不機嫌な顔を装って言った。

「いえ、絶対駄目です。勝率が関係してきますから」

「じゃ、内藤九段負かしてくれよ。そうすれば塚田君のいうことならなんでもきく」

 3日後に塚田は、全日本プロトーナメント戦で内藤王位との対戦が決まっていた。

「そんなにお忙しいんですか」

「でなかったら、東京へ来るわけないだろ」

「じゃ、がんばります」

「うん、がんばってくれよ」

「はい」

「頼むぞー、ガンバレヨー」

 小倉主任は塚田が去ったあとも、いつまでも声援を送っていた。勝ちまくるオイソガ氏にはいつも泣かされるのが手合係。とはいえ、まさかこんな密約があるとは内藤王位もしらない。とんだところにおもわぬ伏兵がいたものだ。手合係は中原前名人が負ければ手をたたいて喜び、大山王将がとりこぼせば祝杯をあげるのかもしれない。ま、これは冗談だが、互いの要望を聞き入れ、調整しながら年間2,000局もの手合をつけるのは大変な作業だろう。

 4階の対局室へ行くと、武市がすでに端座していた。今年度、9勝7敗。だが昇降級戦では、塚田とともに4連勝と絶好調。昇級候補同士の一戦だ。

「閉めてもいいですか」

 ふすまに手をかけたのは神田真由美女流1級。隣室では女流対局が2局。ともに中盤戦。塚田とは同門の中瀬奈津子女流初段の顔もあった。二人はベテランを相手にしていた。

(中略)

「きょうは塚田君の誕生日ですよ」

 と教えてくれたのは中瀬奈津子さん。18歳になった。が、まだ2年生。かれは1年をうらおもて経験。出席日数が足りなかったのが一因だが、「ことしはもっと危ない」という。対局のたびごと休まなければならず、勝てば勝つほど欠席が増えるという悪循環。なにごとも両立はむずかしい。だがこの日は学校の創立記念日でちょうどお休みだったのはさいわい。

「塚田君、怖いんですよ。小さいころの話をすると……」

 女流対局終了後、中瀬さんにインタビューを申し込むと、奈っちゃんは、両手の人差し指をこめかみのあたりでたてて、しかめ面をしてみせた。

「わたしも聞きたいわ」

 と神田さん。ちょうど居合わせた蛸島彰子女流名人とともに、階下のレストランへ。

「3つ違いなんです。妹の尚美が塚田君と同い年なんですが、4ヵ月早生まれなんですね。小さいときは妹とよく背比べしてました。”わたし何歳になったのよ””じゃ、背比べしょうって”」

 中瀬さんの父君、俊三氏はアマ四段。志木市の自宅を開放して、近在の子供たちに将棋を教えていた。”と金の会”は有名である。隣接の朝霞市在住の塚田が、初めて参加したのが小学4年の夏。

「さいしょ来たときはひと目かわいくない。将棋強かったからじゃないですか」

「いまかわいいね、素直でね」

 神田さんが首を突っ込む。

「……」

「あんまりいい男は強くならないんですってよ。みんな言ってますよ。谷川さんみたいなのがいいんですよ」

「塚田君っていい男?谷川さんいい顔してるじゃない」

「うーん、そうだけど」

「内藤さん、強いじゃない」

 どうも話が横道にそれますね。

―どっちが早いんですか。

「それが悔しいことに2ヵ月ちがいで兄弟子なんです」

 奈っちゃんはゲンコツを作ってテーブルをたたいた。コップが3メートルほど宙に浮く。

「あら、奈っちゃん、どちらを望むかっていうとね、妹弟子のほうがいいわよ。わたしもよく訊かれるんだけどね、中原さんとどちらが入門が早いんですかって。名人の姉弟子なんていったら、すごーく年上にみられるでしょ」

 蛸島さんのあんな真剣な目つきははじめてだった。

「そうか。将来のことを考えれば妹弟子のほうがいいか」

 奈っちゃんは額に手を当て、頬杖をついた。目が虚ろである。

 あーあ、インタビュアー失格だな。

 対局場へ戻ろう。

(中略)

 奈っちゃんも知らない、塚田の学生生活は友人に語ってもらうのが一番。中等部の1年のときから現在も同級生という立花君は、「数学は強いけど、英語は弱いって言ってましたね、彼は。ことしも危ないんじゃないですか。勉強は一生懸命やってるみたいですよ。たまに試験が終わってから飲みにいくときがあります。あの人もお酒が好きなもんですから、それにお金持ちですから資金源になるんですよ。ガールフレンドは結構たくさんいるみたいですよ」

 と語る。担任の波多江幸枝教諭は英語の先生だ。(小倉主任じゃないけど、ガンバレヨ)高校生といえども、少々のお酒はいまどき珍しくない。対局で休むのはしかたがないが、それ以外に欠席はない。まじめな青年だ。もっとも小学生時分はもっと優等生だった。

(中略)

「挑戦者決定戦ですか?」

 神谷四段が入室し、一言いい置いて、すぐ退散した。二人は笑顔で見送っている。本局の勝者が次に神谷とぶつかるのだ。

「塚田とやりたい」

 神谷はそう言っていたが、はたしてどうなるか。

(以下略)

* * * * *

このほぼ2年後、中瀬奈津子女流初段(藤森奈津子女流四段)とアマ強豪の藤森保さんが結婚して、さらに2年半後、藤森哲也五段が生まれている。

藤森哲也五段は塚田泰明九段門下。

「中瀬さんの父君、俊三氏はアマ四段。志木市の自宅を開放して、近在の子供たちに将棋を教えていた。”と金の会”は有名である。隣接の朝霞市在住の塚田が、初めて参加したのが小学4年の夏」

のような歴史があっての塚田泰明九段門。

「さいしょ来たときはひと目かわいくない。将棋強かったからじゃないですか」

「あんまりいい男は強くならないんですってよ。みんな言ってますよ。谷川さんみたいなのがいいんですよ」

のような中瀬奈津子女流初段の会話が面白い。

* * * * *

中瀬奈津子女流初段と藤森保さんの結婚披露宴(近代将棋1984年11月号)
近代将棋1984年11月号グラビア、撮影は弦巻勝さん。