近代将棋1983年11月号、能智映さんの「呑んで書く 書いて呑む」より。
いま、わたしの手元には王位戦のスクラップがある。ページを繰っていくと、中原誠現十段が着流しで下駄をつっかけ、大きなボストンバッグを手に去っていくうしろ姿の写真につきあたる。
この9月、やはり王位戦の七番勝負第4局で、中原さんが初めて立会人をつとめたときのおかしなエピソードをまず書くことにしよう。
1日目の昼さがり、中原さんも手持ちぶさたの体で報道陣のいる控え室に現れ、テーブルの上に置きざりにされていたわたしのスクラップを読むともなくながめていた。
「能智さんも、けっこうマメに切り抜きをするんですねえ」とかなんとか、わたしを小バカにしながらページを繰っていたのだが、急に「うへー、こりゃ見たくない!」とすっとんきょうな声を上げてページを閉じてしまった。
例の写真がとび出してきたからである。その仕草がいかにもひょうきんで”名人”らしくなかったから、周りにいた記者たちは大笑い。
それは、ちょうど1年前の切り抜きだ。昨年の王位戦で、中原さんが内藤さんに敗れ、”無冠”となって去って行ったときのものだ。街灯がぼんやりとつき、実にうら寂しい感じがする。その下駄の音はいまもわたしの耳に残っているといってもいいすぎではないだろう。
栄枯盛衰。皮肉にもこの下駄の音が去ったときから神戸組の快進撃がはじまった。中原を無冠に追いやった内藤は、返す刀で大山康晴十五世名人をもバッサリやった。王位戦にすぐ続いてはじまった王座戦の三番勝負での出来事だ。
(以下略)
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数えきれないほどタイトル戦を戦ってきた中原誠十六世名人。
勝っても負けてもあまり表情には出ない、淡々とした雰囲気を持っている中原十六世名人だが、名人も人の子、やはり表情に出ないだけで、内心は思い出したくもない、というのが本音なのだろう。