陽気な勝負師

近代将棋1983年10月号、産経新聞の福本和生記者の「”陽気な勝負師”森安新棋聖のちょっとおもろい話」より。

 第42期・棋聖戦は、中原誠棋聖を挑戦者の森安秀光八段が3勝2敗で降し、初タイトルの「棋聖位」を獲得した。

 森安新棋聖は、将棋界でいまをときめく神戸グループ、それも内藤国雄王位・王座につぐ代貸し的な存在。代貸しというと、おっかなそうにきこえるが、これが底抜けに明るい陽気な勝負師である。

あきまへんか

 今期の五番勝負第1局は、千葉県・木更津市で行われた。対局場の「八宝苑」で、地元ファンが参加しての前夜祭が開催された。

 おしゃべりのあと酒がまわると、だれからともなくカラオケが始まった。事前に司会者に「対局者にはマイクをむけないように」と頼んであったが、正面に座している森安をみると、からだがリズムをとっている。「いかがでしょう」とマイクを渡されると、待ってましたとばかり歌いだしそう。(やばいぞ)と思って、何気なく森安の側にいって「歌はあきまへんで」というと、いかにも不機嫌そうな顔で「あきまへんか」。やっぱり歌う気だったのだ。

 このしっぺ返しを新潟でやられた。第3局は新潟の「高島屋」旅館で、ここも初のタイトル戦とあって、前夜祭には地元の方が多数参加された、森安にとっては2連敗後のカド番で負けられぬ一局。

 宴がたけなわとなって、司会者が両対局者に一言となった。中原はさらりとした軽妙なあいさつ、次に立った森安は顔の表情を一段とゆるめて、「もって生まれた……」とおゆきをうまい節回しで一節だけ聴かせた。会場から割れんばかりの拍手。酒席でこれだけの声援があれば、いつもの”秀みっちゃん”なら「ご要望にこたえて……」で歌いまくるのだが、さすがにこのときはぐっと自重であった。とにかくマイクがくると、えたりやおうと歌いだすひとだ。

 カド番の第3局を森安は勝った。打ちあげの宴となる。カラオが鳴る。さあ、もうとまらない、3連敗をまぬがれた喜びもあって森安は歌いまくっていた。「高島屋」の若い女将さんが「お上手ね」なんてほめるものだから、あとは歌の狂宴となってしまった。

 冬の棋聖戦では、カラオケ禁止を各対局場に通知しておこう。

セッタイ、セッタイ

 対局前夜に関係者でマージャンをやる。森安をまじえてのマージャンは、4人でなくて関西流の3人打ち。マンズの2万から8万までのパイを抜いての戦い。清一色やでっかい手がすぐできる。

「セッタイ、セッタイ」が森安の口ぐせ。セッタイとは接待のことである。接待するというのか、それともしなさいというのか、このへんは微妙だが、森安流は強気の打ちかたでかなりの成果をあげている。

 頭に手ぬぐいを置いてのマージャン風景が「近代将棋」誌に載っていたが、「あれはね、家でしかられました。手ぬぐいをもっときちんとのせなさいって………」

 夫人にたしなめられたのだろう。

 とにかく「セッタイ、セッタイ」は、マージャンが始まるとだれかが口にするようになってしまった。

メガネでも勝負

 第4局は、有馬温泉の「陵楓閣」。森安にとっては念願の地元でのタイトル戦。

 森安はメガネを2つ持っていた。「どうしたの」と聞くと「中原さんがメガネを2つ持ってて、ときどきかけかえているんですよ。だから私も2つ用意しました」

 将棋指しは、微差の世界での競りあい。それだけに盤外でも、どこかに差をつけて優越感をもとうとする。中原の2つのメガネをみて、森安はカチンと頭にきたのだろう。第3局まではメガネは一つだったから、新潟から帰ってあわてて求めたのだろう。このへんの負けん気、なんとなくうれしいではないか。それなら3つにしたらいいではないか、それは勝負師の考えることではない。

 やおら懐中から別のメガネをだして、おもむろにかけかえる森安。ユーモラスな光景ではないか。

おそろしいメンバー

 酒にまつわる話は書けばきりがないし、さしさわりがあってはいけないので割愛させていただく。陽気な酒であることを特記しておこう。

 しかし、これでは余りにもそっけないので一つだけ紹介してみよう。

 棋聖位を獲得した翌日、森安は熱海から神戸の自宅へ。家族の祝福を受け、一寝入りしようと思ったら電話があって、内藤王位と芹沢博文八段がお祝いにやってきた。

 やがて神戸の町へとくりだしていく。共同通信の田辺、神戸新聞の中平という両記者も加わって、森安の話を聞くと「とにかく大騒ぎになって、あとはどうやって家にたどりついたかおぼえていない。夜が明けていたことはたしかです」ということらしい。むりもない。この顔ぶれでは、さすがの”秀みっちゃん”も勝負にはなるまい。

(中略)

「しかし、タイトルを持っているというのは、何ともいえない気分ですね。森さん(雞二八段)が言ってましたが、タイトルを取られたときのやりきれなさはたまらない、と。お金を払ってすむものなら何百万円でも払ってタイトルを保持しておきたいそうです。できれば棋聖位を3期防衛して九段昇段といきたいものです」

 無敵四間飛車がタイトル戦線でどんな活躍をみせるか楽しみだ。

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前夜祭のカラオケ、対局前夜の麻雀、対局終了後の打ち上げでのカラオケなど、1980年代ならではの風景。

現在のタイトル戦からは全く想像もできないような展開だ。

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もちろん、対局者や立会人の条件が揃った時だけがこのような展開だったというだけで、当時のタイトル戦の全てがこうだったわけではない。

とはいえ、対局前夜の麻雀はほとんどのタイトル戦で行われていたのは確かなようだ。(対局者が参加しない場合でも、立会人、記者、関係者などがやっていた)

この辺は大山康晴十五世名人(タイトル戦で誰かが麻雀をやっていないと機嫌が悪くなる時もあった)が築き上げた伝統かもしれない。