先崎学三段(当時)「あんたなら、まだ投げないだろうね」

将棋マガジン1987年6月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。

 名人戦の挑戦者決定戦には、歴史に残る名勝負が多い。古くは、升田-大山の高野山の決戦があり、近年では、中原-谷川戦がある。昨年の大山-米長戦もまた、名勝負の一つに加えられるだろう。

 こう並べてみると、その時々の熱気がなつかしく思い出される。中原-谷川戦のときなどは、将棋会館にファンがあふれたものだった。昨年は時ならぬ大雪のせいで、閑散としていたが、ファンの勝敗への関心の大きさは、私などにもはっきりと感じられたのである。

 それが、今年はどうも盛り上らない。米長が奇跡的に追いついたにもかかわらずである。昨年のA級順位戦の終盤では、米長に対する声援はものすごかったが、あの声はどこへ消えてしまったのか。

 米長が持っていたタイトルを全部失った後ということもある。さらに現在最強と見られる高橋や、中原・米長をタイトル戦で破った、中村・福崎が出ていないA級順位戦を、質が低いとファンが見たのかもしれない。そして、活気のなさのもう一つの理由に、米長の周囲の空気がかわった、こともあるだろう。

 米長はこれまで「さわやか流」のイメージによって絶大な人気を得てきた。彼自身も、そうなるべく気を遣った。米長ファンは、世間にだけでなく、マスコミや棋士のなかにも多い。その結果、米長は、たとえていえば、いつもホームゲームを戦っているような状態であった。圧倒的な声援を受けて戦っていたのである。その声援が頂点に達したのが、一昨年の春、四冠王になったときで、いまから思えば、それから徐々に米長の周囲の空気がかわりはじめたようである。声援の度合は相手と互角になり、ビジターゲームを戦っているような有様のときもあった。そうした変化にとまどい、次々にタイトルを失っていったのである。

 空気がかわった理由は判らない。単なる人の心の移りかわりなのかも知れないし、他に原因があったのかのかもしれない。負ければ人気が落ちるのは、勝負師の宿命、ということもあるだろう。

 とにかく無冠になった状態で米長は開き直った。それが今年になってからの立ち直りに表れている。将棋に勢いが出てきたのである。

 木村を破って名人になった大山は、それから数年間常勝をほこった。完全に升田の芽を潰したかに見えたが、その升田が突如復活して三冠王になった。昭和30年から32年ごろにかけてのことである。大山はドン底に落ちたが、2年で立ち直った。人柄も将棋も、表面は変わっていないように見えたが、内面はきびしさを増していた。そして、あの長い第2期黄金時代がはじまったのである。

 おそらく、米長は大山と同じような変貌をとげるのではなかろうか。よく考えていうのではないが、どうもそんな気がする。

午後4時

 大山十五世名人の東京都文化賞受賞パーティーがあり、そちらに行って、将棋会館にもどったのが4時ごろ。さっそく局面をのぞくと1図のようになっていた。

1図からの指し手
△1四歩▲4八角△3六銀▲7四歩△同飛▲7五銀△9四飛▲7四歩△7六歩▲同金△1三角▲6八金△4七銀成▲2六角△5七歩(2図)

 1図でまず考えられるのは、△5三銀と上がって6四の歩を取りに行く手である。桐山が▲6四歩と打ったからには、△5三銀への対抗はあるに決まっているが、さてどんな手だろう、とみんなで考えていると、△1四歩が指された。

 1図の▲6四歩の狙いの一つに▲4八角から、▲7四歩△同飛▲7五銀がある。だから、△1四歩はお手伝いの手のようにも思える。ところが、▲4八角に△3六銀と出たのが気の付かぬ手で、恐ろしい狙いがある。4階の控え室では、田中(寅)と奨励会の有望棋士達が、その順を教えてくれた。

 △3六銀の次に△7七角成があるという。▲同金寄△2七銀打で飛車を殺す。まさかという手だが、いざ指されると先手が困る。また、一方では△1三角の味もあり、いままで先手が指しやすいのではないか、といっていたのが、互角だろう、になっていた。

 桐山もここは簡単に指せない。考えているうちに夕食休みとなった。

午後8時

 山本直純さんと田中(寅)に誘われ、夕食をとりに外へ出て、戻ってくると、2図まで進んでいた。

 ▲7四歩△同飛▲7五銀と飛車を攻め、以下の手順は予想された通りのもの。形勢は、桐山を持ちたいという声が多かった。

2図からの指し手
▲7八玉△5八歩成▲同金△同成銀▲同飛△8八金▲6七玉△7九角成▲2二歩△8九馬▲5七玉△3三桂▲7三歩成△同銀▲2一歩成△4四桂▲4七玉(3図)

 △8八金から珍しい形で、△7九角成と成り込んだ。手順中▲6七玉で▲8八同銀と取るのは、△同歩成▲同玉△6七銀の両取りがある。こうして角は成ったが、米長も、いいとは思っていなかった。

 控え室では、継ぎ盤が3つあってそれぞれ研究しているが、私は奨励会員が調べているのを見ていた。あれこれ言いながら駒を動かしているのは、佐藤(康)、森内、先崎等だが、天才羽生を追い抜こうかという、恐るべき少年達である。前号で書いた、関西の村山の例もあるから、ここの研究がいちばん正しいのだろう。現われては消える、さまざまな局面は、実戦とはだいぶちがっていた。控え室の研究と、実戦の進行がちがうと、「さすがに対局者はよく読んでいる」というのが決まり文句だが、最近はそうもいえなくなった。

 ▲2二歩は手筋だが、△3三桂と替わって善悪不明。▲6三歩成△同銀▲7三歩成が勝ったろう。先手のこの失点で形勢互角。▲2一歩成のあたり、天才少年達の意見もさまざまだった。

 対局室へ行くと、いつものように両者深刻な顔。桐山が▲2一歩成と指すと、米長は「マリーローランサンか、ゴチャゴチャうるさいね」

 これはどういう意味か全然判らない。

 桐山が急に笑い出した。米長もつられて笑う。二人で声を合わせて、真からおかしそうにしばらく笑っていた。それは、ロアルド・ダールとか、サキとかいった人の短編小説に出てきそうな場面だった。

 控え室へ戻ると、にわかに活気づいていた。結論が出そうな局面になっていたのだ。

 △4四桂のとき、▲4二歩と様子を見る手筋がある。これを△同金左なら▲8五金と飛車を取りに行く。△同金右は▲6三歩成。で、△4二同玉と取るよりないが、▲5四桂と王手を決め、△5三玉に、▲4七玉なら先手おもしろかった。

 その▲4二歩を打たずに、桐山は▲4七玉。

 とたんに、ため息が控え室のあちこちから出た。なんだか急に気の抜けたような、しらけた空気になった。

3図からの指し手
△9九金▲4二歩△同金左▲5四桂△5三金左▲6五金△6七馬▲5七飛△4九馬(4図)

 3図は、先手に勝ちがない。

「▲4七玉は一手バッタリだったか」と私が呟いたら、中村が「そんなことはないでしょう。立派な手だと思いますがね」といったが、彼一流の社交辞令のようにも聞こえた。

 △9九金は好手。これで米長の優勢がはっきりした。妙な感じだが、飛車の逃げ場所を作り、香を手駒にし、金の質駒をなくす、という一石三鳥の手である。

 これを見て、研究陣も熱意をなくした。そこへ5階で対局していた鈴木が入ってきた。ぐったりとした顔で、「90分考えて、全部読み切ったつもりで指したんですがねえ……」とうなだれた。

「で、最後の一手だけ読み落としていた、そうだろう」

 私が合いの手を入れると「おっしゃる通りです」

「それを見せてよ」

 というわけで、鈴木の自戦解説が始まった。みんな集まってきて訊き込む。そうしているうちに、米長-桐山戦は終わってしまった。

4図からの指し手
▲5九飛△同馬▲同角△6七飛(5図)まで、米長九段の勝ち。

 桐山の▲5九飛がポカ。△6七飛を見落としたらしく、そこで戦意を失って投げた。

 がらんとした控え室に、天才少年達が残っていた。先崎三段が森内三段に「あんたなら、まだ投げないだろうね」と言った。森内は「当然ですよ」と答えて、投了以下を指す。さすがに、何べんやっても森内君が負けたが、それでもけっこういい勝負になっていた。

 この一戦を料理にたとえれば、前菜、スープ・魚料理まではよかったが、メインの肉料理が出ずに終わったようなものだった。挑戦者が決まったという興奮がなかったのは、そうした将棋の内容に原因があった。

(以下略)

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「マリーローランサンか、ゴチャゴチャうるさいね」

マリーローランサンは20世紀前半に活動したフランスの女性画家・彫刻家。

たしかに、全く意味がわからない。

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河口俊彦六段(当時)がそこまで強く意識して書いてはいなかったと思うが、まさに、これから起こる急激な将棋界の変化、羽生世代の台頭を暗示するような象徴的な記事になっている。

この当時の佐藤康光三段、森内俊之三段は四段昇段直前の頃、先崎学三段はこの7ヵ月後に四段に昇段する。