将棋マガジン1990年8月号、神吉宏充五段(当時)の「へえへえ 何でも書きまっせ!!」より。
昼食休憩の時、米長に「キミ昼飯まだだったら、アンパンでも食いに行かないか」と誘われた。で、近くのパン屋さんに行くと、テレビで人生相談のようなものをやっている。それを見て米長が「こういうのを答えるのがオレは一番得意なんだ」と言う。
「こんな場合は将棋に置き換えてみれば簡単に答えが出るんだ。つまり、女房が浮気して、その相手にダンナにいうぞと金をせびられている。どうしたらいいかなんてくるだろ、そんな場合はその男が飛車なんだ。女はその男と別れたいが、飛車でかけた王手の味が忘れられなくて悩んでいるんだな。どうもニッチもサッチもいかなく見えるが、将棋に置き換えれば森安君や淡路君の中盤みたいなもの。どうだ、おのずと答えが出てくるだろう」
ドロ仕合という言葉しか私には浮かばなかった。
(以下略)
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森安秀光九段は「達磨流」、淡路仁茂九段は「不倒流」あるいは「長手数の美学」。
やはり、持久戦の泥仕合という言葉しか思い浮かばない。
将棋に置き換えると、かえって訳の分からなくなることは、世の中に意外と多いと思う。