将棋世界1988年4月号、内藤國雄九段の「自在流スラスラ上達塾」より。
将棋ペンクラブが今話題である。
観戦記者の地位向上を図るのが目的であるとか。
私は、ある意味では対局者より観戦記者の役割の方が重大だと思っている。棋譜のところをとばして読むファンの方が、はるかに多いからである。
ただそうはいっても、勝因敗因くらいははっきり書いておかないと観戦記がしまらない。
対局者に記者が必要以上に気を遣うのも、その辺の(局後に分かりやすく感想を言ってもらう)ところに理由があると思われる。
実は私も感想戦を行わず、終わればすぐに帰ることがある。これは棋譜が新聞に出ない時だけである。
棋譜を掲載するために記者が退屈なのをがまんして待っているのに、感想を言わずに帰るというのは、仕事を途中で放り出したのとあまり変わらない。
いずれにしろ棋譜だけでは売り物にならないのだから、対局者は謙虚であるべきだと思う。
一つだけ観戦記者に注文がある。
それは棋士について棋風だけではなく、気風の方もしっかりつかんでほしいということである。
たとえば局後の感想戦においても、サービス精神のない者は自分の気になるところだけ検討してさっさと引きあげてしまう。
逆に脱線してしまっている局面から延々と指し手を続けて、記者を辟易させる。
私としては、記者の立場が分からぬでもないから、気分のいい時はできるだけ書きやすいようにポイントをしぼってしゃべる。
勝った時は自然にそうなるが、同時に戦った相手を労る気持ちになってくる。
「ちょっと苦しいかな」という局面を「うまく指されて、ここでは負けだと思っていた」という。
これが記者によっては、そのまま受け取られて、内藤が大逆転とか、命拾いの一局、と書かれてしまう。
ちょっと待ってくれ、といいたくなるのである。
一方強気一辺倒の人は、勝てば圧勝、負ければ必勝局を落とすということになる。余程無茶に指さないかぎり、一局中1回や2回は、有望な場面が生じるものである。
記者に、各棋士の棋風だけでなく、性格、人間性、サービス精神の有無といったものをつかんでほしいというのは、そういうところにある。
(以下略)
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阿吽の呼吸というべきか。
一朝一夕にはいかないものの、この辺の機微をつかむのも、観戦記者のミッション。
棋士の棋風および気風が千差万別であればあるほど、面白い世界が繰り広げられるということになる。