将棋世界1988年12月号、青島たつひこ(鈴木宏彦)さんの「駒ゴマスクランブル」より。
勝負は分からない、ということが分かった。
竜王戦決勝七番勝負が始まった。決勝の組み合わせは米長九段対島六段。
準決勝三番勝負の第1局を米長九段と中原王座が勝った時はそのまますんなり行くものとばかり思っていたのだが、島の爆発力は想像以上のものがあったようである。
中原-島の準決勝三番勝負、第1局の将棋を観戦させてもらった時、印象に残るシーンがあった。
午後4時半、局面は1図だったと思う。塾生君が夕食の注文を取りにきた。
形勢は大差で先手がいい。島はすっかりあきらめた顔をしているし、手にも力が入っていない。こうなってしまった時の島は正直だ。
常識的には十中八、九、いやそれ以上の確率で夕食休憩前の終了が予想されるケース。いかに大一番とはいえ、ここで先手側で指していて夕食を注文する棋士は少ないはずである。(それにもし夕食休憩に入れば、外に食事に行く手だってある)まあ、注文するとしても軽く蕎麦くらい頼むのが普通と思う。
が、中原王座は表情一つ変えるでもなく、食事の注文をした。「2,000円の天丼と赤だしね」
島は苦笑しながら「僕は結構です」
将棋は午後5時8分に終わった。もちろん中原王座の勝ち。
記者はこの注文、中原王座が島に対してダメを押したものだと思った。「いくら粘ってきてもこっちも慌てませんよ」という意味かなと。しかし、感想戦が終わった後、中原王座は笑いながらこういった。(食事注文をしないで)「相手を刺激しちゃいけないからね」
いうまでもなく、島は中原王座にとっては日頃から可愛がっている弟弟子。島から見たら中原王座は兄弟子というより大先輩。その弟弟子に対して、なんとまあ慎重な姿勢。
記者はこの時、この準決勝は中原王座が絶対に勝つと思った。が、あにはからんや、その結果は…。勝負というのは分からないものである。競艇や競輪の予想屋さんが、自分で舟券や車券を買わないのも、もっともだと思う。
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第1期の竜王戦なので、準決勝三番勝負は通常の期の挑戦者決定三番勝負にあたる。(もう一方の山でも準決勝三番勝負が行われている)
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たしかに、対局中、外へ食事に行けた時代なので、「注文なし」だったとしても、相手に何の刺激を与えるものでもない。
なおかつ、書かれている通り、簡単に麺類を注文しても済んでいたはずだ。
「相手を刺激しちゃいけないからね」ということはあったかもしれないが、盤上も盤外も自然流の中原誠十六世名人のことなので、純粋に天丼を食べたかっただけとも考えられる。