将棋世界1989年5月号、浦野真彦六段(当時)の「昇級者喜びの声(C級1組→B級2組)より。
今期、羽生、村山と当たっていた私はまず2敗は計算していた。たとえ2敗で行っても、羽生君が全勝か1敗で上がるとして、他の人がくずれなければチャンスはない。しかも2敗で残り全勝するのはちょっと難しい。という訳で自分が上がれるとは考えていなかった。
一番印象に残っているのは、何といっても羽生君と将棋を指せたこと。彼が上がると思っていたので、指せるのは今期だけだろうと。他の棋戦と違って、本当に勝負できるのはこれが最後だと思っていた。だから、抽選で当たることが分かってから、非常に楽しみにしていた。対羽生戦は初手▲7六歩に私が△3二金と上がった将棋で、自分らしく指せたと思う。図(省略)はその終盤の局面。ここで△2八飛▲1八角△4六歩▲同歩△2五桂と指せば、私の勝ちだったようだが、単に△4六歩と突いて負けてしまった。
7局目の対所司戦に勝って自力になって、流れが自分の方に向いてきたなと思った。それにしても、勝った将棋はひどい将棋ばかりで、いい将棋は負ける―。これが順位戦なんでしょうね。
最終局もそれほどプレッシャーは感じなかった。2,3日前にあまり眠らなかったせいか、前の晩はよく眠れた。食欲は相変わらずなかったけれど。緊張感はもちろんあったが、盤の前に座ってしまえば関係ない。結果を考えず、悔いの残らないようにとだけ考えていた。
対宮田戦、良くなったと思ってから、時間もないせいか、よく読めなかった。ほうっとして何か感覚で指している感じ。だから、宮田六段が投げられた時は、びっくりした。思わず「えっ」という声が出たほどである。
現在はただ嬉しいという言葉しか見つからない。素直に喜びたいと思う。そして、両親、仲間、応援してくれた人に感謝したい。
来期のことはあまり考えていない。羽生君が上がってきて、抽選で当たればもう一回勝負ができる。それが楽しみである。
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浦野真彦五段(当時)は、自身の予測通り、羽生善治五段(当時)と村山聖五段(当時)の二人に敗れたものの、残りを全勝でB級2組に昇級している。
羽生五段は8勝2敗の頭ハネ、村山五段は7勝3敗だった。
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「勝った将棋はひどい将棋ばかりで、いい将棋は負ける―。これが順位戦なんでしょうね」
これは、対戦相手から見ても裏返し的に同じことが言えるわけで、ある側面でのひとつの真理なのかもしれない。
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この期のC級1組順位戦にはいろいろなドラマがあった。
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羽生五段の、最終戦を前にして考えていたことも、自戦記に書かれている。