将棋世界1989年7月号、谷川浩司名人(当時)の「名人と読みの大局観」より。
正直言って、最初はあまり気合いが乗らない対局だった。
王将リーグを3勝3敗で終了した後の残留決定戦。4名のうち3名まで残留できるし、たとえ2連敗で陥落したとしても、次期の二次予選で2連勝すれば、またリーグに復帰できるのである。
休日で対局も少なく、和やかな雰囲気で対局開始。
ただ、だからといって、新しい戦型を試してみよう、という気にもなれないものである。
先番、中村修七段の飛先不突矢倉、早囲い模様に対し、こちらが急戦を匂わせる。
(中略)
▲4八銀からの変化は非常に難しいのだが、本譜に戻ろう。4図からは攻めが続いているようである。
以下、▲5八飛△6六角成(!)▲同金△8六飛▲8八角△5七歩で5図。
角損の攻めだが、どうも性格で、このような派手な手を発見すると、どうしても盤上に表したくなるのである。そのために、▲4八銀の一手を軽視した、とも言える。
△8六飛の十字飛車に、▲6五金△8九飛成▲7九金△9九竜と敵陣で暴れられてはひどいので、▲8八角は当然。
対して△5七歩、と好調な攻めが続く。
わざわざ叩かれる5八へ飛車を逃げるのも癪なのだが、かといって、4図で、▲1八飛は△5七桂成、▲3八飛は△5七角成があるのである。
(中略)
5図からは、▲2八飛△8七歩▲7七角△同桂不成▲同銀△5八角▲6八玉△8四飛で6図。5図で▲5七同銀だと△同桂成▲同飛の時、手筋教室のような△7七歩で綺麗に決まる。
(中略)
ただし、この△9四角成、前々からの読み筋だったわけではなく、直前になっての発見である。3図と7図の2ヵ所。結果オーライという感じで、読みの内容には不満があった。
感想戦の後は必然的に、ちょっと一杯、ということになる。
残留決定戦ではあっても、やはり勝てば嬉しい。名人としては、最低限リーグに残っていたい、とも思う。
「最近、あんまり調子良くないんですよね」
と中村七段。実はお互いに何としても勝ちたい一番だったのである。
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「休日で対局も少なく、和やかな雰囲気で対局開始」
この王将戦リーグの残留決定戦は、七番勝負が終わってからかなり経った5月5日に行われている。
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「たとえ2連敗で陥落したとしても、次期の二次予選で2連勝すれば、またリーグに復帰できるのである」
この自然に湧き出る自信が、”勢い”と言えるだろう。
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「残留決定戦ではあっても、やはり勝てば嬉しい。名人としては、最低限リーグに残っていたい、とも思う」
棋士にとって勝利は何にもまさるエネルギー源。
気合いが乗らないという思いを持っていた対局前とは、考え方が結構変化している。
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「ただ、だからといって、新しい戦型を試してみよう、という気にもなれないものである」
新しい戦型を試したくなるタイミングは、棋士によってそれぞれ異なる。
升田幸三実力制第四代名人は、B級1組の七段に新しい戦型を最初にぶつけることが多かった。
→「升田新手の被害者第一号にはB級1組の七段あたりがよく選ばれていた」
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「どうも性格で、このような派手な手を発見すると、どうしても盤上に表したくなるのである」
△6六角成など、普通ではとても思いつかない。
光速の寄せとともに、このような「性格」が、華麗な谷川将棋の源泉となっているのだと思う。