近代将棋1990年3月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。
某月某日
ところで、わが関西にも最近婚約した棋士がいる。神崎四段がその人。フィアンセは御坊市の久美子さん。こちらは久美子さんが和歌山駅前で通りすがりの神崎四段に道をたずねたのがきっかけ―と、最近本人から聞いた。
某月某日
周囲に気づかれないように、こっそり女性と交際し、ある日突然、婚約発表。「最近こんなパターンが増えてきましたね。浦野さんのときもそうだったし」と谷川名人に声をかけたら、「みんな”先輩を立てる”とか何とか言っておきながら、ひどいですよねェ」という返事が返ってきた。
某月某日
昼すぎ、谷川名人が来宅。夕方からフェスティバルホールで「新春歌の祭典」というビッグイベントがあり、それに出演するという。「いまリハーサルを済ませてきたところです。突然おじゃましてすみません」と名人。本番まで3~4時間もあるのでコーヒータイムというわけ。谷村新司の「Far away」を歌うらしい。私は応援に行きたいが、あいにく先約(創棋会新年宴会)がある。で、ミーハーの妻が代わりに行くことになった。6時から宴会。吉田健さん、岡田敏さん、若島正さんetc。森五段と浦野六段もいる。どこを見渡しても詰棋界で高名な人たちばかりだ。文学であれ音楽であれ、すぐれた作品を産み出すには並外れた想像力が要る。この点は詰将棋も同じ。でもこの世界は不思議なことに、どんな名作を発表しても、それに見合った対価(原稿料)が支払われたことがない。この不幸な状況はいつまで続くのか―と彼らを見ていて私は思う。
某月某日
谷川名人と一緒に彦根へ王将戦第1局(2日目)を見に行く。対局室に入ると米長九段が名人に「まさか棋王戦のほうを見に行こうとしてるんじゃないでしょうね」。近く棋王戦五番勝負を控えている南王将はニヤニヤ。先の竜王戦で谷川さんは「羽生将棋を勉強させてもらう」と、何度も対局場へ足を運んだ。米長九段にすれば、その名人が自分の王将戦には顔を出さないということになればプライドを傷つけられるわけだ。「はあ…」と谷川さんは苦笑い。将棋は米長九段の完勝だった。打ち上げの後、私は九段の部屋へ行って現在の心境や今後の抱負などを聞く。深夜の娯楽室はマージャンあり、酒ありと大層にぎやか。何とプロ同士の将棋もあり、桐山・長沼戦に続いて桐山・米長のビッグ対決が始まったのには驚いた。「A級順位戦が始まったよ」と名人。当人は私が貸したゲームボーイでテトリスに夢中。南王将の姿は見えない。もう眠っただろうか。
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「周囲に気づかれないように、こっそり女性と交際し、ある日突然、婚約発表」
普通はこの方が一般的だと思うのだけれども、どうなのだろう。
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「こちらは久美子さんが和歌山駅前で通りすがりの神崎四段に道をたずねたのがきっかけ―と、最近本人から聞いた」
このパターンから結婚に持ち込むのは、かなり難易度が高い。運命的な出会い、生まれた時から赤い糸で結ばれていたのだと言えるだろう。
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「みんな”先輩を立てる”とか何とか言っておきながら、ひどいですよねェ」
この時代のこの年代だけのことかもしれないが、結婚でも先を越されたくないという勝負師気質が表れている。
島朗七段(当時)と中村修七段(当時)との間で「先に結婚するほうが年齢✕1万円を払う」という契約が締結されていたが、先に結婚を決めた島七段から突然27万円を受け取った中村七段は、それからしばらくの間、ショックを引きずっていたという。
普通なら27万円をもらった方が嬉しいのに、そうではないところがやはり勝負師。
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「どんな名作を発表しても、それに見合った対価(原稿料)が支払われたことがない。この不幸な状況はいつまで続くのか―と彼らを見ていて私は思う」
これは難しい問題だ。クラウドファンディングのようなものを利用して、詰将棋の賞の賞金を劇的に上げるということも考えられるが、それが現実に合っているのかどうかはわからない。
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「当人は私が貸したゲームボーイでテトリスに夢中」
桐山清澄九段-米長邦雄九段戦が行われている横での谷川浩司名人(当時)のテトリス、という娯楽室のたまらない光景。