大山康晴十五世名人の年頭所感と年頭予言

近代将棋1991年1月号、大山康晴十五世名人の「年頭所感 将棋文化普及の年に」より。

 将棋ファンの皆さん、明けまして、おめでとうございます。

 「近代将棋」は昭和25年に発刊され、今日まで半世紀に近い年月を将棋の普及に尽くしてこられました。それを支えてこられた読者の方々に敬意を表したいと思います。

 昭和から平成へと時代は変わり、平和な時代が続いていることは、将棋界にとっても大変、幸せなことであり、一層、将棋の世界が広がり、充実し、発展していくことを望んでやみません。

 昨年、平成2年には、将棋界にとって画期的な出来事がありました。私事にわたるので恐縮ですが、将棋界から初めて私が文化功労者として顕彰されたのです。

 将棋は日本の伝統的な文化であると、私どもは常に考えていましたが、ともすれば、勝負の世界の感じが強く、社会的にはっきり認知されたわけではなかったのです。ところが、今回、私が文化功労者という光栄を受けることにより、将棋は文化であると、国から認められたわけで、将棋界のために御同慶にたえない次第です。

 昨年11月5日、国立教育会館において顕彰式があり、保利文相から顕彰状と年金証書を頂きました。

 午後、皇居内で文化勲章受章者5人、文化功労者15人と宮内庁関係者が出席して、お茶会が催されました。天皇、皇后両陛下が各テーブルを回られ、私は15分ほど、将棋と皇室について、お話し申し上げました。

 昭和天皇が将棋をお指しになられたこと、また明治天皇もお好きであられた由、そして古くは後水尾天皇が水無瀬神宮に奉納されたご宸筆が将棋駒の書体となって、現在も使わせて頂いていることなどをお話しましたが、15分ほどが、あっという間に過ぎてしまいました。生涯の感激でした。

 将棋は勝負の世界と言われてきましたが、プロの間では400年の棋譜を再現して、その中に文化、哲学といったものを見出しておりました。今回、その文化性を認められたことが非常に嬉しいわけです。

 この、よき文化を今後、さらに国の内外にどう普及させていくか、将棋連盟の棋士、関係者が自覚を持ってやっていくことはもちろん、ファンの皆様のご協力が基本であると思っております。

 昨年の将棋界は、中原誠さんが名人に返り咲いたものの、棋聖、王座のタイトルを10代、20代の棋士に奪われるという波乱の年でした。

 今年は当然、昨年の延長であるわけですが、私は少し違った見方をしております。それは、こういうことです。

 今年の将棋界は中原誠名人の打倒を目指して、谷川浩司王位・王座をはじめとする若手がどこまで活躍するかに興味が持たれます。40代と20代の争いが、正念場として繰り広げられるでしょう。

 そして、時代は徐々に20代の世界になっていくのですが、最終的には勝ち残るのは一人で、その人こそが中原名人の跡を襲って第一人者の地位を獲得します。それが誰になるか、この2、3年の間には、はっきりする。その激流の時代の幕開けが、今年、平成3年であるような気がします。

 実に片時も目を離せない面白いドラマが次々に現れると信じます。そうして、将棋界が技術の錬磨はもとより、広くファンをふやして、国民のより多くが、将棋に親しむことができるよう、私ともプロは頑張らなければいけないと決意しております。

 今年は、そういう年でありますので、皆様もご自分の棋力向上のため、一層の精進をされるよう願ってやみません。

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近代将棋同じ号より。

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文化功労者は、学術、芸術、文学、歌舞伎を中心とする芸能、が主な対象分野となっていたが、平成に入ってから、1989年の森英恵さん(服飾デザイン)を皮切りに、顕彰者の対象ジャンルが拡がっていった。

そのような意味では、大山康晴十五世名人はその翌年、対象が拡がってから2年目に、新しいジャンルからは水泳の兵藤秀子さん(前畑秀子さん)とともに顕彰されている。

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「昨年11月5日、国立教育会館において顕彰式があり、保利文相から顕彰状と年金証書を頂きました」

文化功労者には年間350万円の年金が支給される。

ちなみに、文化勲章受章者には年金を支給する規定がないので、文化勲章受章者は、故人を除いて一斉に文化功労者としても顕彰されている。

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「時代は徐々に20代の世界になっていくのですが、最終的には勝ち残るのは一人で、その人こそが中原名人の跡を襲って第一人者の地位を獲得します。それが誰になるか、この2、3年の間には、はっきりする。その激流の時代の幕開けが、今年、平成3年であるような気がします」

この大山十五世名人の予言は的中し、無冠になった羽生善治前竜王(当時)が、棋王位を獲得して七冠へ向けて邁進し始めるのが、まさに平成3年(1991年)からのことだった。