「将棋は一手負けだろうと、大差負けだろうと、王様を素抜かれようと、すべて負け、つまり相手に負けるということは、ひょっとしたらオレはこいつより劣っているのではないだろうか。頭の片隅に疑念が浮かび、あなたのプライドが即座にそれを否定しにかかりますが……」

なかなか攻撃的な講座。

近代将棋1991年1月号、小野修一七段(当時)の「仕掛けのタイミング」より。

 さてさっそくですが、あなたが世の中で一番口惜しいことは何でしょう。人によって千差万別、もしサラリーマンなら上役に威張られるとか、同僚に出世の先を越されるとか、女の子に相手にされないとか色々とあるでしょう。これらのことは大変口惜しい。本当によくわかります。

 しかし私が思うに、将棋を趣味と自認するあなたが、自分より頭の悪い相手(あなたがそう思っているだけかもしれませんが)に将棋を負けたときの悔しさたるやこれら以上に筆舌に尽くしがたいものがあるはずです。

 もしこれが碁だったら、作って2、3目負けていてもそこはアマ同士「チェ、ついてないな」で終わります。碁の方が勝負という観点から柔らかいものがあるようです。会社の同僚に先を越されても「世渡りのうまい奴にはかなわないよ」と酒場でグチを言えばよいし、女の子に振られても「A型とB型では相性がいまいちなんだよな」と血液型に責任をなすりつけることができます。

 ところが将棋は一手負けだろうと、大差負けだろうと、王様を素抜かれようと、すべて負け、つまり相手に負けるということは、ひょっとしたらオレはこいつより劣っているのではないだろうか。頭の片隅に疑念が浮かび、あなたのプライドが即座にそれを否定しにかかりますが、そんなときに相手が、「将棋は頭の勝負なんだよな」と言外にちらつかせたりするともう大変、こいつだけは絶対に許せないと頭が沸騰して、次の日少し冷静になった所で、本屋の棋書コーナでページをめくっている自分を発見します。

「一日で初段になる法」「ライバルに鉄槌を下す」「将棋が強いと女にもてる」刺激的な題名にひかれて一冊買ってみる。しかし3日もたつと飽きてしまい本棚行き、またライバルに負ける。そうすると自分の不勉強を棚に上げ、「暇な奴にはかなわないよな」と嫌味の一つも言ってみるが、何かむなしい。

 おわかり頂けましたでしょうか。あなたにとってほんの遊びの将棋でも、勝者と敗者ではこれだけの内面の葛藤の差があるのです。勝った相手が「いやまぐれですよ」などと言っても信じてはいけません。内心ではあなたのことを頭の悪い奴だと思っているに違いないのです。

 たかが将棋ぐらいではと思ってはいけません。ひとたび盤に向かえばプロであろうとアマであろうと、初級者であろうと老若男女真剣勝負なのです。金が賭かっていなくても、あなたのプライドが賭かっているのです。自分のプライドが不当な扱いを受けぬよう将棋は勝たねばしょうがないとあなたが悟りを開いた時、またこの講座を読んでライバルに勝った暁には、「将棋は頭の差が出るねぇ」と一言いってやりましょう。

(以下略)

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「将棋は頭の差が出るねぇ」は、相手が気心の知れた友人であっても言わないほうが良いと思うが、たしかに、将棋に負けた時は、全ての責任は自分にあって、相手が悪いわけではない。

とにかく、何かのせいにするということができない。

負けた時の悔しさは、人それぞれ、強弱に個人差はあるけれども、自分で受け止めるしかない。

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「つまり相手に負けるということは、ひょっとしたらオレはこいつより劣っているのではないだろうか。頭の片隅に疑念が浮かび、あなたのプライドが即座にそれを否定しにかかりますが」

そこまでは思わないが、ネット将棋でこちらが後手で、▲7六歩△3四歩▲2二角不成のように、序盤早々に角不成で来るようなマナーの悪い相手に対して負けた時は、かなりアツくなる。

というか、▲2二角不成とされた時点からムッとなっているわけで、相手の顔が見えるのならまた違うのだろうが(もっとも、対面での対局なら、▲2二角不成などやってこないだろう)、このようなことに感情を動かされないよう、まだまだ私には修行が必要なようだ。