升田幸三実力制第四代名人が最後に公の場に姿を現した時

将棋マガジン1991年5月号、朝日新聞の谷口牧夫さんの第9回全日本プロトーナメント決勝五番勝負第1局〔森下卓六段-桐山清澄九段〕観戦記「森下先勝、桐山の穴グマを崩す」より。

将棋マガジン同じ号より。

 ことしの決勝は桐山清澄九段と森下卓六段の顔合わせ。この二人が128人の全棋士が参加した大トーナメントの頂点を目指す。今回は三番勝負から五番勝負に衣替えして、優勝賞金は昨年のほぼ倍増の1,500万円。

(中略)

 翌3月1日、朝7時40分ごろ、地震で揺さぶられた。発表は震度2とのことだったが、窓ガラスがびりびり鳴って震度4ぐらいに感じた。朝食のとき、森下「あれは地震だったんですか。突風が吹いたのかなとも思って……」。

 羽沢ガーデンは元満鉄総裁の別邸として建てられた屋敷。「建物にも年季がはいっていますから」と中居さんが笑った。外は風が強かった。

(中略)

 桐山は第1回の優勝者。準決勝で谷川浩司竜王を破って8年ぶりに決勝へ。前夜、「休養十分でしょう」のあいさつに、下を向いて笑った。

 森下は、羽生善治前竜王を下して初の決勝進出。それまで、2勝7敗と羽生にはひどい目に遭わされていた。勝った日はさすがにうれしそうで、「久しぶりに焼き肉を食べにいきましょうか」という話になった。しかし若手軍団が待っていたので当方は遠慮した。白頭を悲しむ翁がついていっても面白くないだろう。

(中略)

 お昼前、「サラダ記念日」でおなじみの俵万智さんが、父親好夫さんと一緒に現れた。小柄で明るい感じ。好夫さんが将棋好きという。

(中略)

 午後2時ごろ、升田幸三実力制第四代名人が静尾夫人の付き添いで姿を見せた。こちらも羽織はかま。羽沢ガーデンは同名人の古戦場だ。ここ3年ほど、決勝戦では必ず現れる。足が少し不自由。特別に用意されたいすに腰かけて、悠然と継ぎ盤をのぞく。昔の他を圧する豪放さは消えて、円くなった感じ。

「玉がこんな端っこにいって、昔なら破門だね」とにやり。もうひとつ、「穴グマはよくないね。駒の働きの範囲をせばめる」

(中略)

 森雞二九段、小野修一七段、沼春雄五段らプロ勢にアマ棋客も交じって、にぎやかさの頂点に達していた。俵万智さんは、「こんどは将棋の歌をつくってみます」と言い残して帰って行った。「将棋はあまり分からないけれど、こういう雰囲気は好きですね」。また、どうぞ。

(中略)

 升田幸三第四代名人は、”命の水”(焼酎)を含みながら、静かに継ぎ盤を観戦。将棋については何も発言がなかった。桐山九段は弟子である。

「小学校5年のとき家にきたが、1年はいなかったね。おとなしくて何も言わんかったので、こっちもよう分からんかった」。そう言いながら、弟子の成長には、目を細めている感じだった。大勢を見極めると、そっとご帰還になった。

(以下略)

将棋マガジン同じ号より。

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全日本プロトーナメント決勝五番勝負の第1局は、東京・広尾にあった羽沢ガーデンで行われるのが定番だった。

この前々年の谷川浩司名人-森内俊之四段戦では、升田幸三実力制第四代名人は森内四段優勢の場面で、「名人がC級2組に負けちゃいかん」の一言を残し帰っている。

升田実力制第四代名人と親しかった故・京須行男八段の孫である森内四段の応援の意味も込められていたという。

谷川浩司名人(当時)の隣に座った受験生の少女

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一番上の写真では、俵万智さん、記録係の藤井猛三段(当時)が確認できる。

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「穴グマはよくないね。駒の働きの範囲をせばめる」

これは、堅さよりもバランス重視の現代将棋の潮流を見事に言い表している。

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升田実力制第四代名人は、この約1ヵ月後の4月5日に亡くなっている。

この時が、公の場に最後に姿を現した時だった。