羽生善治七冠(当時)「15歳ぐらいの私なら経験の差で、何とかあしらえると思うんですけど(笑)」

将棋世界1996年4月号、「七冠達成直撃独占インタビュー 羽生七冠王の将棋宇宙」より。聞き手は大崎善生編集長(当時)。

―昔は棋譜はほとんど覚えていたけど、最近は忘れることが多くなったとおっしゃっていましたが、それは進化の過程なんですか。

羽生 じゃなくて、退化の過程(笑)。退化の見事な証明。

―人知れず退化してる(笑)。でも忘れることがプラスになることもあるわけですよね、色々な状況において。

羽生 そういうこともありますが、でもまあ覚えていた方がいいんでしょうね。年齢が上がっていくに従って忘れるというのは当然のことであって、そういうマイナスを補うプラスがあればいいんです。記憶力を、30代40代になっても維持するように努力するよりも、それはそれで落ちていくのは仕方がないことで、別のことでプラスアルファがあれば、トータルでは力が持続できるということですね。

―別の何かというのは、例えば発想の自由さとかですか。

羽生 そうですね、ええ。自由な発想もあるし、勝負ということでいえばハートの面もあるでしょうし。

(中略)

―羽生さんの読みというのは、例えば15手目ぐらいの局面がパッと見えちゃうんですか。

羽生 いや、そういうのは最後の場面で、こういう形で詰み上がればいいなとかそういうのはありますけど、それであとからつじつまを合わせるとかいうのもあるし。後は、今までの指し手の連続の中で、この局面はこの一手でなければおかしいということをよく考えます。つまり、今までの指し手の流れの中からいって、この局面ではこの手が最善手でなければならないはずだっていう仮定をたくさん立てるんです。だから前の指し手があればあるほど、それは次の手を考えるヒントというか材料がたくさんあるということだから、考えやすいんですよ。しかし、序盤はそれが極端に少ないからわからない。だから終盤の方が考えやすいということはありますね。

―つまり最善手というのは今までの指し手を矛盾させない手ということなんですか。

羽生 一局の流れの中で次を見るんです。今までこういう仮定でこういう駒のテンポで動いてきたから、その次は今までの指し手の意味を継承するか、あるいは相手の指し手の弱点を突くか、どちらかの手が最善手であるわけですから。それは多分この手だろうと見当をつけて、それに裏付けを取るということですね。

―やっぱり逆算と正算みたいな読みを繰り返して。

羽生 そうです。両方をやって。

―カンとかあらゆることを駆使して。でも指される手は一手だけなんだ。

羽生 そうですね。

―以前の本誌のインタビューで升田先生と将棋を指したいと語っていましたが、どういう所に一番魅力を感じますか。

羽生 最後まで指さなくていいんですけど、序盤戦だけ、20、30手位を10局位指したいんです。そうすると、どういうことを考えてああいう発想をしたのかということがわかるかもしれないから。

―ああいう発想とはどういう発想ですか。

羽生 つまり、升田先生は、未来を見る目を持っていたんですよ。だから、その時はわからなくても、この先何十年か経った時には、この手がいい、新手として残るという、そういう未来を見る目をキチンと持っていた。その未来の目を持つためには、どういう感覚が必要なのかと、どういう発想が必要なのかと、そういうことをできれば知りたかった。

―それは対局の中においてしか知りようがない。

羽生 ないですね。棋譜で見てそれがわかればいいんですけど。もちろん、対局してみる方が数段いいと思います。

―あの人間性が面白いとかいうんじゃなくて(笑)。

羽生 人間的にも面白いと思っていますよ(笑)。個人的には凄く好きな先生です。

―格好いいですもんね。しっちゃかめっちゃかで(笑)。奥さんも面白い方ですよ。

羽生 そうですね。将棋世界の話は面白かった(笑)。ああいうキャラクターでないとああいう発想が生まれて来ないのかなあ。

―大山先生はどうですか。

羽生 勝負術ですね。勝負術ということに関していえば、将棋以外のありとあらゆる勝負事にあてはめられるような勝負哲学をお持ちになっていたという気がします。

―精神面は特に凄いですよね。異質な強さというか、独特な強靭さ。

羽生 大山先生は一言でいうと相手を疲れさす強さですから。だから、何十時間という持ち時間があってある局面でゆっくり休んで、またそれで指すのだと多分苦手だと思うんですよね。限られた時間の中で、この一局の将棋に勝つということに関しては素晴らしいものがあったと思います。

―羽生さんはプロの四段の実力になったのはおいくつぐらいの時ですか。

羽生 いや、多分、それは三段とか四段位の時……。

―しかし、四段になってすぐに本誌で当時のタイトルホルダーと対局する企画があって勝ち越したんですよね。ということは、その時にはすでに八段位はあったと……。

羽生 それはですね、あれは全部持ち時間が短いですよね。だから例えば10秒将棋とかでトーナメントなりリーグ戦をやったら三段リーグの人が優勝するかもしれませんよ。短い時間であれば、15歳でプロになって、18とか19とかそれ位までが一番強い時期だったんじゃないですかね。ただ、長い持ち時間になると話は違ってくるでしょうけど。

―というと、やっぱり段が上がるにつれて、実力も上がっていったということですか。

羽生 実力が上がってきたというか、持ち時間が長い将棋のレベルが上がってきたということですね。10分切れ負けとかだったらもう力が落ちてますから、昔の私に勝てませんから、今は……。20歳の私は手の見え方が違いますから勝てない。

―15ぐらいの私には?

羽生 15ぐらいの私なら経験の差で、何とかあしらえると思うんですけど(笑)。

―結構手強いですよね。

羽生 結構手強いですよ(笑)。ムチャクチャやってきそうだし、大変だと思います。

(以下略)

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昔の自分と今の自分が戦ったらどちらが強いか。

これは永遠のテーマになるのだと思う。

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例えばアイドル歌手。

どんなに売れたアイドル歌手がいたとしても、10年同じスタイルを続けていればどんどん人気は落ちてくる。

うまく女優などに転身できれば、例えば小泉今日子さんのように活躍しつづけることも可能となる。

昔の小泉今日子さんと今の小泉今日子さんを戦わせたら、どちらが強いか。

これは、どのような軸で比較するかで変わってくるわけで、一概には決まらない。

現在の羽生善治竜王と22年前の羽生善治七冠を戦わせたらどちらが強いか、も同じような問題になるのだと思う。

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それにしても、25歳の段階で「自身の退化とそれを補うもの」について考え始めているのだから、本当にすごいとしか言いようがない。