不憫だった駒の恩返し

将棋マガジン1992年1月号、鈴木輝彦七段(当時)の「万丈盤記’92」より。

将棋世界1991年11月号より。奥野一香作盛上駒。柾。巻菱湖書。

 阪田三吉名人・王将の「銀が泣いている」は有名な台詞だ。芝居にも映画にもなっているから多くの人が知っている。

(中略)

 最近では森安九段の「駒の声を聴いていますね」と言った言葉が印象的だ。他の人の将棋を誉めて言っているのだが、これは詩人の感性だと思った。

 詩人のまなざしは「心」に向けられている。駒でさえも単に物とは見ない。時に、詩人は、草木と語り、星々と対話し、太陽とあいさつを交わす。この豊穣なる精神の泉を詩心と呼ぶのだと思う。

 大袈裟に言えば、将棋の駒と棋士の見えざる生命の紐帯を覚知するとでも言うのだろうか。

 ともかく、将棋に惚れ抜いている人にしか言えない事だと思った。

(中略)

 2図は今期王座戦第3局の途中図。

 福崎八段の2連勝で迎えた本局だったが、2図では必敗の局面と言われていた。

 20分以内には終わるだろうという人も現れて、控え室はあわただしい雰囲気に包まれた。

 多分に、谷川王座の終盤への信用がある訳で私ならこうはいかないだろう。

 △7五金が名手で、如何ともしがたいのも事実ではあった。

 少考後、▲7三歩成と福崎は指した。諦めた手付きに、一層終局の近さを感じさせたが、私は私で別の事を考えていた。

「これで▲7四歩の顔も立ったな」と思ったし、福崎自身も顔を立てたかったと思う。

 数手前の▲7四歩がこの将棋の敗着でもあった。わざと桂をハネさせて受けに回ったのが、俗に言う「呼び込み過ぎ」というヤツで、好局をフイにしてしまった。

 しかし、7四の歩に罪はない。指したのは福崎なのだ。

 2図からの負け方にはいろいろある。いろいろあるが、▲7三歩成に心を打たれる。

 実戦は△7六金▲8二と△7五角となり益々いけなくなった。

 それでも7四歩は喜んでいるだろう。大砲の飛車を取ったのだから。

 同じ負けるにも2図から▲6四歩△7六金▲2四桂という様な順では、7四歩が一人残ってしまう。

 これでは可哀想だ。悪手も、指す時には縦横の働きを願って指すし、最善手と思って指すのだ。思い入れは悪手ほどあるものだ。

 その駒に最後の働き場所を与えてあげる。その事が尊い将棋の心だと思う。

 将棋指しの精神ここにありだ。

 王座戦はこの後、フルセットまでもつれ込み、最後は千日手指し直しまでいった。

 指し直し局も大熱戦で、どちらが勝っても不思議ではなかった。

 残り時間1時間が、タイトルの行方を決める一番とは過酷な気もするが、これは仕方がない事でもある。

 最後の最後は本当に指運の勝負で、谷川さんにも惜しまれる内容だった。

 タイトルの行方は神のみぞ知るだったが、第3局の7四の歩が何故か福崎に味方してくれたような気がしてならない。

* * * * *

「悪手の顔を立てる」というのとも違う、「悪手を成仏させる」とも少し違う。

やはり、「駒の声を聴いている」というのが最も的確な表現になるのだろう。

いつの機会にか、その駒が恩返しをしてくれる。