石田和雄八段(当時)「こっちへこい。こっちへこい」

将棋マガジン1992年6月号、朝日新聞の谷口牧夫さんの第10回全日本プロトーナメント決勝五番勝負〔羽生善治棋王-森下卓六段〕第1局~第3局観戦記「若い竜虎、しのぎを削る」より。

全日本プロトーナメント決勝五番勝負第1局。将棋世界1992年5月号より、撮影は中野英伴さん。

 第1局(3月19日=東京・羽澤ガーデン)。この棋戦では恒例の対局場で五番勝負の開幕である。樹木が茂り、芝生が広がり、鳥がさえずる。都心とは思えない所。

 将棋でも森下の用心深さは定評があるが、日常生活でも同じようだ。例えば、前夜の夕食会は6時半に予定されていたが、その1時間前には到着していた。その夜はいったん帰宅したが、翌朝は8時半にはもう現れた。対局は10時開始なのにだ。

 羽生はそれほどではない、というか普通だろう。ただ対局の朝は、定刻近くになっても現れなかった。みんなが心配し始めたころ駆け込んできた。途中、朝食を食べに入った店で注文したものが、なかなか出てこず遅くなったのだという。「しまった。朝食を用意しておくのだった」とは、こちらの反省。

 振り駒は森下の先番となった。振った歩が5枚とも裏返しになったのを見て羽生は吹き出した。

 立ち上がり、羽生は振り飛車の気配も見せた。対して森下は急戦もあるよで応戦。結果的にはじっくりした矢倉になったが、最近の矢倉は実に手が込んでいる。

 本局の立会人は石田和雄八段(現九段)。ご存知の通り、1月に「あと1勝で九段」までこぎつけながら、そのあと6連敗。森下に向かって、「盤の横(立会人)じゃなくて、本当はそこに座っているはずだったんだ」と言って笑わせていた。今回のトーナメント準々決勝で森下に好局を落としたのを言っている。

 会食のときなど、扇子で羽生、森下の方から自分の方へ「こっちへこい。こっちへこい」とあおぐ。二人の強さを吸収しようというのだ。いつも座をほぐして和やかな雰囲気にする立会人だった。

(以下略)

全日本プロトーナメント決勝五番勝負第1局の感想戦。将棋世界1992年5月号より、撮影は中野英伴さん。

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羽澤ガーデンは東京・広尾、日赤医療センターや聖心女子大の近所にあった。

「途中、朝食を食べに入った店で注文したものが、なかなか出てこず遅くなったのだという」

この頃の広尾や隣の南麻布に、朝食を食べることができる店は少なかったと思う。

当時の羽生善治棋王(当時)は目黒区に住んでいたので、渋谷で途中下車して朝食、それからタクシーで羽澤ガーデンというコースだった可能性が高い。

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「振った歩が5枚とも裏返しになったのを見て羽生は吹き出した」

なぜ吹き出したのかはわからない。

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扇子で「こっちへこい。こっちへこい」とあおいだ石田和雄八段(当時)。

石田和雄九段らしさが全開。石田九段が立会人なら、面白いことが多いことは確実だ。

感想戦の写真を見ても、石田八段の反応が石田九段らしい。

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「こっちへこい。こっちへこい」は二人の強さをこちらに呼び込もうという念力だが、たしかに棋士の持っている強さの空気は存在する。

以前も書いたことだが、1995年に、次のような事例があった。

棋士のご利益

また、これは2015年、観戦記を書くために、郷田真隆王将(当時)に後日の電話取材をした時のこと。

取材が終了して少ししてから、もしかしたら郷田王将のオーラがスマホに乗り移っているのではないかと思い、将棋ウォーズをやってみた。

私が先手。初手▲7六歩。すると、相手が投了してしまった。

対局相手に突然急用ができたなど、ごく稀にこのようなことはあるわけだが、それはそうだとしても、そのご利益には驚嘆するしかなかった。