郷田真隆四段(当時)「初めは、やりづらいなと思っていたが、日が経つにつれ、さあ戦おうぜ、の気分になってきた」

将棋マガジン1992年8月号、郷田真隆四段(当時)の第60期棋聖戦挑戦者決定戦〔対 阿部隆五段〕自戦記「思い切って戦いたい」より。

棋聖戦挑戦者決定戦の日。将棋マガジン同じ号より、撮影は弦巻勝さん。

 5月12日。

 準決勝の対中原名人戦に勝ち、既に決勝進出を決めている阿部五段と、私にとっては3度目の棋聖戦挑戦者決定戦を戦うことになった。

 5月27日の決定戦までの間、いろいろな事を考えた。

 プレッシャーも少なからずかかっていたし、不安もあった。

 そんなことでどうするんだ、と自分を責めるが、どうもうまくいかない。

 5月27日。決戦の日。朝。

 もうあれこれ考えても仕方がない。

 自分のすべてをありのままに受け止めよう、そう思っていた。

 全力で戦おう、全力で戦って負けるのなら仕方がないじゃないか、そう自分に言い聞かせて対局に向かった。

(中略)

 阿部隆五段。

 私とは東京と大阪 と離れてはいるが、私が対局などで大阪に行けば必ず声をかけてくれる、私にとっては得難い先輩の一人である。

 その阿部さんと、こういう大きな勝負を戦うことになった。

 初めは、やりづらいなと思っていたが、日が経つにつれ、さあ戦おうぜ、の気分になってきた。

 振り駒で先手になった。

 先手になったら矢倉でいこうと決めていた。

(中略)

 午後7時58分、私の棋聖戦初挑戦が決まった。

 対局が終わってから、挑戦者になったんだという実感が、不思議なくらいなかった。

 フラッシュを浴び、インタビューを受けるが、自分の気持ちよりも先に、回りが動いているような気がしていた。

 軽い打ち上げの席で、私は、過去二度の挑戦者決定戦の時のことを思い出していた。

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 日が経つにつれ、挑戦者になったんだという実感がわきつつある。

 と同時に、これからが本当の勝負なのだという気がしている。

 思えばプロになって2年と数ヶ月。

 まだまだ経験も浅いが、それなりにいろいろな事があった。

 その中で、棋聖戦だけは何故かよく勝てた。

 今期棋聖戦も本当に運が良かった。

 自分一人の力だけで勝てているわけではないこと、そして自分を支えてくれる人達に対する、感謝の気持ちを忘れてはいけないと思う。

 タイトル戦という大舞台で将棋が指せることは、棋士としてとても幸福なことだと思う。

 だから、今回挑戦者としてタイトル戦に出られることは、素直に喜びたい。

 相手は、これまで、またこれからも目標とする谷川棋聖である。

 思い切って全力で戦いたい。

棋聖戦挑戦者決定戦の感想戦の模様。将棋マガジン同じ号より、撮影は弦巻勝さん。

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「私にとっては3度目の棋聖戦挑戦者決定戦を戦うことになった」

郷田真隆四段(当時)が四段になったのは1990年4月。当時の棋聖戦は年2回行われており、4期出場中3期、挑戦者決定戦決勝に進出していることになる。

1期目の57期は、決勝で森下卓六段(当時)に敗退。

2期目の58期は、決勝で南芳一王将(当時)に敗退。

3期目の59期は、本戦2回戦で内藤國雄九段に敗れている。

そして4期目の60期で、挑戦者に。

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「阿部隆五段。私とは東京と大阪 と離れてはいるが、私が対局などで大阪に行けば必ず声をかけてくれる、私にとっては得難い先輩の一人である」

大阪で対局があった郷田四段と阿部隆五段(当時)と屋敷伸之六段(当時)が、朝まで飲んでいたという事例もある。

郷田四段が59期棋聖戦本戦2回戦で内藤國雄九段に敗れた後のこと。

阿部隆五段(当時)「池崎さん、マージャンをしましょう。いま郷田君と一緒なんです」

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「その阿部さんと、こういう大きな勝負を戦うことになった。初めは、やりづらいなと思っていたが、日が経つにつれ、さあ戦おうぜ、の気分になってきた」

親しい棋士との大きな一戦。このようなことを乗り越えなければならないのが、勝負師の宿命。

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「フラッシュを浴び、インタビューを受けるが、自分の気持ちよりも先に、回りが動いているような気がしていた」

非常に実感がこもっている。

藤井聡太七段も、同じような感覚になったことが多いに違いない。

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「自分一人の力だけで勝てているわけではないこと、そして自分を支えてくれる人達に対する、感謝の気持ちを忘れてはいけないと思う」

いつもながら、格好いい。