将棋マガジン1992年8月号、高林譲司さんの第3期女流王位戦第3局〔中井広恵女流王位-林葉直子女流五段〕観戦記「中井さん、おめでとう」より。
紅白両リーグ。多少の波乱はあったが、挑戦者決定戦にはやはり林葉直子五段と清水市代女流王将が出て来た。二人による決戦は4月27日に行われ、林葉勝ち。
一昨年、林葉は第1期女流王位戦五番勝負で中井に3連敗を喫した。札幌での第1局の大トン死が結局は尾を引いての敗退だった。
挑戦権を得て、2年ぶりの雪辱戦である。雪辱といえば、先の女流名人位戦でも中井に敗れて失冠した。女流王将も清水に取られた。10年間女流棋界をリードして来た林葉の無冠は大いにさびしい。
林葉語録①「広恵ちゃんが出産、育児と忙しいスキに」
タイトルを奪い返そうと彼女はこのチャンスに燃えたはずである。
一方、迎えうつ中井女流王位。あちこちで報道されたように、4月25日、女児を無事出産した。みずもちゃんと名づけた。可愛くて仕方がないだろう。同時に人生の楽しみが一つ増えた。責任も増した。
しかし夫君の植山悦行五段がいう。
「今回は勝てないんじゃないかな。将棋、全然やってないんですよ」
女性の出産は、あらためていうまでもなく何より優先する大事業である。
中井語録①「出産ですか?痛いなんてものじゃありません」
将棋世界の方にも書いたが、対局で家を離れる時、授乳が大問題だった。
中井語録②「(第1局開催地、北海道深川市の藤田市長に)母乳を冷凍してきました」
それを聞いてびっくりし、ちょっと複雑な気持ちにもなった。対局中は植山五段のご母堂が赤ちゃんの面倒を見てくれ、随分助かったと中井はいう。
そういう不安の中、中井は第1局を勝った。
中井語録③「今回ほど3連勝で終わらせたいと思ったことはありません。早く子供のところに帰りたいです」
林葉語録②「広恵ちゃんは名人位を取り、赤ちゃんも産みました。でも人生いいことばかりは続きません。女流王位は私にね」
北海道から福岡市に舞台を移しての第2局。
五番勝負の前は二人、22勝ずつあげていたが、第1局で均衡が崩れて中井23勝、林葉22勝。
「今度は私が勝つ番です」という林葉に中井がジャブを出した。
中井語録④「直子ちゃんはタイトルを恋人と呼んでいますが、恋人は本物の男性にしてください。女流王位は渡しませんから」
中井は第2局も勝った。
第1、第2局とも、中井の特に中終盤の強さが際立っていた。どっしりと地に足がつき、小柄な中井が大きく見えた。
中井語録⑤「対局から離れていて不安はもちろんあります。でも、母は強しともいいますから」
とは五番勝負突入前のインタビューで。
その通りの展開になった。
林葉語録③「第2局の前、中原先生の棋譜を並べました。広恵ちゃん、その棋譜を知らないはずなのに、中原-島戦なんですけど、島先生とまったく同じに進めて来たんです。強いと思いました」
風向きは、どうやら完全に中井の方である。そして第3局を迎えた。
(中略)
林葉は赤いバラをプリントした目にまぶしいワンピース。中井はグレーの落ち着いたツーピース。
各所で活躍する林葉と家庭をしっかり築いた中井を象徴するような好対照をなしている。林葉は相変わらず輝いているし、中井も産後の回復が順調のようである。子供を産み、逆に若返った感じもする。母となった人が美しくなるというのは本当である。
(中略)
4図で昼食休憩。二人はホテル内のレストランで、同じテーブルで談笑しながら昼食をとった。同席者は若松立会人と、記録係の久保利明三段。16歳で三段は大いに楽しみ。この記録は志願したという。二人の女流スター棋士に会いたかったのだろう。
(中略)
△8四歩の泣きの辛抱も、すでに中井が勝ちを読み切っており、効果はなかった。
勝負所はすでになく、本譜を記すにとどめる。中井圧勝である。
二冠をほぼ同時に失った林葉の傷は、まだ癒えていなかった。しかし彼女は必ず出直すだろう。全国のファンは林葉が大好きで、みんなタイトル保持者復帰を待っている。
林葉語録⑤「徳島に行けなくてごめんなさい」
第4局の徳島対局は3年連続なかった。鶴首の思いはつのるばかりである。ぜひ再挑戦を。
一方の中井は、またも3連勝である。3期連続とは、ただすごいというしかない。強い。来期、またも3連勝の場合は、お好み対局を指しに、徳島に行ってもらいたい。提案である。赤ちゃんも来年は大きくなっているだろうし。
中井語録⑥「女流王位を防衛し、育児手当が出ました」
二冠保持。しばらく対局がなく、子育てに専念するという。出産とタイトル防衛に対し、本当におめでとう、ご苦労さんといいたい。
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「女流王位は私にね」「女流王位は渡しませんから」
中井-林葉戦ならではの応酬。
テレビドラマを見ているような気持ちになれる。
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「直子ちゃんはタイトルを恋人と呼んでいますが、恋人は本物の男性にしてください。
林葉直子女流五段(当時)がタイトルを恋人と呼ぶようになったのは、1990年頃から。
以下の自戦記が、発端と考えられる。
→林葉直子女流王将(当時)「じゃあ、ハッキリさせて。私と山田さんどっちを取るか」
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「雪辱といえば、先の女流名人位戦でも中井に敗れて失冠した。女流王将も清水に取られた。10年間女流棋界をリードして来た林葉の無冠は大いにさびしい」
二冠を続けて失って、その直後に挑戦したタイトル戦でも敗れる辛い展開。
南芳一九段が、少し前のタイミングで同様の流れとなっている。(棋聖、王将を失冠して棋王戦挑戦で敗れる)
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中井広恵女流二冠(当時)が、この第3局の自戦記を書いている。
心を打たれる文章だ。
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林葉直子女流五段は、翌年、第1期の倉敷藤花戦で優勝してタイトルを獲得するが、翌年敗退。
林葉女流五段にとっては、その倉敷藤花戦が最後のタイトルとなった。