林葉直子女流五段(当時)「ここでは私の実生活におけるオッチョコチョイぶりを披露して、二度とこんな失敗はしないぞという決意のほどを示したい」

近代将棋1992年8月号、林葉直子女流五段(当時)の「直子の将棋エアロビクス」より。

 将棋の格言に”うますぎるときは3度読め”というのがある。

 これはさほど努力を要する格言ではない。その気になりさえすればすぐにでも実行できることなのだ。それを知っていながら、実践しないから最近の私はダメなのだ。

 女流名人、女流王将とたて続けに奪われ、女流王位戦では屈辱の3連敗と、私を応援してくださっている方々は恐らく目を覆っていらっしゃったに違いない。

 この場を借りて、勉強が足りなかった自分自身を深く反省するとともに、応援してくださっている皆様に心からお詫び申し上げます。

 来年は、私めの25歳という女性にとってはお肌の曲がり角(将棋にはまったく関係ございませんが ハイ)にさしかかる大きな節目を迎えますので、不死鳥ならぬ不死女(ふしめ)としてタイトルを奪い返してごらんにいれることを、伏目がちにお約束申し上げます。

 ともあれ、この約束を果たすためには、私は私の性格から直さねばならないと知った。

 自分にとってよさそうなことがあると、つい喜び勇んでしまうのである。

 これは何も将棋に限ったことではない。

 実生活においてもそうなのである。

 3度ばかり読み返せば恥をかかなくて済むものを、それをしないばかりに赤面したことが何度あったことか。

 将棋のほうのオッチョコチョイぶりは棋譜をご覧いただければわかるので、ここでは私の実生活におけるオッチョコチョイぶりを披露して、二度とこんな失敗はしないぞという決意のほどを示したい。

 あれは、NHKの仕事で愛知県蒲郡市に行ったときのことだ。

 その日の夕方に着くつもりが、大雨の影響で、蒲郡駅に着いたのは夜の8時頃であった。

 小じんまりとした駅を出たら、数台のタクシーが客待ちをしていた。

 そのうちの一台が、大きなボストンバッグをかかえている私を見て、私が近づく前にドアを開けた。

 私は吸い寄せられるようにそのタクシーに乗り込んだ。

「銀波荘へお願いします」

 私は行き先を告げた。

 銀波荘では、中原VS高橋 名人戦が行われているのだ。

 私の仕事は、その解説のアシスタントというところ。

「ほう…。銀波荘…。今日はお客さんで3人目だよ、そこへ送るのは」

 運転手さんは愛想よく話しかけてきた。

「一番最初に乗せたのが、名人の中原さん。その次が、ここの市長だったな。ンで、あんたが3人目ってわけだけど、あんたも将棋関係の人?」

「え、ええ、まあ、」

 ノーメイクにジーンズ姿で伊達眼鏡をかけていた私。テレビの仕事は翌日だったので、手抜きのし放題だった…。

「あんた、名前、何てえの?」

 港の見えるところ辺りで運転手さんが訊いてきた。

「え…。あの、林葉といいます」

 運転手さんはバックミラーでチラリと私を見た。

 ほんとうは本名なんか言いたくなかった。

 何しろ格好が格好なのだ。

「へぇ。有名なの?」

 この手の質問が一番困る答えようがない。

「ま、知っている人は知っている。知らない人は知らないという…」

 答えにもならない答えで、頭をポリポリ…。

 すると、運転手さん、唐突に言ったのだ。

「しっかし、きれいだねえ!」

 車内は暗い。しかし、街灯の光が明滅しながら車窓から射し込む。

 そんな明かりで見るから、こんな手抜きの私でもきれいに映ったのだろうか。

 しかし、どんな事情にせよ、女というもの、きれいと言われてうれしくない者はいない。

 私は恥じらいながらも素直に喜んだ。

「まあ、運転手さんたら、お口がうまいんだから。でも、うれしいわ…、ありがと❤」

「えっ?何だって?!」

 恥じらいながら言った私の声は運転手さんには届かなかったようだ。彼が訊き返した。「あのね、きれいだなんて、めったに言われたことないから、うれしいの!」

 私は身をのり出して大きめの声で言った。

 すると、彼は「ああ…」と小さくつぶやき、首を横に振ると言ったもんだ。

「わしな、海のこと言ったんだけど、海」

 クーッ!!話題変えるときゃ変えると言わんかい、コラッ…。

 悔しがったものの、これは相手の言葉に疑問をはさまなかった私が悪い。まさに3度の読み返しが足りなかったのだ。

 この失敗に懲りた私は、今度は少し謙虚になった。

 これも、つい最近あったタクシーの中での会話。

 私が乗り込むと、すぐに運転手さんが少しはしゃいだ声で話しかけてきた。

「あ。おたく、女優さんですよね」

 内心、私は飛び上がるほどうれしかった。が、この間の例もあるので自重、自重。

 私が「いいえ」と首を振ると、

「じゃあ、ニュースキャスターだ」

と、運転手さんは今度は当たったろうと言わんばかりな調子で言った。

「うふふ。そんなりっぱな仕事じゃありませんよ」

 私は気恥ずかしげに首を振った。

「そうかなァ…。でも、テレビなんかに出るでしょ。たしかに何かで見たんだよな…」

 運転手さんが首を傾ける。

「普通の女性はあまりやらないような仕事ですね、うふふ…」

 私は肩をすくめていたずらっぽく笑った。

「あっ、わかった!」

 運転手さん、指を鳴らした。

「男を次から次へと、バッタ、バッタとナギ倒す…」

「うふふ…。バッタ、バッタというほどではありませんけど、素人さんなら、まあなんとか…」

「そう…、たしか千人斬りの…」

「まあ…。千人だなんて…、おほほほ、少し大ゲサですわ…。でも、中学生のときからだと、それくらいにはなるかも…」

 私はちょっぴり自慢げにうなずいた。

「ひええ…、中学生のときからやってんの?!」

 運転手は驚きの目をバックミラーから私に向け、まじまじと私を見ると、首を振り振り言ったもんだ。

「やっぱ…、AV女優になる人って、子どもの頃からどっか違うんだねぇ」

 ギャーオオオ!

 実生活も将棋の盤上と少しも変わりはない。

 相手の手に乗って話したり行動したりすると、とんでもない目に遭うものである―。

 そっちのほうでは一人だって斬ったことのない林葉直子でした❤

* * * * *

将棋世界1992年5月号より、撮影は弦巻勝さん。

* * * * *

テレビや雑誌(当時でいえば週刊明星、週刊平凡など)をコンスタントに見ていなければ、新たに出現する有名人の顔と名前を覚えるのは、かなりの至難の業。

特に30歳を過ぎたあたりから、顔と名前の一致しない芸能人がどんどん増えてくるものだ。

とはいえ、この頃の林葉直子女流五段(当時)は、日本中のほとんどの人が知っているほどの存在だったので、名前を言えば、運転手さんもすぐにわかってくれたと思う。

* * * * *

1990年代初頭。よく行っていた池尻大橋の和洋折衷居酒屋でのこと。

カウンターで飲んでいる時に、ふと後ろを振り向くと、テーブル席に後藤久美子さんの髪型、化粧、表情にそっくりな女性がいた。

(似ているからといって、何もあそこまで後藤久美子の真似をしなくてもいいのにな)と思ったものだったが、閉店間際に店主が

「今日は後藤久美子ちゃんが久々来てくれてさあ。さっき見てたよね」

「…………」

まさか、このような場所にそのような人がいるはずはない、という先入観が目を誤らせてしまった。

林葉さんがここで書いていることとは逆のケースになる。