近代将棋1992年11月号、林葉直子女流五段(当時)の「直子の将棋エアロビクス」より。
どこかの県の相撲トトカルチョではないけれど、将棋連盟でもある人間を対象にちょっとしたトトカルチョ的賭けをやっている。
こんなことを暴露すると、刑事さんがやって来て、錚々たる方々にご迷惑がかかるかもしれない。
でも、かかってもかまわない。むしろ、かかってもらいたいのだ。
刑事さん方のために、その錚々たる方々の氏名をこっそり教えちゃおう…。
氏名は意地悪人間の順に並べようかと思ったが、それは私の以下の文を読んでいただければ自ずからわかるので、ここではあえて、あいうえお順に並べさせていただく。
鹿野圭生女流1級、神田真由美女流初段、谷川浩司三冠王、塚田泰明八段、中井広恵女流名人、山田久美女流二段以上6名…。
これら6人の人物は逮捕して無期懲役なりしてもらってもよいのだが、ひょっとしたらこの意地悪6人組が自分たちが逃れようとして、次の二人の名をあげるかもしれない。
つまり、郷田真隆王位、中原誠名人…。
しかし、このお二人は無実だ。このお二人は正しい。このお二人はやさしい(郷田王位は?付だが…)
だから、どうかこの二人は見逃してください!二名ともだめというのなら、せめて中原名人だけでも(なんちゅうこっちゃ!!)…。
それでは、いかなるトトカルチョ的賭けが行われたかお話ししよう。
あ。その前に、その賭けの対象となった”ある人間”とは誰かをお教えしておかねばならない。
ある人間とは…。ふふ、もったいぶることはない、この私、つまり林葉直子である。
(中略)
さて、あれは大阪で将棋まつりのあった後のことだ。
私は、山田久美、鹿野圭生、塚田泰明八段、中原名人の四人と一緒に市内のショットバーに行った。
そこで、まず山田久美女流二段が口火を切った。
「直子ちゃんも早く恋人見つけなよ~」
それを聞いて、その左隣にいた塚田八段がそうだ、そうだというように首を振って、
「いつまでも、中原先生、中原先生ってキャーキャー言っててもムリだよ、林葉。もうそろそろ真剣に考える時期だよ」
と言う。
「ふーんだ。あたしだって、本気だせば、恋人の一人や二人つくるのなんてチョロイもんだわ」
私はちょっと胸を張ってみせた。
しかし、塚田八段も山田二段もフフンと鼻先で笑い、また林葉が強がりを…というふうな目で私を見る。
「あー、あたしのことバカにしてるんでしょ」
と私が言うと、
「じゃあ、賭ける~」
と、山田二段がにんまり。
「いいよ、賭けよ」
私は口をとがらせる。
すると、横から大きな声で、
「じゃ、できないほうにのった!」
と塚田八段。
この待ち構えていたようなタイミング、私は許せなーい!
その声を聞いて、それまで中原名人とまったく別の話をしていた鹿野1級が、
「何の話~?」
と振り向いた。
山田二段が賭けの説明をしはじめると、鹿野1級、最後まで聞きもせず、
「できないほうにのった、当然!」
と手をあげた。
あの勢いあるうれしそうな態度、私は許せなーい!
この場で、私を除いて4人中3人がすでに”林葉直子に年内に恋人はできっこない”というほうに乗ってしまった。
残るは…、そう、中原名人だけである。
私は心配になってチラリと名人のほうをみた。名人はそんな私を哀れに思われたのか、例のあのやさしい笑顔で「フッ、フッ、フッ」とお笑いになっただけで何もおっしゃらなかった。
やっぱり、やさしい人だな、中原先生って…。それにひきかえ、あの3人は…!賭けというのは、丁半駒が揃わなければならない。
”できない”派が3人なら”できる”派も3人ほしい。
で、私は谷川三冠王、中井女流名人、神田女流初段に期待して、賭けのことを話した。ところが、な、なんと、期待をかけたこの3人まで”できない”ほうにのるという。
バ、バカにするんじゃないわょォーッ!い、いいわよ、いいわ。
1対6…
私が勝ったときはガッポリ入るんだから…。
フフンッだ!
私が心のなかで憤然としているときだ。どこかで私の話を聞いていたのだろう。
「俺、できるほうにのるよ…」
と言ってくれた者がいる。
郷田王位ではないか。
「きゃあ、郷田くん、やさしい!」
私は思わずはしゃいだ。
私に年内に恋人ができると言ってくれたのは彼だけなのだ。はしゃぎたくもなる。
郷田王位は、私を見ておそらく「こんないい女が今年も一人淋しく過ごすなんてありえないことだ」と、あのすばらしい”読み”で判断したに違いない。
「そうよね、そう思うでしょ。私に恋人ができないはずないわよね」
私は弾んだ声で言った。
すると、彼、すました顔でこう言ったものだ。
「だって、”できる”ほうにのったほうが、勝ったとき儲けが大きいでしょ」
「……!!!」
私は眼が点になった。
今年の末まで6人分の賭け金を貯めておこうと思う。
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「だって、”できる”ほうにのったほうが、勝ったとき儲けが大きいでしょ」
郷田真隆王位(当時)のこの時の戦略は、「人の行く裏に道あり花の山」という格言を地で行くもの。
ただし、郷田九段は思いやりがあるタイプなので、口ではこのように言っても、実際には頑張ってほしいという気持ちで、”できる”ほうに乗った可能性もありそうだ。