将棋マガジン1993年1月号、東公平さんの「升田幸三物語」より。
さて、昭和30年度のA級順位戦は、その花村八段と升田が8勝2敗の同率になった。決定戦三番勝負では1勝1敗のあと、升田が頓死を食い、花村が挑戦権を取った。作戦勝ちして「楽勝」と思ったのがいけない。花村は「死んだふり」が絶妙にうまいのだから。
この頃の花村は升田、塚田、丸田らと互角の太刀打ちをする充実ぶりで一躍大スターになっていた。31年の2月から行われた第6期九段戦五番勝負で塚田正夫九段に挑戦し、2勝後の3連敗でタイトル奪取はならなかったが、引き続き4月末から開始の第15期名人戦で勇躍して大山名人に挑戦した。
しかし大山は、不振とはいえ升田以外の棋士には負けなかった。塚田九段との「実力日本一決定・名人対九段戦」ではあっさり三タテを食わせていたし、名人戦でも花村に4連勝し、5期連続制覇により早くも十五世名人の資格を得た。
笑い話がある。セミプロ出身の野人・花村の敗因は「羽織ハカマ姿で金屏風の前に座ったから」だと言う。
「ハダカか、せめて浴衣で指さしてくれたら、わしは塚田さんにも大山さんにも、負ける気はせんのだがなあ」
それを聞いた升田はニッと笑った。
「升田にも勝つ、と言わんところが賢い」
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まさしく勝負師同士の会話。
升田幸三実力制第四代名人は酒が好きで、花村元司九段は酒が飲めなかったが、二人は肝胆相照らす仲だったという。
当時の観戦記からも、その様子が伝わってくる。(花村八段が感想戦に加わった時のやりとり)
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本当は、昭和30年代の升田幸三八段、花村元司八段の写真を載せたかったのだが、昭和47年の写真ということで。