将棋世界1994年2月号、弦巻勝さんの「ぼくのアルバムから」より。
想い出のコーヒータイム
荒巻先生が免状を書かれている所へ僕はよく顔を出した。
「奥さん元気、将棋強くなった……」と珈琲によくさそっていただいた。陽だまりを背に後ろ手を組んで歩く先生。そんな時いつもなごやかな時間だった。
花村先生は左手で頭をツルンとなぜ「ちょっと珈琲飲みに行こう……」。先生は将棋の棋譜を読む時”サンゴーフ”と言うところ”サンゴーのフ”とあいだに「の」を入れて話す。これが昔の映画みたいで良かった。
「サァサァ血の出るような稽古をしよう」と板谷先生にはずいぶん将棋を教えていただいた。珈琲店ではメモを取らないとおぼえられないほど昔の将棋の歴史も話していただいた。
今、Coffee店で僕はあの時間を想い出す。みな笑顔の美しい人達だった。あんな風にのどかにCoffee店ですごせるようになったらいいなあ、といつも思う。
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花村元司九段も荒巻三之九段も板谷進九段も、この頃には亡くなっている。
弦巻勝さんの思い出と思いがこもった写真と文。
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1枚目の写真の花村元司九段。
このような人が喫茶店で一人でコーヒーを飲んでいたら、「絶対に只者ではない」と誰もが思うだろう。
花村九段のことを知らない人100人が2枚目の写真を見ても、100人全員が「只者ではない」と思うことだろう。
ワクワクするような将棋指しのオーラが、写真を通しても伝わってくる。
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3枚目の板谷八段(当時)と荒巻八段(当時)の写真。
板谷九段は、藤井聡太七段の大師匠にあたる。
トーナメントプロとしての活躍はもちろんのこと、弟子やファンに温かく、中京地区の普及にも多大な貢献があった。
荒巻九段は、1951年にA級に昇級、1959年にB級2組で引退した。その後は、免状の執筆を亡くなるまで続けていた。
荒巻九段が亡くなった1993年以前の免状は、荒巻九段の書によるもの。
→海坊主
3枚目の写真の二人の最高の笑顔。
この笑顔を引き出したのも、弦巻さんの技だ。
板谷九段とベレー帽は結びつかないので、荒巻九段のベレー帽を板谷九段がかぶっていたのかもしれない。