「私なりに考えた結論は、あの1万回に1回の大逆転も佐藤君の運が呼んだのではないかという事だ」

将棋マガジン1994年1月号、鈴木輝彦七段(当時)の「将棋十二夜’94」より。

将棋マガジン1993年12月号より。

「ツキ」を感じる事は確かにある。やる事なす事すべて的中して、夢を見ているような気分になってしまう状態だ。

 当然、自分の実力以上の結果であるだけに、何か信じられない心持ちになったりもする。こんな時は素直に感謝し、間違っても自分の力だと錯覚してはいけないだろう。特にギャンブルにおいては。

 ではあるが、今の「ツキ」を探るにはギャンブル程分かり易い物もないかもしれない。結果がすぐに出るだけにハッキリしている。

 パチンコに行って、200円だけ球を買い、打ち始めたとたんに「7」が揃う事はよくある。初球が一発台の中心に入った事もあった。これは、やはりツキ以外の何物でもないと思う。

 麻雀でもそんな事はある。相手のリーチがたとえ3面待ちでも、ペンチャンの後リーチが一発で引いたりするのだ。こうなれば、こっちのもので、笑おうが、歌を唄おうが、金のない先輩だろうがどうやっても勝てる。

 その逆に、ツキの流れが悪い時はいかんともし難い。

 チンチロリンというサイコロゲームで「1、2、3」ばかりを出して大負けした人が、「申し訳ないが、1、2、3ばかり出るので役を反対にしてくれないか」と言った事があった。普通ならそんな申し出に乗る筈もなかったが、あまりの一人負けに皆も同情してルールを変える事になった。

 およそギャンブラーらしくないけれど、仲間内の平和を望む気持ちがそうさせたのだと思う。

 ところが、ルールを変えて始めてみると、その人は「4、5、6」ばかりを振るようになってしまった。今までなら2倍貰う所を2倍の出費になるのだからヒドい。サイコロの目を争っているようで、実は勝負の目を争っている事を教えられたような気がしたものである。

 あんな単純なゲームでも、否、単純だからこそ「ツキ」の有無がハッキリするのだろう。

 ただし、どんなに凄いギャンブルのツキでも、一晩寝ればくるりと変わっているから注意が肝要といえる。

 この日常的に見られる「ツキ」に較べて、人生にある「運」は一回り大きいような気がする。もとより、運やツキについて論じられる立場にはないが、一度は考えてみたいテーマだとは思っていた。

 特に、将棋の運については抗し難いものを感じている。

 プロの誰でもそうだと思うのだが、自身の昇級や昇段を振り返ると、信じられないような運の良さを体感するのではないだろうか。

 なかでも、順位戦はリーグ戦だけに周りも協力してくれないと上がれないようになっているからその感を深くする場である。

 私の場合も、C2の1年目こそ不運に泣いたけれど、2年目の昇級が決まった日は競争相手5、6人が全員負けてしまい結果的に上がる事ができた。

 C1からはもっと劇的だった。7勝1敗の自力だったのだが、緊張から体が動かなくなってしまい若松六段に敗れてしまった。

 信じられない気持ちは、前期の森内君と同じだったと思う。

 ところが、並走する2敗の成績優秀者の3人が3人、東京で負けていたのだ。

 大阪で一晩覚悟を決めていただけに、一生に一度あるかないかの運を感じない訳にはいかなかったのを昨日の事のように思い出す。

 あのチャンスを逃していれば、二度とC1から上がるチャンスはなかったと確信している。仲間のプロを見ても実にそんな人ばかりだからである。

 その「運」「不運」について深く考えさせられる事が最近あった。

 今期竜王戦本戦トーナメントの谷川-塚田戦は大逆転の上に二つくらい大が付く将棋だった。負けた人が谷川さんだっただけに「1万回に1回の大逆転」ともいわれた。

 大袈裟に聞こえるかもしれないが、私が相手なら1万回に1回もないだろう。塚田君の▲5七角は生まれ変わっても指せない一手だから。

 それでも、プロの歴史の中にこのような大逆転はあるにはあった。違ったのは、1万回に1回のこのチャンスを塚田君が活かし切れなかった事だ。

 強者がチャンスを物にしただけで本戦での優勝と相場は決まっている。

 ところが、塚田君は次の佐藤(康)七段に敗れてしまった。

 この事実は、長年勝負の世界を見てきた私にとって不可解極まりないものだった。

 そして、私なりに考えた結論は、あの大逆転も佐藤君の運が呼んだのではないかという事だ。

 この時点で、誰が決勝に出てきても佐藤君が勝つと思っていた。思っていただけでなく、9月の女流王位戦の札幌での大盤解説でもこの事をしゃべっていた。立ち会いの森(雞)さんも「そうかもしれない」と肯定してくださった。

 もし、あの将棋を谷川さんが勝っていたら今年の限り佐藤、森内の順に降して挑戦者になっていたと思う。やはり、今期の棋王戦、王座戦の展開が予想されるからである。

 それにしても、他の人が1万回に1回の確率で開いてくれた運である。帆に順風を受けて進むのが勢いだと思った。

 その事もあって、第1局はどうしても見届けたいと思い、シンガポールへ行かせてもらった。皆が、よってたかって佐藤君を竜王にしようとしているように見えるが、どうだろうか。

 羽生にしても、七冠制覇は名人戦までが最初にして最後のチャンスだと思っているのではと推察している。

 仮に六冠を取ったとしても、年2回の棋聖位を防衛しながらの維持は並大抵の事ではない筈だ。

 竜王戦に限って言えば、棋運は限りなく佐藤にあると思えるのだが、空前にして絶後の大記録を待ち望む民意は羽生に集められているといえる。

 この七番勝負こそは、あらゆる意味で棋士人生の「運」が試されているような気がしている。

 その第1局は中盤の仕掛けあたりまで、断然挑戦者の佐藤が優勢になったように感じた。

 私だけでなく現地にいたプロ棋士の全員が同じ感想を持っていたのだ。

 あまり大袈裟になってはいけないが、プロの棋力でみて「勝負あり」という事は勝敗の帰趨を意味している。ところが、▲8七歩を境にぐんぐん差は縮まっていく事になった。

 あるいは、差があると思ったのは正しい判断ではなく、バランスが取れている局面だったのかもしれない。それにしても、忙しい局面だけに歩を打つなら8六か8五に打つのが常識的な考えだろう。後に8六、8五とのばしている事を思えばなおさらである。

「俺が睨めば銀も横に動く」と升田元名人は言っていたそうだが、「羽生が睨めば歩も退る」といった表現が当たっているのか。

 それはそれとして、あの3手を含めて、この将棋には不条理な要素が働いていたような気がしてならない。

「棋士は運命論者になってはならない」とは大山先生の言であるが、あってはならない事があっただけに、この勝負はそうした側面からも見ていきたい。

 読者の皆様にも、是非リアルタイムでこの戦いを見守って頂きたいと思う。

 ひいては自身の運の開発の参考になるのではとも考える。

 (以下略)

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「ところが、ルールを変えて始めてみると、その人は『4、5、6』ばかりを振るようになってしまった」

本当に不思議な話だが、ギャンブルではあり得る。

救いがあるとすれば、その「ツキのなさ」が、多くの場合、そのギャンブルをやっている間のみであること。

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「この日常的に見られる『ツキ』に較べて、人生にある『運』は一回り大きいような気がする」

人生での「運」は、それが運なのかどうかを判断するのも難しく、「運」「不運」とも、一日で終わったりはしないので、嬉しさと勘弁してほしさは、ギャンブルの時とは比べものにならないほど大きい。

運をマネジメントできれば最強なのだろうが、後から考えて、「あの頃は運が良かった」「あの頃は運気が悪かった」と感じることがほとんどなのかもしれない。

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「ところが、並走する2敗の成績優秀者の3人が3人、東京で負けていたのだ」

将棋の場合は、一局の中での「指運」という運もあるが、大局的には「他力」と「タイミング」が将棋の「運」となるのだろう。

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「今期竜王戦本戦トーナメントの谷川-塚田戦は大逆転の上に二つくらい大が付く将棋だった。負けた人が谷川さんだっただけに『1万回に1回の大逆転』ともいわれた」

この一局は、次のような展開だった。

将棋マガジン1993年10月号、「第6期竜王戦」より。

谷川 悪夢の敗戦

 棋界の覇者へ復活を賭ける谷川にとって、竜王戦に勝ち抜くことは大変大きな意味を持つ。それなのにあろうことか谷川の最も得意とする終盤戦で塚田にまさかの逆転負けを喫してしまった。

3図以下の指し手
△5七同竜▲同歩△4八角▲2八玉△3九角成▲2七玉△1七金▲同香△同歩成▲同馬 以下塚田の勝ち。

 3図から△5七同金と角を取っていても後手の勝ちは疑いのないところだが、詰みありと睨んだ谷川は果敢に寄せに行った。

 △1七同歩成として予定通り詰まし切ったと思ったところが塚田に▲同馬と取られてびっくり。谷川は馬の利きをまったくうっかりしていた。

 双方1分将棋、200手を超す疲労の極限とは言え、こんな錯覚は起こりようのないことだ。

 谷川の△3九角成では平凡に△3七金▲1八玉△1七香▲同馬△同歩成▲同玉△3九角成以下、易しい追い詰めだ。

 奇跡的な逆転劇に終局後、谷川の表情は痛ましいばかりだった。

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「私なりに考えた結論は、あの大逆転も佐藤君の運が呼んだのではないかという事だ」

この記事が書かれたのは、まだ竜王戦第1局が終わったばかりの頃のこと。

佐藤康光七段(当時)は、この期の竜王戦で羽生善治五冠(当時)を破り、竜王位を獲得することになる。

この時の竜王戦に「運」というものが働いていたのかどうかは分からないが、もし「運」が作用していたとしたら、鈴木輝彦七段(当時)の洞察は冴えに冴えまくっていたことになる。

また、「運」を「勢い」と読み替えることもできると思う。