名人の意地

将棋マガジン1988年6月号、毎日新聞の故・加古明光記者の名人戦第1局詳報「胸躍る中原vs谷川の激突」より。

 フィーバーぶりは、第一局の前夜祭から始まった。群馬県伊香保温泉の「福一旅館」。昨年、王将戦第五局が行われたところである。対局室また、それにともなう設備、条件がぴったりだったことから群馬県での初の名人戦となった。

 話は前後するが、伊香保に最も近いJR駅は渋川。ここに直行する特急の名は、何と「谷川○号」。もちろん、沿線の谷川岳にちなんだ名だが、特急が「谷川」では、中原は「乗りにくかろう」と第三者の声。

 高崎まで新幹線はあるが、乗り換えなくてはならない。ままよ、と上野発の新特急「谷川7号」の切符を用意した。

 ところが、やはり・・・。対局数日前、将棋会館で会った中原から「私は別便で行きますから」の申し出があった。「”谷川”という列車ですからね」と冗談っぽく言うと、笑いながらも肯定するような表情である。のちに確認したところでは、中原は信越線の特急「あさま」で高崎まで行き、ここで普通列車に乗り換えて渋川に着いたという。「谷川」に乗らないあたり、中原のユーモア感覚もなかなかである。

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中原誠名人に谷川浩司王位が挑戦した1988年名人戦、この第1局では史上初めてのテレビ(NHK衛星放送)生中継が行われた。

第1局は中原名人が勝ったが、七番勝負は谷川王位が4勝2敗で制し名人に復位。

2年後の1990年、中原棋聖は谷川名人から名人位を奪還する。

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特急「谷川」は、1982年に急行「ゆけむり」(上野-水上)の一部が特急化され誕生した。

1985年には「ゆけむり」が廃止され「谷川」に統合。「谷川」はこの時点で新特急となる。

新特急「谷川」の写真

そして1997年、上越新幹線の列車運行系統再編に伴い、東京駅 -新潟駅間の「あさひ」(2002年「とき」に改称)に対し、高崎駅・越後湯沢駅発着の区間列車の列車名として「たにがわ」が設定された。新特急「谷川」は同時に「水上」に改称されている。

「水上」は2010年12月、利用客減少により、定期運行を廃止し臨時列車化された。

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「とき」と「あさま」の関係が東海道新幹線の「ひかり」と「こだま」の関係になっているので、現在では渋川へ行くには、「たにがわ」を避けて「とき」に乗車し、高崎で普通列車に乗り換える手筋が可能になっている。

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古今の国鉄・JRの列車名を見ても、棋士名や将棋につながるのは「谷川」と「たにがわ」しかない。

「歩」は鈍行列車のイメージで、「香車」は乗ると怖そうで、「桂馬」は脱線しそうなど、小駒の名前を列車名にするのは向いていない。

「羽生」、「竜王」のような名前の列車は人気が出るかもしれない。