谷川浩司竜王(当時)「どういう意味じゃ!」

将棋世界1993年2月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 大阪」より。

 12月某日、ここはとある神戸のスナック。普段はマジックなどやって、女の子とワイワイしゃべっている私だが、どうも最近は調子がイマイチ。というのも、カラオケで練習をしなければならない曲ができたからである。

 12月16日、水曜日に東京のイイノホールで行われる「第6回駒音コンサート」の招待状が届いた日から、緊張の日々が始まった。曲選びから歌詞を覚えるまでにどれぐらいの時間を要しただろうか。とにかく時間があればCDを聞いていた。ここでハッと気がついた。これって出場者全員が味わうものとちゃうんかいな・・・と。

 当日、控え室。自分の出番を間近にした棋士達はそれぞれ面白い行動をとる。

 石田九段。差し入れの鰻重を頬張ってはいるが、死んだ魚の目のよう。時折何か発しているが、ボソボソと聞き取れない。おそらくボヤキ。

 森安(秀)九段。隣の部屋からもよく聞こえる声で叫んで、いや、歌っている。声の調子が悪いと言ってビールを流し込む。

 「だってな、普段歌っているのはスナックや。シラフで歌い事なんかないし、やっぱり駆けつけ何杯でちょうどええねん」

 小林(健)八段。部屋の片隅の窓際で、みんなに背を向けてCDに聞き入る。そして大きな声で歌い出す。その声に私は驚いたが、経験済みなのか他には誰も驚かない。でもこの後、経験済みなのに驚いたのが小林の化粧。赤い口紅にイヤリング、アイシャドーを塗った目は完全に違う世界の人。新宿あたりで見かけそうだ。

 森下七段。今回初登場で、極度に緊張している。得意の小泉今日子の「学園天国」を歌うのかと思ったが、藤山一郎とは意外な選曲。何度も歌詞を見ながら「いやあ、私ごときの歌を一流のオーケストラの皆さんに弾いて頂くとは申し訳ない。将棋でいえば、超初心者がプロを相手に十面指しやっているようなものですからね」

 そんな彼に花束を持ってたずねてきた女性が一人。

 「あのう、森下先生はこちらにおられるでしょうか」

 美人にはすかさず反応するのが私と先崎。もちろん案内するのではなく、こういうのである。「はい、私が森下です」しかしその人は彼の顔を知っているのか、首を横に振る。何をやっているのかとみんな集まって来る。やはり早かったのが美人キラーの塚田八段。タキシードに蝶ネクタイで決めて現れるのはさすがだった。

 さてその美女だが、森下七段によると「とっても仲の良い友達で、タイトル戦でよく使う有名な旅館のお嬢さん」だそうである。ひょっとすると・・・。

 中原名人。歌ではなく指揮者として登場すると聞く。

 「ん、タクトを振る練習したんだけどね、どうも途中でおかしくなっちゃうんだよ。扇子でやろうかとも考えたけど、結局手だけが一番良さそうでね」

 林葉女流五段。ビックリの金髪で登場。会場からも「マドンナみたい」の声しきり。華やかな女流陣の中でも一際目立った存在だった。

 さて今回出場のメンバーの曲目はご覧の通り。

塚田泰明八段・・・愛という名のもとに

高橋道雄九段・彩奈さん(3歳)・・・ジューレンジャー

中井広恵女流名人・王位・・・百万本のバラ

小林健二八段・・・柳ヶ瀬ブルース

石田和雄九段・・・冬の旅

森安秀光九段・・・北の大地

神吉宏充五段・・・新しいラプソディ

清水市代女流王将・・・行け行け飛雄馬

森下卓七段・・・影を慕いて

長沢千和子女流三段・・・for you

谷川浩司竜王・・・少年時代

 どれもこれも個性的で楽しいものばかりだったが、特に印象に残ったのが市ちゃんのパフォーマンス。キングスのユニホームで、歌いながら兎跳びをやったり、倒れて星を指したり・・・やってくれました。

 トリは毎年内藤九段と決まっていたが、今年は都合で参加できず谷川竜王に。プロ歌手の長沢さんが歌うのを聞きながら舞台裏で谷川竜王「この後私が歌うんですか・・・何でや」とブツブツ言っていたが、さすがに歌詞も完璧に覚えて見事に寄せ切った。終わって「いやあ、いい曲ですね。なんて言う曲ですか?竜王時代ですか」と私が悪いジョークを飛ばすと「どういう意味じゃ!」そう言いながらも顔は笑っていたので、まだ余裕はありそう。竜王戦が年を越している事を信じているが・・・。

 午後6時に始まって9時に終了。今年も楽しい夢の3時間であった。日本楽壇将棋連盟の皆さん、オーケストラの皆さん、お世話になりました。

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1992年暮れの「駒音コンサート」の風景。

森下卓七段(当時)を楽屋に訪ねてきたのは、竜王戦でおなじみの天童市「ほほえみの宿 滝の湯」の女将のお嬢さん。

この4ヵ月後の1993年4月から、森下卓七段のNHK将棋講座「森下卓の将棋相対性理論 だれでもわかる駒運びの真理」でアシスタントを務めている。

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少年時代」は、井上陽水さんが1990年にリリースした大ヒット曲。

井上陽水さんは将棋が大好きなことでも有名。

2012年に「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンゴールド」に出た際には、吉田拓郎さんと将棋の話をしている。(Youtubeの4分から)

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「竜王時代」という曲があったとしたら、「名人時代」、「王位時代」、「王座時代」、「棋王時代」、「王将時代」、「棋聖時代」もあって然るべきということになる。

しかし、「◯◯時代」というタイトルの曲は。「少年時代」も含め、◯◯だった時代を振り返る曲が多い。

まずは、1973年、大信田礼子さんの「同棲時代」。

「ふたりは いつも 傷つけあって くらした」で始まるこの曲は、二人で同棲を始めた頃(=恋のピークの時期)を思い出しているような歌詞。

1976年の森田公一とトップギャランの「青春時代」は、青春時代のことを懐かしむ曲。

このようなことから、「将棋のタイトル+時代」という題名の曲は、決して縁起の良い曲とはならず、未来永劫生まれないと言っても良いだろう。

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唯一、「熱中時代」はリアルタイムのことや未来のことだけに言及している歌詞なので例外かなと思ったが、よくよく考えてみれば、あの水谷豊さんが歌った曲の題名は「カリフォルニアコネクション」。

やはり、「◯◯時代」というタイトルの曲は、回顧型に限られていることが分かる。