羽生善治五冠(当時)「道でよく声をかけられるようになりました。ほとんどがおじさんですが女性もふえました」

近代将棋1994年1月号、「今月の棋士 羽生善治竜王・棋聖・王位・王座・棋王 いぬ年・羽生へさらなる期待」より。写真と文は弦巻勝さん。

「道でよく声をかけられるようになりました。ほとんどがおじさんですが女性もふえました。月に7、8回は一般誌のインタビューを受けます。少しは顔を知られてきたようです」

 羽生善治。プロになって505局指し386勝、勝率7割6分4厘。森内361局7割2分、佐藤康372局7割2分、中原1570局6割6分。対局数では加藤1870局をはじめ1,000局以上の棋士は18人。7割の勝率は4割バッターといえよう。年間50局指しても1,000局は20年かかる。1,000局まで羽生さんはあと何年か。やけに早そうな気がする。

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対局数が1,000局のタイミングは報道されることも少ないようで、羽生善治九段の対局数1,000局の時期はネットで調べても出てこなかった。

玲瓏:羽生善治 (棋士)データベース」のデータに基づき計算してみると、2001年度に対局数1,000局を超えている。

「1,000局まで羽生さんはあと何年か。やけに早そうな気がする」

答えは8年後、年間50局だった場合に比べて2年早かったということになる。

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「玲瓏:羽生善治 (棋士)データベース」のデータによると、現在の羽生九段の対局数は2,070局を超えており、歴代7位。

1位は加藤一二三九段の2,505局、2位は大山康晴十五世名人の2,214局、3位が谷川浩司九段で2,209局。

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「少しは顔を知られてきたようです」」

この頃の羽生善治五冠(当時)は、まだテレビCMなどには出演していない時期だったので、多くの人にとっては顔と名前が一致していない時代だったと言えるだろう。

三冠王になったのはこの年(1993年)の1月。四冠王になったのが7月、五冠王になったのが8月。

七冠王も視野に入ってくる五冠王になった頃から一般誌への登場回数が増え、徐々に認知度が高まっていったのだと考えられる。

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1995年~1996年の羽生七冠フィーバーで、プロ棋士という職業が、多くの人に知られるようになる。

また、それまでの将棋の「暗い」「若々しくない」などのイメージが一掃された、非常に画期的な出来事でもあった。

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マスコミ的には、現在は第2次の藤井聡太棋聖フィーバー。

29連勝の第1次フィーバーの後、少し落ち着いたように、今回も少し長い時が経過すれば落ち着いてしまうと思う。

第3次フィーバーが、藤井聡太棋聖が五冠か六冠を獲得した時になるのか、あるいはもっと前に来るのか。

2.5次フィーバーなどはあるだろうが、第3次フィーバーは、もっと大きいものになるような感じがする。