佐藤康光七段(当時)の竜王位奪取

将棋世界1994年2月号、天野竜太郎さんの第6期竜王戦七番勝負第6局〔佐藤康光七段-羽生善治竜王〕観戦記「佐藤、羽ばたく」より。

竜王戦第6局。将棋マガジン1994年2月号より、撮影は中野英伴さん。

 シンガポールで行われた第1局。▲8七歩~▲8六歩~▲8五歩という羽生マジックから2ヶ月近くが経った。

 あの時の控え室の興奮。羽生の見せた勝負術の凄さを思うと、第6局で羽生がカド番に立つことになるとは正直思わなかった。

 山形空港へ向けて飛ぶ飛行機の中でいろいろ考える。このまま佐藤が押し切るのか。それとも最終局へともつれ込むのか。

 昨年の竜王戦では、先にカド番に立ったが、逆転で竜王に復帰している。棋王戦でも先にカド番に立ったが、やはり逆転している。相手はいずれも谷川である。

 なんと言っても五冠王である。簡単には終わらないであろうという羽生ブランドへの信頼めいたものもある。

 一方では最近の羽生の成績も頭をよぎる。

 順位戦は快調に飛ばしているが、王将リーグでは、森内、村山といった同世代に苦杯を喫している。

 3年前に竜王を取られてから、羽生の頭には、谷川将棋の克服、光速流の攻略といったことが大きくのしかかっていたと思う。谷川将棋という高い壁を乗り越えようとしている時に出てきたのが、1年前まで研究会で腕を磨きあってきた仲間である。

 佐藤にしろ、森内、村山、いずれも1年ぶりの対戦である。彼らが、この1年で予想以上に大きくなってきたのか、あるいは七番勝負の後半、羽生が調子を落としてきたのか、棋力のない記者には分からないが、羽生ファンには気にかかる材料に違いない。

 そんなことを考えながら対局場へ向かった。

(中略)

 対局場の「滝の湯ホテル」へ着いたのはお昼過ぎ。控え室へと入っていった記者を待っていたのは予想外の展開だった。

 佐藤の初手は▲7六歩ではなく相掛かりをめざす▲2六歩だった。

 なぜ、矢倉をめざす▲7六歩でないのか。この七番勝負では3局戦い全勝しているのに。

 これは、当然記者だけの疑問でなく控え室全員の疑問とみえ棋譜が1局取り寄せられていた。2日前の棋王戦、佐藤-谷川戦である。

 先手は佐藤、指し手は▲2六歩△8四歩と続き相掛かりへと進展していった。結果は、佐藤の勝利。ただし途中では谷川良しではという評判だった。

 そろそろ先手での戦法の変え頃と思ったのかどうか、いずれにせよこれまで全勝していた矢倉を採用しなかったのは並ではないところなのだろう。

(中略)

 実はこれは去年の竜王戦の挑戦者決定戦三番勝負第1局と全く同じ進行なのである。対局者は、本局と同じ、羽生-佐藤。ただし先手が羽生で後手の佐藤が勝っている(その後の2局、3局を羽生が連勝し谷川から竜王を奪取したのはご存知の通り)。

 1年前を思い出しながら進めていったことは容易に想像できるが、2日前に谷川と相掛かりを指してる佐藤はこうなることを予想しながら(あるいは、希望しながら)進めていたのだろう。

(中略)

 △8一飛は、羽生の△4四歩に続く本局二度目の長考。この辺りからどこで1年前と決別すべきかという羽生の苦悩が始まった。この56分で(後手番でもあるし)ある程度ついていこうと決めたのかもしれない。

(中略)

 最近の若手は盤上一筋で昔の将棋指しと違い面白味がないなどという声もあるが、この二人の対局中の動作は見ていて飽きない。

 羽生は、頬杖をつくような格好で考え込む。時には身をよじるような動作を見せることもある。佐藤は無意識なのだろう、ときどき頬を膨らます。リアルタイムでお見せできないのが残念なぐらいだ。

(中略)

 2日目朝、佐藤が定刻9時の20分程前に入室、10分程して羽生が入室。記録係の三浦四段(奨励会の日とかち合った関係で四段の三浦君の記録となった)の読み上げで1日目の指し手が進められていく。

(中略)

 ▲6八同金まで、一気の先手優勢に控え室には遂に羽生落城かという空気が漂ってきた。

 ロビーへ降りてみた。ラウンジには、大型モニターが据えられ、ここに対局室の様子が映るので一般の方も指し手をリアルタイムで追うことができる。そこから少し離れたところにはがっちりとした盤が置かれやはり竜王戦が並べられている。伝令役となった人がモニターを見て指し手が動くと伝えにくる。

 コーヒーを飲みながらモニターを見る人、盤上の駒を動かし検討する人、竜王位が移動するかもしれないという共通の面持ちのようにも見えた。

 同じフロアにある大盤解説場も立ち見のお客さんが出るほどでホテル全体が熱気に包まれているかのようだ。

 控え室に戻ると、もう終局間近という雰囲気。佐藤が▲2二とと引き、勝ちを宣言したところだった。

 ▲1四金を見て「負けました」。はっきりとした声とともに羽生が深々と頭を下げた。

 対局室に入ってみると、何かにじっと耐えているような、羽生の表情があった。主催紙記者の簡単な新聞用の談話取りがあり、感想戦に入った。5分、10分、少しずつ羽生の表情に赤味が差し生気が戻ってきた。

(中略)

 打ち上げの席では、周りの馬鹿話に溶け込む、普段の羽生の姿に戻っていた。

 翌朝、佐藤に話を聞いた。言葉を飾ろうとしないマイペースの話しぶりが印象的だった。

 真新しい、一人のヒーローを生んで第6期竜王戦は終わった。

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佐藤康光七段が、二度目のタイトル戦挑戦で、竜王位を獲得した。

羽生世代同士の対決だったが、より一層、羽生世代の時代の到来を告げるような流れとなった。

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羽生善治五冠(当時)は四冠となったものの、ここから1994年中に名人、竜王を奪取して六冠に、1995年は六冠を保持し続け、1996年2月に七冠となるのだから、あらためて、本当に凄いことだったのだと感じさせられる。

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「記録係の三浦四段(奨励会の日とかち合った関係で四段の三浦君の記録となった)の読み上げで1日目の指し手が進められていく」

下の写真が2日目朝の対局室。

盤側は、左から観戦記担当の武者野勝巳六段、副立会の富岡英作七段、正立会の広津久雄九段、記録係は三浦弘行四段(段位は当時)。

三浦四段は、この年の7月から10月まで12連勝をするなど、非常に高い勝率をあげていた。

竜王戦第6局。将棋世界1994年2月号、撮影は弦巻勝さん。

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対局場は山形県天童市の「滝の湯」。

この時のNHK衛星放送には、滝の湯の女将、若女将も登場している。

対局場の女将に解説の場に登場してもらうという絶妙手。

その様子が下の写真。

竜王戦第6局のNHK衛星放送。近代将棋1994年2月号より、撮影は炬口勝弘さん。

左からNHKの吉川精一アナウンサー、林葉直子倉敷藤花(当時)、滝の湯の女将の山口隆子さん、若女将の山口喜代さん、森下卓七段(当時)。

山口喜代さんは山口隆子さんのお嬢さんで、1993年4月~6月のNHK将棋講座「森下卓の将棋相対性理論 だれでもわかる駒運びの真理」で聞き手を務めていた。

→→竜王戦第1局対局場「滝の湯」

「山田さんは美人の女将のところばかり捜して十段戦をやっているんでしょう」

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羽生四冠は二度目の失冠で、前回(1990年竜王戦)の時の対局場も「滝の湯」だった。

「一人で行って・・・」

しかし、この二度目の失冠の1年後の1994年竜王戦七番勝負、羽生五冠はこの「滝の湯」で佐藤康光竜王を破り、竜王位を奪還している。

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「滝の湯」の数年前の広告が素晴らしい。