「テレビを賑わす棋士たち」

将棋マガジン1994年7月号、小室明さんの「TVを賑わす棋士たち」より。

 バラエティショー、トーク番組、ドキュメンタリー、CM―。個性豊かな棋士たちが将棋を離れ、広くテレビに出演し、ユーモアとウィットに富んだ演技で人気を集めている。そこで彼らと制作サイドのコメントを含め、番組の全体像に迫ってみた。

「燃えよラスベガス」

(森雞二九段出演。フジテレビ、4月2日AM0時55分から1時55分)

 アメリカ、ネバダ砂漠真ん中に燦然と輝く眠らない街ラスベガス。多くの素人ギャンブラーが一攫千金を夢見るこの街に、日本から4人の兵どもが挑んだ。

 ヒロミ(お笑いタレント)をリーダーに、織田無道(住職)、林家こぶ平(落語家)、そして森雞二九段。彼らが、プロ中のプロであるラスベガスのディーラーと繰り広げる熱い闘いを番組は追っていく。今まで撮影が不可能だったカジノにカメラが初めて潜入したのだ。

 持ち金は1,000ドル。日本円にして108,000円。ルーレットに始まり、ブラックジャック、ビッグシックス、バカラ、と進行する。きらびやかなイルミネーションに彩られた新装ホテル1階の大遊戯場。ギャンブル好きのヒロミはスリリングな賭けに一喜一憂し、

「男の子は焦眉に行き過ぎてもダメ。じわじわといかなくちゃ」

 などと自らの勝負哲学を言い放って思わずファイティングポーズ。そこへいくとカジノのベテラン森九段は余裕しゃくしゃくである。えび茶のスーツでドレスアップし、終始笑みを浮かべながらプレイを楽しんでいる風情なのだ。織田無道は当代一の悪霊祓いといわれるだけあって神妙な顔つきでチップを賭ける。こぶ平は役者だ。とっちゃん坊やのような顔をし、報われぬ賭けにのめり込んでいる。

 ゲームの結果は森が4,600ドル、ヒロミが2,200ドルの勝ち。オーラスの勝負にツキが回ったヒロミは「イエス、OK、エブリバディ」と叫び、森と手をたたき合って見事にゲームを打ち上げた。

 本番組の制作に携わった「IVSテレビ」の後藤喜男氏は、

「カジノバーばやりから、ラスベガスを舞台とした娯楽番組を企画しましたが、普通のバラエティー乗りの珍道中では物足りないので、キャスティングに工夫をしました。ヒロミはカジノが好きだけど詳しくない。そこでフジテレビプロデューサーを通じ、作曲家のすぎやまこういち氏を考えましたが日程が折り合わず、すぎやま氏の知人である森九段に出演を依頼しました。未知の人なので、やはり不安が残り最初は胃が痛かったけど、スリルはありましたね。配役もギャンブルですよ。結果は大成功でした。森先生はさすがに勝負のツボを心得ていて愉快な方でした。3月19日に現地に赴き、撮影は当日の午後4時から翌朝までの予定でしたが、翌日の深夜まで30時間に及ぶデスマッチになりました(笑)」。

 後藤氏のおっしゃる通り、配役が絶妙のブレンドであった。”ゲームの達人”森九段と、カジノは初めての織田無道。主役ヒロミのツッコミを、こぶ平のおとぼけで、見事に脇をかためて良質な娯楽番組に仕上がった。

将棋マガジン同じ号より。

(中略)

「人間マップ・宮本亜門」

「天才棋士・驚異の強さの秘密」羽生善治(NHK総合、4月11日23時15分~23時45分)

 棋士が出演したテレビのトーク番組では「徹子の部屋」の大山康晴、米長邦雄、「ミエと良子のおしゃべり泥棒」の芹沢博文、他に番組は忘れたが内藤國雄、谷川浩司の姿を思い出す。

 彼らは盤上盤外のドラマをエピソードとして紹介すると同時に、将棋を通じて得られる人生の機微を核として、ビジネスマンの処世訓や成功術と結びつけて巧みな話芸を披露してきた。そこには穏やかな口調のなかにも勝負師としてのピンと張りつめた気骨、貫禄を漂わせていた。たとえお色気話に脱線したとしても。

 ところが羽生善治はそのイメージを本番組で一変させた。聞き手として「好奇心の代弁者」である宮本亜門(演出家)と床嶋佳子(女優)と対等に接し、ざっくばらんなトークを展開した。時にハイな気分でアップテンポになる。そのハイライトを紹介する。

宮本「羽生にらみとよく言われますが。どんな風に」

羽生「怒っている時じゃないとにらめませんね。意表を突かれた時とか。相手が何を考えているのか見てみたいというのもありますが、目付きがきついと言われますね」

宮本「気迫があるんでしょうね。そういうの習いたいな。ボクは演出しててもこの顔で気迫が伝わらないのか、演出家らしい顔をしてくださいと言われて……」

 羽生は突然相好をくずして、ちゃめっ気たっぷりに、

「なんか笑っちゃいますよね」

 そこでムッとしたような宮本を見た床島が笑いながら「がんばって」。

宮本「俺ネー。一回り違うんですよ。戌年ですよね」

羽生「同じ干支ですね」

 宮本は思わず微笑む。自然体の会話はなおも続く。

羽生「考え出して30分ぐらいすると止まらなくなる。読みは枝葉に2乗していき、面白くなってあっという間に1時間経ってしまう」

 これはナチュラルハイとかランニングハイと呼ばれる現象だ。マラソンランナーが途中までは苦しくても、ある距離を越えて走るリズムをつかむと走るのが気持ちよくなるのに似ている。さて、羽生は最後に何かを夢想するように、

「将棋はたった40枚の駒を使い81の枡目の中で戦う。見た目は非常に狭いけど、視界の開けた、例えば海の真ん中で広いな、と感じるように、盤上も無限に広く、人間では到底わからない可能性を感じます」

 と結んだ。羽生は寛容でいて時に辛辣、大胆にして細心、ロマンチストかつ現実主義者―と、その多面的な性格が、たった30分に至る場面で垣間見られた、この複雑さが勝負師の条件なのかもしれない。

 宮本と羽生は容姿も似ているが、頭脳の波長もマッチして話が弾んだ。羽生はミュージシャンの坂本龍一とも雰囲気が似通っているが、それは創作者が放つオーラでもある。

 そこで、政財界人との人生談義は米長名人に任せ、第一線で活躍するクリエイターとの交遊を深めて大いに将棋の魅力をアピールしてほしい。

 本番組はNHKならではの演出が随所に施された。放映日を名人戦第1局の当日とし、冒頭に米長・羽生戦の対局風景を映して棋士のイメージを喚起させた。スタジオのセットは宮本がプロの腕を発揮した。中央に円形のポールを配し、テーブルにさりげなく置かれた将棋盤もしゃれていてくつろいだサロン風。BGMのジャズピアノがリズミカルに響き、会話の潤滑油になっている。

 番組ディレクターの中川佳子氏は、「収録日は4月8日です。名人戦を3日後に控え、そのプレッシャーをはね返してあれだけ話せる羽生さんは本当にすごいと思いました」と感心しきり。羽生は後日語る。

「日程が折り合えば、今後もトーク番組に出演したい」

将棋マガジン同じ号より。

「テレビの王様」

(4月16日から毎週土曜日TBSテレビ19時~20時放映。神吉宏充五段レギュラー出演)

 土曜日夜7時。テレビのゴールデンタイムである。フジテレビには視聴率10%台の後半を常にキープするクイズ番組の「平成教育委員会」がある。

 TBSはこの時間帯に、娯楽番組の「テレビの王様」で対抗した。過去40年間に蓄積されたテレビフィルムをフルに活用して、ウンチクを傾けながらお笑いを盛り込んでショーアップしている。

 司会はフジがビートたけし、TBSは三宅裕司に山田邦子。超一流同士の舞台回しもチャンネル争奪のカギを握るが、電波メディア隆盛の折、2台のテレビと、ビデオを利用して両番組とも見てしまうテレビマニアもいることだろう。

 当番組にレギュラー出演するコラムニストは、ピーター・バラカン(ブロードキャスター)、パラダイス山元(自動車デザイナー)、朝凪鈴(元宝塚女優)、松村邦洋(タレント)、谷啓(タレント)、そして神吉宏充五段。世代を超えてまったく脈絡のない仲間だが、皆一様にテレビ好きで、テレビへのこだわりをもっている。

 番組ディレクターの片山剛氏は、「内容はテレビがキーワードで、過去、現在、未来にわたり、国内外を問わずグローバルな視野でテレビを扱っていきたい。神吉五段は時代劇やアニメなどに熱中したテレビマニアで、テレビを見ながら勝負師の感性を養ったと聞いています。すでにいい味を出していますが、その博学ぶりを存分に発揮してほしいですね」と、番組のコンセプトを語る。当の神吉五段は多忙の合間を縫ってインタビューに応じてくれた。

「まだ始めったばかりですけど、レギュラー陣は和やかにやってます。みな相手のことは知らないけど、お互い理解しようとして、飲みにいったりも。個性派ぞろいのなか、私も楽しみながら張り切ってますので、ぜひ神吉の個性に声援をお願いします。なかでも番組の特集コーナーでの『ヒューマンレポート』ではとっておきの企画も用意してますよ。将棋連盟も二上会長をはじめ、非常に協力的で、プロの対局姿がいずれ番組で紹介されることも考えられます」

 関西のテレビでは常連の神吉五段も全国放送のレギュラーは初めてとあって、意欲満々である。当番組は2度目のオンエアにして、早くも視聴率を10%台に乗せた。ざっと一千万人の目に触れたのだから、その波及効果は推して知るべし。

 番組の印象は、夕食をとりながら気軽に見てもすんなり流れて楽しめ、テレビマニアが瞳を凝らして見ればニンマリするような仕掛けもあちこちに施され、そうした二重構造の作りが際立っていると分析する。

 そこで私は4月下旬、当番組の収録風景を見学にTBSスタジオに出かけた。ビデオ撮りは1回2本、1日で2週分撮る。1時間番組を2時間と少しかけて撮り、それからCM抜きの正味50分ぐらいに編集して放映するようだ。

 ディレクターを中心に、制作スタッフは20~30代の若手が多く活気に満ちている。6人のコラムニストの中で神吉の椅子は後列右隅。これは昭和50年代後半の人気番組「アイアイゲーム」の時の芹沢博文九段と同じ位置である。ここが棋士の定席なのだろうか。

 将棋正統派にして毒舌家の芹沢は得がたいキャラクターであったが、天才破滅型の芹沢に対し、神吉は温厚粘着型とでも呼ぼうか。カードマジックを筆頭に、その広い芸域は、いわゆるオタク族にもアピールするであろう。Jリーグで放映延期の週もあるが、土曜日午後7時はTBSテレビ「テレビの王様」にチャンネルを合わせよう。

将棋マガジン同じ号より。

「CM・サントリーの緑茶」

(出演・内藤國雄、市田ひろみ)

 広告・CMが商品の販売促進、需要開拓を狙っているのは言うまでもないが、その手法には、モノより広告と、モノばなれ広告とがある。

 食料品を例にとるなら、味、品質、価格などを直接訴えたのがモノより、商品からはなれてイメージを追求したものがモノばなれである。本CMは商品の実物を示しながらも内藤國雄九段と、市田ひろみを、緑茶のイメージキャラクターとして登場させているので、モノばなれ広告に近い。

 そもそも酒の会社(サントリー)がお茶を出すのだから、お茶の会社以上にお茶らしいCMが要求される。そこでお茶の本場、京都の宇治茶を連想し、その京都を舞台にお茶にうるさそうな市田ひろみシリーズを展開してきた。本作はその「春の巻」である。

内藤「嫁さんと別れて、弁当とお茶でも持ってー、どっか遠くへ行ってみたいなあ」

 将棋盤を前にした和服姿の内藤九段が、そうつぶやきながら、左手にもった缶入りの緑茶を口にする。隣室で和服に帯をしめていた市田がにこやかに、

市田「なんかゆうた」

内藤「死ぬまでいっしょやで、死ぬまで」

内藤・市田「なあー」

市田「丸かいて茶かいてサントリーの緑茶―」

 最初の内藤のセリフの中に将棋の駒音とウグイスの鳴き声が、BGMのギター音とともにかすかに聞こえ、擬音効果をもたらせている。

 次にサントリー広報課、江部京子氏のコメントを紹介する。

「市田ひろみさんとの兼ね合いから和服を粋に着こなし、お茶の品質感をイメージできる男性を考えました。内藤先生はそのコンセプトにぴったりの身のこなしで評判もよく、おかげさまで緑茶の売れ行きは昨年の倍に伸びています」

将棋マガジン同じ号より。

「東京都 中CM90秒〔住宅〕」

(田中寅彦篇)

 まずは、電通第一クリエーティブ局参事、曽我充氏による本CMのコピーから。

(田中さんの語り)―現場同録―

私の趣味は、住まいのウォッチング。10代の頃から住宅に関心を持つ様になり、実際、今まで17回も引っ越しをしています。
おかげさまで、住まいを見る目には、ちょっぴり自信があります。
将来を見つめた住宅プランが、先を読む将棋の世界に通じるものがあるのかもしれませんね。
今度、東京都が進めている公共住宅をいろいろ見せて戴いたのですが、驚きました。
お年寄りや、障害者に優しい住まい……例えば、入口や廊下のスローブ。車椅子のまま出入り出来る住宅。玄関の腰掛け。段差のない敷居。トイレやバスルームには手すりとブザー。こう言うのをバリアフリー住宅って言うんですって。
(中略)
東京都は、みんなが生き生きと暮らせるまちづくりのために、幅広い住宅政策を進めています。

 本文コピーでもわかるように、田中八段は「歩く住宅情報誌」と言われるほどの不動産マニア。4人の子の父親であるだけに、不動産選びも家族の生活と将来設計を重視した生活密着型である。

 コピーライターでもある曽我氏は、「役所のCMは、情報の送り手側からの一方的なコミュニケーションになりがち。そこで高齢者対応型の幅広い住宅政策を狙いに、この分野に精通した田中先生を起用し、アイドルや一般タレントにはない、プロのリアリティを生かしました」と語る。本CMの放映が現在予定されているのは次のふたつ。番組まるごとビデオに収録して、とっくりと鑑賞されることをお薦めする。

*5月28日16時~16時54分、日本テレビ「スペシャルとうきょう」

*6月4日15時~15時54分、TBSテレビ、ドキュメント特集「東京’94」

将棋マガジン同じ号より。

「中原誠永世十段のテレビCM出演」

 中原といえばニコンフレーム。昭和50年からおよそ5年間、テレビのCMや、雑誌、新聞の広告を賑わせた。「メタルもいいですね、と中原名人」というコピーを思い出す。中原は当時を想起して、

「シリーズで撮影していましたからね。公園、ゴルフ場、海岸。いろいろ行きましたね。広告のプロから見てメガネの似合う顔立ちがあるんでしょ。ボクの顔は似合うのかな(笑)」

 ニコン広報課ではこんな答えが。

「当時はメタルフレームの普及と併せて知的なイメージの方を求めていました。中原名人の落ち着いてゆったりとした雰囲気は、メタルの耐久性を強調するのにぴったりでした」

 テレビ番組出演については、

「クイズはNHKの連想ゲームに1回出ました。あと試験放送といって実際には放映されない番組に何度か出たね。家族対抗歌合戦で優勝してギャラだけもらったこともあった」

将棋マガジン同じ号より。


 将棋の歴史は長い。静寂な和室での対局は、日本固有の様式性を継承し、棋界ならではの品格を漂わせている。そして将棋の基本である損得計算と速度計算に秀でた棋士には、その計数の明るさを生かし、株、不動産、ギャンブル、推理小説など多方面で活躍するタレントがいる。

 マスメディアにとってはそこが魅力なのだ。昭和50年代はじめ、内藤國雄九段が「おゆき」の大ヒットを飛ばした頃から、本職以外での棋士のテレビ出演が増えた。当初は「将棋がおろそかになる」などと一部に批判の声もあったが、テレビ出演を契機に、棋士の名前を覚えるところから将棋ファンが増えることは十分に考えられるのだ。将棋の普及は、棋書、指導対局、将棋まつり、公開対局、大盤解説会などさまざまであるが、これと併せてテレビ報道の浸透力は大きい。テレビはマスメディアの、そして娯楽の王様なのだから。

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1994年は、羽生善治七冠フィーバーが始まる1年ほど前。

羽生善治四冠(当時)が『進め!電波少年』に登場したことは触れられていないが、この当時のテレビ界、広告界の動きがまとめられており、貴重な記録記事と言えるだろう。

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森雞二九段を最初にカジノに誘ったのがすぎやまこういちさん。

この前年9月に森雞二九段著の『海外旅行カジノの遊び方』が刊行されており、この本では、世界各地のカジノゲームの遊び方を初・中・上級編に分けて図解入りで紹介している。

将棋関係のエピソードでは森雞二九段がカジノで散々な目にあうものが多く残っているが、実際には1,000ドルを4,600ドルに増やしたように、かなりの実力派ギャンブラーであることがわかる。

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「人間マップ・宮本亜門」は名人戦第1局1日目の夜に放送されている。

自宅のビデオには撮っていたのかもしれないが、羽生四冠がリアルタイムで見ていたのか、あるいは翌日に備えて既に眠っていたのか、どちらかはわからない。

もし500円賭けてみろと言われたら、眠っていたほうに賭けてみたい。1

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「テレビの王様」が放映されたTBS系土曜19時~20時は、1994年3月までは『まんが日本昔ばなし』と『チャレンジ大魔王』が放映されていた時間帯。

神吉宏充五段はそれまでにも大阪でレギュラー番組を複数持っていた。ゴールデンタイムの全国放送のレギュラーとなったのは本当に凄いことだと思う。

この裏番組のフジテレビ系『平成教育委員会』には、後年、米長邦雄永世棋聖、谷川浩司九段、石田和雄九段、田中寅彦九段、中井広恵女流六段が出演することになる。

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サントリーの「伊右衛門」が登場するのは2004年からで、内藤國雄九段と市田ひろみさんによる広告は、それ以前のサントリーの緑茶主力商品のもの。

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田中寅彦八段(当時)がこの東京都の広告に出演したのが縁となって、この年の後半に、羽生五冠(当時)が公文式の広告に登場することになる。

公文式の広告制作担当も、電通第一クリエーティブ局の曽我充さん。

公文式のテレビ広告では、1996年に田中寅彦九段や武者野勝巳六段(当時)が出演するバージョンも制作されている。

広告制作担当者が見た羽生善治五冠(当時)